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バイリンガルの礼拝メッセージです。You can hear message.(English-Japnese)教会に行ったことがない人も、気軽に聞いてみませんか?ipodをお持ちの方はこのボタンからも聞けます。If you have ipod, please click this button. (iTunesが立ち上がります。iTunes starts.)IBFサイトはこちら
 
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主イエス・キリストの語られた6つの譬え話 その1  ルカの福音書15章1節~7節 ①主イエス・キリストの語られた6つの譬え話から、神さまのメッセージを受け取ってゆきたいと思っています。 きょうは、その第一回として、「いなくなった一匹の羊の譬話し」の所をご一緒に読んでゆきたいと思います。 ・この譬え話は、当時の人たちのだれでもがよくわかる話でした。 また、現代に生きている私たちにとっても、この話はけして難しいものではありません。 ・100匹の羊を飼っていた羊飼いがいて・・、その羊飼いは、ある日、その羊たちを連れて野に出ていったのです。 しかし、しばらくすると、羊飼いは、その中の一匹がいなくなっていることに気づきました。 ・こういう場合、その羊飼いはどうするのだろうか・・この譬え話には、こういう…
 
今回は、「主の御前でへりくだりなさい。」(ヤコブ4:10)からのメッセージです。へりくだる、そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます、との約束が続いています。へりくだる生き方を学んで行きたいと思います。ところで、前回は「平和をつくる人になろう」(ヤコブ3:18)とのテーマでメッセージを語りました。私たちはイエスに出会い、罪を悔い改め、人生が変えられて新しい生き方をスタートした者たちです。神はそのような私たちを、平和をつくる人に、また義の実を結ばせる種を蒔く人にならせようとしておられるのです。平和をつくる、種を蒔く、そのような積極的な面を持ちながらも、いつでも主の御前でへりくだることのできる謙遜な信仰者でありたいと願っています。それでは、ヤコブの手紙4章1-17節を読んでみてください。…
 
今回は、「平和をつくる人になろう」(ヤコブ3:18)からのメッセージです。前回は「行ないのない信仰はむなしい。」(ヤコブ2:20)とのテーマでメッセージを語りました。特に、アブラハムの信仰から信仰と行ないは常に共に進むものであり、行ないのない信仰がむなしく、死んだものではとの指摘を受けました。今日は、行いに視点を置きながら、私たちの言葉に気をつけること、そして平和を造る人になるとのチャレンジを受けたいと願っています。それでは、ヤコブの手紙3章1-18節を読んでみてください。 3章1節では、「多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」と書かれています。教師は、人を教える立場にあり、言葉を大切にする職業です。優れた判断力を必要とします。…
 
 今回は、「みことばを実行する人になりなさい。」(ヤコブ1:22)からのメッセージです。前回からはヤコブの手紙を学び始めています。「試練に耐え忍ぶ人は、さいわいである。」 (ヤコブ1:12)からメッセージを前回語りました。試練に耐える、神からの知恵を求める、試練と誘惑の違いを認識する、そのような内容を語りました。本当に信仰は表に現われる、当然なことではと私は思いますが、口先だけではない、行動を伴う信仰を持ちたいと心から願っています。今回は、言葉に気をつける、兄弟愛を実践する、差別をしない、そのような内容を語っていきたいと思います。それでは、ヤコブの手紙1章19-2章13節を読んでみてください。 ヤコブ1章19節には、「あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語…
 
今回は、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(へブル13:8)からの2回目のメッセージです。いつまでも変わらないイエスがおられる、なんと励ましに満ちた約束の言葉ではないでしょうか。今日はこの箇所と、20、21節の祝禱(頌栄)のことばに焦点を置いて学んで行きたいと思っています。大祭司であるイエス、またイエスのなした贖いの業にも言及します。イエスは時代を超えて神の業を成してくださっている、その事実に気づき、ご一緒に感謝をする者でありたいと願っています。それでは、へブル13章8節と18~21節を読んでみてください。 ヘブルの作者は、大祭司であるイエスの姿を私たちに教えてくれています。特に9章と10章の中で、ただ一度との言葉を何度か用いて、キリストの贖いの完全性、永遠性を…
 
