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このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から14回目のメッセージです。前回は、「私の生まれた日は、のろわれよ。」(エレミヤ20章14節)とのテーマで語りました。20章では、エレミヤが逮捕され、むちうたれると言う出来事が起こります。そのような環境で、エレミヤは預言者として立つことの厳しさを経験します。そして祈りを捧げます。エレミヤの心の葛藤がよく示されている祈りです。14節には、「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。」とあります。神の都であるエルサレムが滅ぼされる。異邦人によってイスラエルの民が支配され、苦しみに合う。このような危機に直面しているエレミヤにとって、生まれなかった方が良かったとの祈りは、神の民を…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から13回目のメッセージです。前回は、「あなたがたも、わたしの手の中にある。」(エレミヤ18章6節)とのテーマで語りました。エレミヤ書18章6節には、「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたにすることができないだろうか。 ―主の御告げ。― 見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ。あなたがたも、わたしの手の中にある。」とあります。神様はエレミヤに、ちょうど陶器師がなすようにイスラエルを壊し、また作り替えようとする神のご計画を伝えています。私たちの人生も同じです。私たちの人生は神の導きの中にあり、古いものが壊され、新しいものに造り変えられるのです。私たちを命を懸けて愛して…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から11回目のメッセージです。前回は、「彼らは、私の名が主であることを知る。」(エレミヤ16章21節)とのテーマで語りました。イスラエルの民が出エジプトを経験したように、バビロンから解放されて、イスラエルに戻ってくる時が訪れるとエレミヤは預言します。バビロン捕囚があるのならば、バビロンからの解放もあるのです。解放、それは神の新たなご計画です。それらの出来事を諸国の民は目撃するのです。神の視点は、諸国の民がイスラエルの姿を見て、神がおられること、神は力強いお方であることに気づくようになることです。「彼らは、わたしの名が主であることを知る。」とあるからです。それは、新たにされていくイスラエルの民を通して…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から9回目のメッセージです。前回は、「あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。」(エレミヤ13章16節)とのテーマで語りました。私たちは神の約束を忘れて、問題だけを見ることが多いです。しかし、神の約束を堅く握り、神の恵みを振りかえってみましょう。キリストを信じる者は罪の赦しをいただき、永遠の命が与えられるのです。キリストは天に私たちの住まいを用意してくださる方です。これは信仰者に与えられている神の約束です。イスラエルの民は、聖なる国民、祭司の王国となる神の約束を忘れ、知らず知らずに高慢になり、神の恵みから離れて行ったのです。私たちは神の約束を堅く握り、主に栄光あれと力強く告白する民でありたいと願っていま…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から7回目のメッセージです。前回は、「誇る者は、ただこれを誇れ。悟りを得て、私を知っていることを。」(エレミヤ9章24節)とのテーマで語りました。9章では、涙を流しているエレミヤの姿が描かれています。エルサレムは滅ぼされるという神の裁きを語らざるを得ないエレミヤにとっては、それは大きな悲しみであったからです。しかし、このバビロン捕囚こそ、ユダの民は何が自分たちのアイデンティティで、また信頼すべきものなのか問い直す絶好の機会となるのです。神を信じ続ける者には、マイナスをプラスにしてくださる神の力が働かれるからです。23節から、主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 「誇る者は、ただこれを誇れ。悟りを得て、私を知っていることを。」(エレミヤ9章24節) 今回は、エレミヤ書から6回目のメッセージです。前回は、「偽りのことばを信頼してはならない。」(エレミヤ7章4節)とのテーマで語りました。偽りの言葉とは、神殿は神ご自身の宮であるのだから、外国が攻めてきても絶対に安全だとの偽預言者の言葉であり、彼らの信仰のことです。これはちょうど日本人のご利益的な信仰と似ています。信仰者は、何を信じ、どう生きるかを決断しなければなりません。まことの神を信じる者は、その行いや言葉において変革が起こるのです。真実な信仰は、誠実な歩みを生み出します。私たちを救うために十字架に着いてくださったイエスの愛を受…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら イエスは、耳を傾けている人々にこれらのことをすべて話し終えると、カペナウムに入られた。  時に、ある百人隊長に重んじられていた一人のしもべが、病気で死にかけていた。  百人隊長はイエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、自分のしもべを助けに来てくださいとお願いした。  イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。  私たちの国民を愛し、私たちのために自ら会堂を建ててくれました。」そこで、イエスは彼らと一緒に行かれた。