Today is the second Sunday of the Easter season. Easter season; a time when we recall and celebrate the resurrection of Jesus Christ. But it isn’t just so we can be filled with thanks and express that thanks to God. It’s a time when the church makes its boldest proclamation of all: Jesus is risen; he is risen indeed! This is our message to the worl…
 
 ハピー・イースター、そのようにご挨拶いたします。今日はイースター礼拝です。イエスが墓からよみがえられたことをお祝いする日です。イースターの喜びを共にしてまいりましょう。簡単にイエスの十字架での出来事と復活の出来事を振り返ってみます。マタイ27章33、34節には、「ゴルゴタという所に来てから、彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」と書かれています。苦みを混ぜたぶどう酒は苦しみを和らげるためのものです。それを、飲もうとはされなかったとは、イエスは、私たちの罪を赦すために真剣に十字架での苦しみを背負おうとされたことがわかります。さらに、ヨハネ19章26、27節には、「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『…
 
今回は、「よく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように」(へブル12:15)からのメッセージです。よく監督すること、そして神の恵みとは何か、に視点をおいて考えて行きたいと思います。前回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」とのテーマでメッセージを語りました。そのテーマの元、苦しみや試練の意味を考えてみました。神は私たちの益のために、苦しみや試練が起きることを許しておられます。ある意味、信仰者の人生も決して容易なものではありません。しかし、神の視点、新約の視点に立って自分たちの人生を見ると大きな慰めや希望が与えられます。旧約時代が終わり、イエスによって新しい時代が始まったのです。へブル書の全体のテーマを再考しながら、神の恵みに目を注ぐクリスチャンであ…
 
今回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)からの2回目のメッセージです。イエスこそ信仰の創始者であり、完成者です。イエスは、信仰の完成者となるために、十字架での苦しみを味わいました。その苦しみは、はずかしめを伴うものであり、4節にあるように、罪と戦って、血を流すまで抵抗した神の業でもあります。私たちのために苦しみを味わられたイエスに目を注いで歩んで行きたいと願っています。きょうは、苦しみや試練に焦点を当てて、神が苦しみを私たちに人生に起こることを許される意味を考えて行きたいと思います。それでは、へブル12章1-13節を読んでみてください。 1節の後半には、「わたしたちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」とチ…
 
今回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)からのメッセージです。イエスこそ信仰の創始者であり、完成者です。旧約聖書に登場する預言者たちも、メシアの希望を持つことによって、救われていったのです。ですから、イエスこそ信仰の創始者との言葉は、私たちにも旧約時代の信仰者にも関連する表現です。このメシヤの希望が、人となられたイエスによって、実現することになります。今日は、旧約聖書の中でも最も用いられた預言者の一人イザヤを取り上げて、彼が信仰を持って見た救い主の働きを考えてみたいと思います。彼も、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指した者です。ヘブルの作者はイザヤの名前を挙げていませんが、彼への言及がありますので、…
 
今回は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(へブル11:6)からの3回目のメッセージです。今まで、この11章6節のみことばに視点をおきながら、何人かの旧約聖書の偉人の信仰を取り上げて学んできました。彼らは、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指した者たちです。前回はアブラハムの信仰を取り上げました。彼は、自分の愛する子をささげる試練に打ち勝った者です。実際には、愛する子イサクを殺すことはありませんでしたが、「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」との信仰を持った方です(19節)。神を求める者には報いてくださる方、神様はそのような方です。そのことを、アブラハムは、アドナイ・イルエとの信仰を通して告白しています。その意味は、主は備えて…
 
今回は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(へブル11:6)からの2回目のメッセージです。既に、11章全体は信仰にテーマを置いていますが、目標を目指して、忍耐を持って生きるようにとの勧めの文脈の中で書かれていることを指摘しました。10章19節から始まるいくつかの勧めのなかで、その模範となる方々を旧約聖書から選んで、私たちを励まそうとしているのです。私たちもこれらの信仰の偉人にならって、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指して行きたいと思っています。今回は、旧約聖書の中でも信仰の父と呼ばれるアブラハムを取り上げてみます。それでは、へブル11章6-19節を読んでみてください。 11章6節には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に…
 
今回は、「わたしの義人は信仰によって生きる。」(へブル10:38)からのメッセージです。前回指摘しましたが、この聖句はハバクク書2章4節からの引用です。キリストを信じて義とされた者は、信仰を持って生きる歩みをスタートします。試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、天国への信仰をもって、ゴールを見失わない生き方を目指して行きたいと思っています。信仰、この言葉を今日は、私たちの生活を踏まえて考えて行きたいと願っています。それでは、へブル10章37-11章7節を読んでみてください。 前回は、「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」とのテーマでメッセージを語りました。大きな報いがあることを信じて、忍耐と信仰を持って生きる。そのように、大きな試練の中にある初代教会の信仰者に向かって、ヘブ…
 
今回は、「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(へブル10:36)からのメッセージです。忍耐と信仰、これらの言葉が今日のメッセージの中心的な言葉となります。以前に指摘したように、初代教会は大きな迫害を経験することになります。そのような環境下で、キリストへの信仰を捨てて、ユダヤ教に戻ろうとする方々も多く起こってきたようです。そのような、彼らに、厳しい警告の言葉が語られてまいります。厳しい警告の言葉とともに、確信、大きな報い、そして忍耐との言葉を用いて、困難な環境の中で生きていく信仰者を励ましている、それが今日の箇所です。それでは、へブル10章26-39節を読んでみてください。 まず、26節から31節まで、ユダヤ教に戻ろうと考えている信仰者に向けて、厳しい警告の言葉が語られています…
 
今回は、「真心から神に近づこうではありませんか」(へブル10:22)からのメッセージです。前回は「私たちは聖なるものとされているのです。」(へブル10:10)とのテーマでメッセージを語りました。あなたも、私もキリストの十字架を通して、罪の赦しを得ているのです。神は信仰を持つ私たちを聖い者と認めてくださり、私たちは大胆に神の前に出て行くことができるのです。そのような内容を語ってまいりました。前回までで、実は、5章からスタートした大祭司キリスト論の学びを終えたのです。今回の箇所は、いままでの教えに基づいた、具体的で大切な勧めの箇所であると言えます。それでは、へブル10章19-25節を読んでみてください。 19節は、こういうわけですからと書き始めています。大祭司であるイエスがおられるのだからと、今…
 
There are some passages in the bible that are hard to explain theologically. Like Jesus getting baptized in the River Jordan by John. It just doesn’t make sense theologically. After all, John’s baptism was a baptism of repentance and forgiveness. But our theology maintains that Jesus was without sin. So why would Jesus receive this baptism? Theolog…
 
今回は、「キリストは新しい契約の仲介者です。」(へブル9:15)からのメッセージです。前回は、クリスマス礼拝で、神の絶妙な選びのタイミングでイエスの誕生が起こったことを語りました。マタイ1章17節には、「それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。」と書かれています。三区分にまとめられている、各区分の最初の人名または出来事は、神の契約と関係があります。それらの契約はキリストにおいて成就したのです。そのように前回は、指摘いたしました。そのことを簡単に見てみましょう。神とアブラハムとの契約が最初のものですが、創世記12章3節には、「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と約束されています。地上のす…
 
「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。」(マタイ1:20) メリークリスマスとご挨拶をいたします。今日は、クリスマス礼拝を皆さんとささげています。クリスマス、英語でChristmasと書きますが、ChristとMasでその意味は、キリスト(の誕生)をお祝いする、またはキリストを礼拝する、そのような意味を持つ言葉です。キリストとはギリシャ語で救い主の意味を持ち、ヘブル語ではメシアのことです。このメシアが生まれる、それは旧約聖書の中心的な預言です。今年のアドベントの期間、私は旧約のイザヤの預言の言葉を読んでまいりました。もう一度、そのいくつかを振り返ってみます。イザヤはイエスが生まれる約700年前に生きて活躍した預言者です。まず、この救い主は、ダビデの子孫として生まれます(…
 
主にある兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。前回から「交わり」をテーマにお話ししています。「交わり」はとても広いテーマです。先月、交わりは神との繋がり、そして他の信徒との繋がりでもあることをお話ししました。今日は、別の視点から、交わりの二つの側面についてお話しします。第一にパートナーシップとしての交わり、第二に他の信徒の必要を満たすために物で支援する交わりについてです。お祈りします。 交わりはパートナーシップ 聖書の「交わり」という言葉にはパートナーシップ(共同、協力関係)という意味があります。新約聖書ではコイノニア(koinonia)とメトコス(metocos)という二つのギリシャ語が使われています。この二つのギリシャ語は、交わりの意味の他に三つの違ったタイプのパートナーシップの意味があ…
 