ところが、百人隊長の家からあまり遠くないところまで来たとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスにこう伝えた。「主よ、わ…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から5回目のメッセージです。前回は、「エルサレムよ。戒めを受けよ。」(エレミヤ6章8節)とのテーマで語りました。戒めるとは、同じ様な過ちをおかさないように注意するとの意味があります。私たちも、過去の出来事から多くのレッスンを受け取ることができます。エレミヤは、真実な悔い改めをしない民を見て、預言者としての働きに疲れ果ててしまう体験をしました。しかし、その思いを聞く耳のある者たちに語るようにと、神は彼に語りかけておられます。また、6章16節には、「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸の道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。」と書かれています。四つ辻とは、道路がいくつか…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から4回目のメッセージです。前回は、「背信の子らよ。帰れ。」(エレミヤ3章22節)とのテーマで語りました。神は民が悔い改め、立ち返ることを願っておられます。3章14節から18節には、神様は民の失敗を赦してくださり、彼らをもう一度シオンに集めてくださるとのメッセージが書かれています。回復の業は南ユダだけではなく、北イスラエルに対しても始まります。それは、すでに国を失い、捕囚とされた一握りのイスラエルの民から始まるのです。そこには、彼らの悪いかたくなな心が変えられ、そして、ユダの家はイスラエルの家と一緒になり、・・・帰って来る、と書かれています。新しい回復の業のために、新しい牧者が与えられ、回復や癒しの…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。  エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。  その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。  そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。  イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「よくなりたいか」  病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、他の人が先に下りて行きます。」  イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げ、歩きなさい。」  するとす…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 先月、ピーナッツ・バター・ファルコンという映画を見ました。アメリカの貧しい田舎が舞台で、ならず者の漁師がダウン症の青年と友だちになる話です。もちろん漁師が皆そうでないことはわかっていますが、映画に出てくる漁師は荒っぽくて、言葉は汚くて、体中に入れ墨があって、ライフル銃をいつ向けてくるかわからないような人たちでした。もし実際に会ったとしたら、怖い漁師たちでした。 マルコの福音書には、イエスの最初の弟子は漁師であったと書かれています。今日は初めてイエスが弟子を選ぶ場面のところを読んでみたいと思います。 (マルコ1:16-20を読む) 今日はまず、イエスの時代に宗教指導者たちがどのように弟子を選んだかについて少しお話ししま…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今日はイースター礼拝です。第一コリント15章10節の言葉、「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。」 このみ言葉を取り上げてみます。イースターとは、キリストが死からよみがえられたことをお祝いするキリスト教の祭典です。イースターを通して、神の人類に対するご計画が明らかにされて行きます。神のご計画とは、罪を犯した人類に救いの道を提供することであり、人が永遠を神と共に生きる道を提供することです。人類の救いのご計画は、旧約聖書の中にまず預言されています。その救いは、イエスの生涯を通して成就されて参ります。具体的には新しい救いの道は、キリストの誕生、十字架での死、そしてキリストのよみがえりによって提供されて参りま…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と 言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。  イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。  これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。  イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要としているのは、丈夫な人ではなく病人です。  『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。  わたしが来たのは、正しい人を招くた…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、エレミヤ書から2回目のメッセージです。前回は、エレミヤが神によって召された出来事を学びました。その時神がエレミヤに、「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知っている」と語られました。