今回は、「キリストは変わることのない祭司の務めを持っておられます。」(へブル7:24)からのメッセージです。前回のメッセージと同様に7章24節からのメッセージです。24節と25節は、とても大切なみことばであると私は思います。キリストは永遠に存在され、変わることのない祭司として私たちのために、とりなしの働きをされておられる。この神様の約束を信仰を持って受け取って行きたいと願っています。今まで、イエスは天の至聖所に私たちの先駆けとして入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられたことを学びました。メルキゼデクの位に等しい大祭司との表現を通して、レビ族の祭司ではない新しい祭司が神によって立てられ、旧約の律法からの解放が起こってきました。新しい大祭司を立てることは、神のご計画であり、旧約聖書が…
 
今回は、「キリストは永遠に存在される」(へブル7:24)からのメッセージです。24節と25節は、とても大切なみことばであると私は思います。キリストは永遠に存在され、祭司の務めを持っておられ、私たちのために、とりなしの働きをされておられる、この神様の約束をすなおに、信仰を持って、受け取って行きたいと願っています。6章の最後で、へブル書の作者は、イエスは天の至聖所に私たちの先駆けとして入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。と書いています。7章から、メルキゼデクはどのような方であったのか、そして、メルキゼデクはレビ族の祭司よりも優れていることを語り始めます。旧約のメルキゼデクが指し示す、私たちの救い主、イエスに対する信仰を益々深めて行きたいと願っています。それでは、へブル書7章…
 
今回は、「信仰と忍耐によって約束のものを相続する」(へブル6:12)からのメッセージです。神様の約束は変わらなくても、私たちは、状況に左右されて、目標を見失いやすい者です。このヘブル書の受け取り人も、ローマ帝国内で起こっていった迫害を恐れて、信仰を失う危険性があったようです。しかし、神の約束は変わりません。救われた者を神は見捨てることはなさいません。困難と共に脱出の道を備えておられます。第一コリント10章13節を、ぜひ読んでみてください。「試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」と書かれています。これは、神の約束です。多くの場合、試練は人を成長させるものです。神の約束を信じて、信仰と忍耐によって約束のものを相続する者とさせて頂きたいと思います。それでは、へブル書6章9-20節を読んでい…
 
主にある兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。新型コロナの感染が出始めてから約1年がたとうとしています。新型コロナは経済にも、また私たちのメンタルの部分においても打撃を与えています。孤独を感じ、気分が落ち込む人、自殺も増えているようです。 人との繋がりが絶たれ、孤独になる時に人間は辛さ、苦しみを覚えるということが、この新型コロナを通して見えてきます。私たちが健康に生きていくには人との繋がりがとても大切なのです。繋がりという言葉は、聖書では「交わり」という言葉でよく表されていると思います。「交わり」は非常に大きなテーマとなるので、2回に渡ってお話ししたいと思います。今日は交わりを「関係、繋がり」という観点からお話します。来月は、パートナーシップ、具体的なもので支え合うという観点からお話します。…
 
今回は、「成熟を目ざして進もうではありませんか。」(へブル6:1)からのメッセージです。へブル書の作者は、5章から、大祭司としてのイエスの働きを詳しく述べ始めます。それも、イエスは、アロンの子孫以上の者、メルキゼデクの位に等しい祭司であることを語って行きます。しかし、その内容がどんなに素晴らしいものであったとしても、それを聞く者の姿勢がとても大切で、正しい姿勢で、聞く必要があります。神のことばを正しい姿勢で聞く時に、みことばはその人を変える力があるからです。逆もしかりです。正しい姿勢で聞かないと、岩地にまかれた種のように、芽が出ても枯れてしまいます(マタイ13:5,6)。もう一度、信仰者として成長する人生がある、そのことに気付いて行きたいと願っています。成熟を目ざす人生をご一緒に求めて行きま…
 
今回は、「キリストはとこしえの救いを与える者となられた。」(へブル5:9)からのメッセージです。へブル書の作者は、5章から、大祭司としてのイエスの働きを10章18節まで詳しく述べ始めます。まず、一般的な大祭司の役目に触れ、キリストこそは、アロンの子孫以上の者、メルキゼデクの位に等しい祭司であることを語っていきます。今日は、イエスの大祭司としての働きを学ぶと共に、私たちは、イエスの祈りに支えられて生きる者であることを学んでいきたいと思っています。それでは、へブル書5章1-10節を読んでいただきたい。 前回のメッセージで、私は、キリストは私たちの弱さに同情することのできる大祭司であることを語りました。4章15節を再度読んでみてください。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありませ…
 
今回は、「大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:16)からのメッセージです。大祭司なるイエスは、私たちの弱さに同情できる方、また、私たちと同じように、試みに会われた方、その方がおられるので、安心して恵みの御座に近づこうと勧めています。今日は、その箇所を一緒に学んでいきたいと思っています。それでは、へブル書4章14-5章10節を読んでいただきたい。 今まで学んできたことをここで整理してみます。イエスは、万物の創造者であり、相続者であられる(1:2)。イエスは、神の栄光の輝きであり、神の本質の完全な現れである。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれた方である(1:3)。そのように、キリストの神性について、まず、強調しています。同時に、イエスは全く…
 
今回は、「恐れる心を持とうではありませんか。」(へブル4:1)からのメッセージです。神の安息にはいるために、恐れの心を持つことは大切です。それは、神の言葉を恐れる心を持って聞くこと、それも神の言葉を福音としてしっかりと聞いていくようにと私たちはチャレンジされています。それでは、へブル書4章を読んでいただきたい。 4章1節には、「神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。」と書かれています。まず、神の安息について考えてみます。イエスが大祭司として、私たちクリスチャンに与えくださるもの、それが神の安息です。イエスは十字架につき、私たちの罪を赦し、私たちと神との関係…
 
数週間前、ある友人が私に「神を賛美する生活はうまくいってる?」と尋ねてきました。「えっ?それって祈りの生活っていう意味?」と私は聞き返しました。友人は、「いや、祈りの生活じゃなくて、神を賛美する生活のことだよ。」と言って、神を賛美する生活とは何かを説明してくれました。それは日々神に心を向ける時間を作り、神のご性質や神がなしてくださったことをほめたたえる生活のことだと教えてくれました。 私はそれを聞いて、新型コロナウィルスの状況になってからの数か月間、自分の神への賛美が十分ではなかったことに気付かされました。確かに自分の不安を御前に注ぎ出しましたが、神へ感謝を捧げる時間が多いとはいえなかったことを反省しました。困難のただ中にいると、神を賛美することがなおざりになりがちですね。 「だから、神を賛…
 
今回は、「イエスのことを考えなさい。」(へブル3:1)からのメッセージです。私たちクリスチャンは、イエスを信じて清められた者であること、教会の一員とされていること、そして、日々互いに励まし合って生きる関係にあることを語って行きたいと願っています。それでは、へブル書3章を読んでいただきたい。 3章1節には、「そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。」と書かれています。この聖句から、まず、私たちクリスチャンは、天の召しにあずかっている聖なる兄弟姉妹たちであることに気づかされます。召されるということに関して、第一テモテ6:11、12節を参照してほしい。「しかし、神の人よ。あなたは、・・正しさ、敬虔、信仰、…
 
今回は、「あわれみ深い、忠実な大祭司となるために」(へブル2:17)からのメッセージです。イエスこそ忠実な大祭司であり、私たちのために祈りをささげてくださっている方です。また、私たち信仰者を兄弟とよんでくださり、被造物管理の働きに招いてくださっている方であることを語って行きたいと願っています。それでは、へブル書2章を読んでいただきたい。イエスを信じる信仰がどんなにすばらしいものであるかを、旧約聖書の関係の中でまず、語られています。 2章1節には、「私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」と書かれています。皆さんも私も神の福音を聞いてきたのです。イエスこそ、まことの神であり、罪のきよめを成し遂げられた方であることを聞いて信じる決断をした者で…
 