あなたを知っているとは、選び出したと訳されている言葉が使われています。選び出した、知っている、との意味を持つ言葉を用いることで、神はエレミヤを選び、彼を親しい交わりにおいて育てて行こうとされたのです。神はエレミヤだけでなく、私たち一人一人の人生も知っておられます。そして、私たちをエレミヤ同様に有用な信仰者として育てようとされるのです。神は私たちを愛しておられ、私たちの信仰を育てようとされています。そのような信仰を持つ者で…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回からはエレミヤ書に入ります。エレミヤは南ユダが滅ぼされる、そのような時期に活躍した預言者の一人です。1章1節には、「ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。」とあります。アナトテとは、エルサレムの北東4キロほどにあった寒村です。エレミヤはこの貧しい村で、祭司の子として成長します。2節には、「アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。」と書かれています。ユダの王ヨシヤは宗教改革を成した王として有名です。ヨシヤ王の働きについては、旧約聖書の第二列王22、23章に書かれています。彼の祖父であったマナセ王は、反対に最も悪い王として有名です。第二列…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 北澤牧師が体調不良のため、伊野牧師の代読になります。 ① 聖書は、荒野での試みに会われた後、宣教活動を始められた主イエス・キリストが、様々な人々と出会っていった、その出来事を記しています。 ・きょうはヨハネの福音書4章に記されている、「サマリアの女との出会いの記事」を皆さんとご一緒に観てゆきたいと思います。 ・場面は、サマリア地方の町、スカルという所にあった井戸の端(ほとり)です。 ・「主イエスは、なぜ、こんなところに座っておられたのだろうか・・」と、誰もが、そう思います。 ・3節と4節のところを見ますと、ここにちょっと気になる記述があります。 「主イエスは、ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。 しかし、サマリ…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、旧約聖書のイザヤ書から23回目のメッセージです。前回と同様に同じテーマからの2回目のメッセージです。65章でイザヤの祈りへの神の応答は3つの部分からなっています。まず、異邦人が福音を聞き、神の民とされて行くという応答です。2つ目は、イスラエルの民への神の裁きは変わることがないとの厳しい応答です。しかしその中にも残された民がおり、この人たちは神の祝福を受けて行くと言う応答です。3番目には、新しい天と新しい地を神は創造すると言う応答です。17節には、「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。」と書かれています。 前回、新しい天と新しい地を神は創造されること、こ…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、旧約聖書のイザヤ書から22回目のメッセージです。前回、「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。」(イザヤ64章8節)とのテーマからメッセージを語りました。この節は続いて、「私たちは皆、あなたの手で作られたものです。」あります。現実はどうであれ、神こそ私たちの創造主です。そして私たちを造り替えることができる方です。イザヤは、神の創造の御業に目を向けていきます。9節には、「主よ。どうかひどく怒られないでください。いつまでも、咎を覚えないでください。どうか今、私たちが皆、あなたの民であることに目を留めてください。」と祈っています。神様こそ私たちを造り変えることができる方、また、私たちの罪を赦すことができる方で…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 皆さん、おはようございます。IBFで宣教メッセージを語らせていただく場にこうして戻って来られたことを感謝します。一年間のお休みを認めてくださったIBFの役員の方々に感謝します。おかげ様でこのお休みでリフレッシュできました。この素晴らしい教会で、準備万端、新しい気持ちでまたお仕えしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。 さて、今日からマルコの福音書を学んでいきます。実はマルコの福音書を二人のノンクリスチャンの英会話の生徒さんと現在学んでいるということもあり、選びました。登場人物や聖書の概念や用語など、聖書の背景を知らない方に聖書を理解してもらうのは難しいです。でも同時に、その生徒さんたちに寄添いながら共に学んで…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、旧約聖書のイザヤ書から19回目のメッセージです。前回、「あなた方は恥に代えて、2倍のものを受ける。」(イザヤ61章7節)とのテーマからメッセージを語りました。イザヤ61章1節から3節の言葉を引用して、イエス・キリストは、今日聖書のこの御言葉があなた方が聞いた通り実現しましたと語っておられます。そこには「神である主の霊が、私の上にある。主は私に油を注ぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者を癒すために、私を遣わされた。」と書かれています。主の恵みの年が始まったのです。誰でもキリストの福音を聞き、悔い改めて福音を信じるなら、主の恵みの年が始まるのです。主の恵みの年(新約の時代)に生きる私たちは、時にかなった…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら ①昨年の6月から7回に渡りイエスさまの語られた譬え話の箇所からメッセージを語らせていただきました。 ・2022年も、新しいシリーズで語るようにとの命をうけましたので、きょうからは「イエスキリストの公生涯」というシリーズで語ってゆきたいと思っています。  ・もし、皆さんが、このシリーズを、お休みすることなく聞き続けてくださると・・ 約三年半のイエスさまの、その公生涯の歩みの全体像が浮かび上がってくると思います。 ・そして、そのことが、皆さんお一人お一人の、信仰の基礎となってゆかれたら・・ そんな願いを込めて、準備し、語ってゆきたいと思っています。 〇第一回目は、マタイの福音書の4章のところです。 ・皆さんは、きょうの聖…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、旧約聖書のイザヤ書から18回目のメッセージです。前回、「永遠の誇り、代々の喜びの町」(イザヤ60:15)とのテーマからメッセージを語りました。シオンが永遠の誇り、代々の喜びの町と変えられる時がくるのです。これらの預言は、国を失い、バビロンに捕囚とされた方々にとって、どんなに希望にあふれた言葉であったろうかと私は思います。現在、このコロナ禍の中に生きる私たち信仰者にとっても同じです。いろいろな不安の中に生きる私たち神の民を、いつか永遠の誇り、喜びの町と神は呼んでくださるのです。神に愛されている者として、神のみ言葉を信じて歩んで行きましょう。 今日も、私たちは、十字架で贖いの業をなし遂げてくださったイエスを信じて…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、旧約聖書のイザヤ書から17回目のメッセージです。前回、「主は絶えず、あなたを導いて」(イザヤ58:11)とのテーマからメッセージを語りました。イザヤ58章には、形式的な当時の礼拝の姿が映し出されています。偽善の祈りと断食に対する神の非難のメッセージが語られています。しかし、今私たちは、十字架で贖いの業をなし遂げてくださったイエスを信じて歩んでいます。毎週、礼拝に集い、イエスに精一杯の感謝をささげています。形式的な断食の必要はもうありません。神に受け入れられるために、行いを誇る必要もないのです。神の恵みによって私たちは救われたのです。私たちの心を神はご覧になっています。そして、どんな小さな祈りでも神は聞いておら…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 今回は、旧約聖書のイザヤ書から16回目のメッセージです。前回、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」(イザヤ56:7)とのテーマから2回目のメッセージを語りました。イザヤは新しい祈りの家がユダヤ人や異邦人も含めて作られていくことを預言しています。終末の時代に生きている私たち信仰者は、新しい祈りの家で礼拝をささげています。教会こそ、祈りの家であり、聖なる宮であり、また神の御住まいです。新しい礼拝をささげる、それが新約時代に始まったのです。新しい礼拝、その視点から、当時のイスラエルの民の礼拝の現状を見てみたいと思います。イザヤ58章には、形式的な当時の礼拝の姿が映し出されています。偽善の祈りと断食に対する神の…
 
このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら 「あなたはどう読んでいますか」 ①きょうの聖書箇所は、当時の宗教指導者の一人が、「イエスを試そう」という、実に陰湿な悪意を持ちながら、 主イエス・キリストに近づいていった。そのときのことを記しています。 ・この宗教指導者は、旧約聖書の専門家でした。 彼は、主イエスに、このように質問します。 →「先生、何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」 ・この質問は、単刀直入で、一見とてもいい質問のように聞こえます。 しかし、この一見すばらしい質問の、その内容を注意深く見てゆきますと・・当時の古代イスラエルの 宗教指導者たち独特の、ずれた信仰観がにじみ出ています。  ・彼は、ここで、先ず「何をしたら・・」と言…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から15回目のメッセージです。前回と同じテーマからの2回目のメッセージです。イザヤは新しい祈りの家がユダヤ人や異邦人も含めて作られていくことを預言しています。それではユダヤ人の現状はどのようなものだったのでしょうか。56章9節から57章全体にかけて、堕落した指導者たちの様子や堕落した民の姿が表現されています。本当に悲しくなる内容です。しかし現状を正しく認識して、彼らも変えられることや、私たち異邦人も祈りの家に招かれていることを感謝したいと思っています。もう一度56章4節から12節までを読んでみてください。 7節でこのように表現されています。「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わ…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から14回目のメッセージです。前回私は、「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。」(イザヤ55:1)とのテーマで語りました。イザヤは、53章でイエスの十字架での罪の贖いの業を、54章では、回復の業が始まることを、そして、55章では、渇いている者はみな、水を求めて出て来いと、神が備えておられる救いを受け入れるように、さらに私たち信仰者に神ご自身を求めて生きるようにチャレンジしています。ところで、56章からは、第6部に入ります。救い主イエスの働きを預言した5部に続いて、第6部では、新しくなった民に向かって新しい礼拝に入るようにと語りかけます。新しい礼拝への招きは、イスラエルの民だけのものではありません。全世界の民に向かって語られています。その招きに応答して、礼拝…
 