今回は、「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」(へブル1:2)からのメッセージです。今回からしばらくの間、へブル人への手紙からメッセージを語って行きたいと思っています。今まで、マルコの福音書からメッセージを語って参りましたが、イエスが旧約聖書に預言された救い主(キリスト)であることは理解していただいたと思います。へブル書は旧約聖書の引用が多いので、旧約聖書との関係の中で、イエスの働きを、へブル書からさらに学んでいきたいと思っています。聖書を学ぶ時の原則である、個々の聖句をその文脈との関係の中で学んでみたいと思っています。それでは、へブル書1章1-14節を読んでいただきたい。まず、イエスこそ、まことの神であり、罪のきよめを成し遂げられた方、万物の相続者であり、私たち信仰者…
 
今回は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)からのメッセージです。イエスが弟子たちに命じた世界宣教の言葉を取り上げます。まず、この言葉が書かれるに至った背景とその文脈について考えてみます。マルコの福音書は、16章の8節で、本来の本文は終わっています。9節から20節までは、2世紀になって追加されたことが、写本上の証拠から明らかにされています。マルコは、16章8節でこの福音書を終えたのか、2世紀に追加されたような内容が最初からあったのに、それが失われてしまったのかは、今の時点ではわかりません。しかしながら、この追加された部分は、2世紀になるまでに広く初代のクリスチャン達によって認められてきた内容であったことは、他の福音書からの言及によってわかります…
 
今回は、「あの方はよみがえられました。」(マルコ16:6)からのメッセージです。イエスの体に油を塗りに行った女性たちに、天使が語りかけた言葉です。イエスの十字架を目撃したこの女性たちが抱いたであろう失望や恐れはどれほど大きかったことかと思う。しかし、今回この天使の言葉は彼女たちの心に変革を起こすに十分であったであろうと思う。その言葉を今回は取り上げます。マルコ15章42-16章8節を読んでいただきたい。 十字架で亡くなられたイエスの体の下げ渡しを有力な議員の一人であったアリマタヤのヨセフが願い出てくれた。43節には、みずからも神の国を待ち望んでいた人であったと紹介されている。46節で、「そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を彫って造った墓に納めた。墓の入口に…
 
今回は、「この方は、まことに神の子であった。」(マルコ15:39)からのメッセージです。これは、イエスの十字架を初めから終わりまで目撃したローマの軍人、百人隊長の言葉です。この隊長は、ローマから派遣された総督ピラトに仕え、このピラトがどんな人間であったかも良く理解していたと思われます。日和見(ひよりみ)主義という言葉があるが、この総督ピラトは実にそのような性質を持つ者であったようです。ピラトは紀元26年~36年まで、その職にとどまり、度重なる失政で職を追われることとなります。マルコ15章1-15節にはピラトのもとでのイエスの裁判の様子が記録されている。特に14,15節には、自分はイエスが正しい人であることを分かっているのに、群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放して、イエスを十字架に付ける…
 
今回は、「これはわたしの契約の血です。」(マルコ14:24)からのメッセージです。 弟子たちとの最後の晩餐でのイエスの言葉です。最後の晩餐の背景に過ぎ越しの祭りがあることを今日のメッセージで語っていきたいと願っています。加えて、ベタニアのマリアの感謝とイスカリオテ・ユダの裏切りについても言及していきたいと思っています。マルコ14章1-25節を読んでいただきたい。 3節からは、イエスに香油を注ぐ女性が登場する。「ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。」と書かれている。頭に香油を注ぐ行為は、祭司や王の就任の時にする行為である。この女性の行為は、イエスこそ王であるとの思いがあったと理解することもできるし、持て成しや感謝の現れ…
 
今回は、「目をさましていなさい。」(マルコ13:37)からのメッセージです。終末について語られるイエスが、弟子たちに向かって、話の最後に語りかけることばである。恐れや、心配の中にもう生きる必要はない。イエスが語られる言葉を整理して、終末にどんなことが起こっても、イエスをしっかりと見上げながら、希望をもって生きて行こうではないか。そのような思いを今日皆さんに分かち合いたいと願っています。少し長い箇所ですが、マルコ13章を読んでいただきたい。まず、13章全体の内容を簡単に皆さんに分かち合って行きたいと思う。 当時の宮の美しさ、建物のすばらしさに弟子たちは声を上げる。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」と。するとイエスは彼らに言われる。「この大きな建物を見てい…
 
今回は、「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる」(マルコ12:37)からのメッセージです。十字架を前にして、行いによる救いから、信仰による救いへと、新しい時代が訪れようとしている。その時点で語られたイエスの思いを受け取っていきたいと願っています。今日も、3つのポイントを取り上げます。まず、マルコ12章35-44節を読んでいただきたい。 最初に、イエスは群衆に向かって言われる。「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子と言うのですか。ダビデ自身、聖霊によって、こう言っています。『主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵を、あなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのでしょう。」(35―37…
 
Intro Good morning, brothers-and-sisters in Christ. It's good to see your faces this morning. Even though I only see part of your face! Though we have started meeting physically again, things are not the same as before. Both leaders and members alike have to figure out how to be a church in the midst of COVID-19. Once you start discussing this topi…
 
今回は、「あなたは神の国から遠くない。」(マルコ12:34)からのメッセージです。この言葉は、イエスと律法学者との会話の一節であるが、当時の律法学者の中にも、イエスの教えを正しく理解しようとした方がおられたことは実に嬉しいことである。まず、イエスの受難週の出来事(議論)を3つ取り上げる。その中の一つに、本日のテーマが含まれるが、律法の中で、たいせつな戒めはどれですかとの問いかけにイエスがどう答えたか、ご一緒に考えてみたいと思っている。まず、マルコ12章13-34節を読んでいただきたい。 最初に、パリサイ人とヘロデ党の者数人との議論がある。彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、会話を始める。彼らの質問は、カイザルに納める税金についてである。パリサイ人は、ローマに納めるこの税に反対…
 
今回は、「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。」(マルコ12:10)からのメッセージです。 群衆に熱狂的に迎えられてイエスはエルサレムに入場することとなる。入場後にまず、イエスは宮きよめをする。イエスに敵対心を抱いていた当時の指導者たちとの衝突はますます明白になって行く。イエスはたとえを用いて自分の十字架での死を暗示していく。イエスの死と復活こそが、新しい時代、教会の時代が来ることを暗示する、それが今回のメッセージのテーマになっています。まず、マルコ11章15ー18節を読んでいただきたい。 エルサレムの神殿での礼拝は、犠牲として動物をささげることが中心であった。異邦人の庭と呼ばれた外庭には、いけにえ用の動物が売られ、神殿税や献金を納めるための両替人の台も多く置かれていたようで…
 
Reflection on James 4:13-17 Intro Good morning, brothers and sisters. I pray that you are well, even though your daily life has been affected by COVID-19. I’m sure the virus affected your plans. Some of you had to cancel your travels this year, whether it was a holiday, a business trip, or going to another prefecture. This is especially true for fo…
 
今回は、「主がお入り用なのです。」(マルコ11:3)からのメッセージです。 マルコ11章からは、受難週の記事がはじまっていく。その最初の出来事がエルサレムへの入場である。それも馬ではなく、ろばの子に乗って入場される。旧約聖書のゼカリヤ9章9節には、「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」とある。イエスのエルサレム入場は、この旧約聖書の預言の成就として行われていく。あなたの王とは、メシア、キリストのことで、キリストが平和の王として、ろばの子に乗って入場されたことは実に興味深い。マルコ11章1-11節までを読んでいただきたい。 イエスはふたりの弟子…
 
今回は、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」(マルコ10:52)からのメッセージです。エリコで盲人であったバルテマイの信仰について考えてみます。そして、このバルテマイに自分たちの信仰を重ねて、イエスに感謝する者、イエスに従う者とさせていただきたいと思います。マルコ10章46-52節を読んでいただきたい。まず、この出来事の文脈的な意味を考えてみよう。イエスの一行はエルサレムに上る途中である(32節)。イエスは弟子たちに、自分は十字架につき、三日の後に、よみがえることを語る(33,34)。以前皆さんにシェアーした事であるが、皆さんは覚えておられるだろうか。マルコ10章45節には、「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自…
 
今回は、「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」(マルコ10:31)からのメッセージです。行いによって天国に入ろうとする者は後にされ、信仰と恵みによって天国を待ち望む者が先にされる、その真理が明らかにされる聖書の箇所です。このような表現をイエスが他のところでも使っておられます。興味ある方はマタイ20章16節、また、ルカ13章30節を見ていただきたい。今回のメッセージは、前回のメッセージに続いていて、行いによって天国を求めた金持ちをは後にされ、むしろ子供たちのような心をもってイエスを信じる者こそ先にされる、そのような理解が背景にある。あなたもイエスの語られる真理に気付くならば、もっとキリストとの人格的な交わりを喜び、神の恵みを感謝する人生に目が開かれて行くものと私は信じる。…
 
今回は、「どんなことでも、神にはできるのです。」(マルコ10: 27) からのメッセージです。人は自分を救うことはできないが、ただ、神のみが人を救うことができる。そのメッセージがこの言葉に隠れています。マルコ10章45節には、「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」とある。贖いの代価とは、奴隷を自由にするために支払う身代金のことを意味する。イエスが、贖いの代価、つまり罪の奴隷となっている人間を解放して、神のものとするために支払う身代金を支払ってくださること、それが十字架での犠牲であることが明らかにされている。イエスこそ、私を、そしてあなたを、救うことのできる方であることを今回は語って行…
 
今回は、「もはやふたりではなく、ひとりなのです。」(マルコ10:8)からのメッセージです。結婚についてのイエスの言葉です。マルコ10章1-12節を読んでいただきたい。前回は、「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」からメッセージを語ったが、イエスは、その後で互いに和合して暮らしなさいとつけ加えている。塩けを保つことと和合して暮らすバランスが強調されていた。結婚もそのような夫婦間のバランスが必要であることに気づかされる。 まず、聖書の文脈を見てみよう。2節には、「パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。」とある。当時のパリサイ人の理解は2つに分かれていたようである。1つは、妻の不貞(姦淫)の事実が発見され…
 
今回は、「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」(マルコ9:50)からのメッセージです。 この世で生きるクリスチャンの自覚を呼び起こす言葉である。塩は昔から防腐剤として使われており、原形を失ってもその存在が誰からも認められるものである。このテーマに入る前に、イエスの語られたメッセージから、今回は3つのポイントを簡単に学んでみようと思う。マルコ9章38ー50節を読んでいただきたい。 まず第一に、イエスの語られた言葉から教会の協力とその働きの拡大にポイントを置いて見てみたい。38節には、「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」とのヨハネの言葉が書かれている。自分たちの仲間ではないとの理由で、イエスの名で悪霊を追い出すこと…
 
今回は、「三日の後に、人の子はよみがえる。」(マルコ9:31)からのメッセージです。 人間の常識では到底理解できないイエスの言葉をとりあげます。マルコ9章30-37節までを読んでいただきたい。人の子との表現をイエスは、メシアであるご自身を指示して何度も使っています。メシアであるイエスが、殺されて、三日の後によみがえられる。そのことを弟子たちに語るのは今回で二回目である。一回目はマルコ8章31節に、そして、三回目はマルコ10章33、34節に書かれています。そのたびごとに、弟子たちは戸惑い、そのみことばが理解できず、そのことをイエスに尋ねるのを恐れたようである。 私も弟子たちの気持ちがわかるような気がする。それは、私も聖書を読み始めた頃、イエスの十字架の上での愛、いくつかの奇跡や、その語られたみ…
 
今回は、「信じる者には、どんな事でもできる。」(マルコ9:23)からのメッセージです。大いに私たち信仰者を励ます言葉であると私は思います。まずその背景を考えてみましょう。マルコ9章14-29節までを読んでいただきたい。悪霊につかれたむすことそのお父さんが登場する。イエスの弟子たちはその悪霊を追い出そうとするが、できない。そのような背景があって、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのですか」と尋ねられ、父親は答える。「幼い時からです。霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますならば、わたしどもをあわれんでお助けください。」(22節)と。その時にイエスが言われたこと、「もしできれば、と言うのか。信じる者には、どんな事でもできる。」が、今日のテーマの…
 
 今回は、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」(マルコ9:7)からのメッセージです。 高い山に、イエスがペテロとヤコブとヨハネだけを連れて行き、彼らの目の前で御姿が変わった時に、神が彼らに語った言葉である。マルコ9:1-8までを読んでいただきたい。イエスの御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。」と書かれている。3人の弟子たちは光輝く栄光のイエスを見ることになる。そして、旧約聖書の中で最も偉大なエリヤとモーセが表れ、イエスと語り合っていたとある。その姿をみたペテロが口出しして言う。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。」と。幕屋を造って少しでもこの栄光の姿を見続けていたいとの思いであっ…
 
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