①きょうの聖書個所には、主イエス・キリストの口から語られた、次のような譬え話が記されています。 ・あるところにぶどう園を経営している主人がいました。  この日、ぶどう園の主人は、労働者を雇う為に、市場に出掛けて行きました。    ・最初は、朝早く。 次に、朝の9時頃。 そして昼の12時頃。 更に午後の3時頃にも出掛けていって、労働者を雇い、ぶどう園に送ったのでした。    ・その後、この主人は、夕方の5時頃、市場に行ってみたところ・・何と、このような時間にも、まだ数人がそこに立っているではありませんか・・。    ・そこでこのぶどう園の主人は、彼らにこのように聞きます。「なぜ、一日中、仕事もしないで、ここにいるのですか?」すると、彼らは、「だれも雇ってくれないからです。」と答えるのでした。 …
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から13回目のメッセージです。前回私は、「永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」(イザヤ54:8)とのテーマで語りました。イザヤは、イエスの十字架での罪の贖いの業を53章で預言しています。そして続く54章では、エルサレムに向けて、回復の業が始まることが預言されています。誰も住まなくなった町、荒廃した町、エルサレムに向かい、喜び歌えと呼び掛けています。それは十字架での贖いの業が完成したからです。バビロンにとらわれて行った人たちも贖なわれ、回復の業が始まるのです。永遠に変わらぬ愛をもって、私たちを哀れんでくださる神ご自身が、この回復の業を起こしてくだるのです。続いて、55章では、神が備えておられる救いを受け入れて生きるようにとの招きのメッセージが書かれています。…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から11回目のメッセージです。前回は、「わたしを仰ぎみて救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ45:22)とのテーマで語りました。わたしを仰ぎみて救われよ。そのように、神様は全世界の人たちに向けて語りかけておられます。そして、救われて行く信仰者をイスラエルの子孫と呼んでくださり、主によって義とされる(25)と約束されています。イスラエルの子孫とは、神によって選ばれた真の契約の民のことです。それでは、神が用意しておられる救いとはどのようなものでしょうか。救いは、私たちの善行によって与えられるものではありません。神の子である救い主イエスの十字架での贖いの業によって、信じるすべての者に与えられていくものです。イザヤは、苦難のしもべの預言を通して、イエスの十…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から10回目のメッセージです。前回は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)とのテーマで語りました。救いは私たちの善行によって与えられるものではありません。私たちが救われたこと、それは神のご意思であり、神ご自身の恵みの業です。43章25節に、「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思いださない。」と神のご意思が書かれているからです。神が私たち一人一人を尊い者として見てくださり、神の愛ゆえに救いが私たちに与えられているのです。私は尊い存在、私は神に愛されている、そのような信仰告白を共にして行こうではありませんか。44章では真の神と偶像の神々の違いを述べています。真の神は私…
 
 自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。   パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』  一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』   あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。   だれでも自分を高くする者…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から9回目のメッセージです。前回からはイザヤ書の第五部に入りました。それは、40‐55章にあたります。その内容としては、主のしもべであるイエスによる救いが主に預言されています。40章では、全能の神によるシオンの救いが語られています。救い主が、私たちの羊飼いとなられ、私たちをふところに抱いてくださり、私たちに力を与えてくださるのです。イザヤは、その方と共に歩むように読者にチャレンジしています。41章では、解放者なる神の働きが預言されています。それは、後にメディアの王クロスがバビロンを征服し、バビロン捕囚からの解放をイスラエルの民に与えることで実現します。それも、「だれが、これを成し遂げたのか。初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。」(41:4)と語り、人ではなく…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から7回目のメッセージです。前回からはイザヤ書の第三部に入りました。それは、24‐35章にあたりますが、世界の裁きと、神の国の成立に関する預言が書かれています。イエスがもう一度戻って来られ、世界を裁き、悪を滅ぼし、シオンの山に立たれ、神の国がこの世に実現する。そのようにイザヤはこれらの箇所で預言しています。イエスはもう一度戻って来られます。そして、すべての民族、国々に、また、私たち一人一人に正しい裁きをなされます。前回語ったことを簡単に振り返ってみます。その日再臨のイエスは、特に弱い者、貧しい者のとりでとなられるのです(25:4)。さらに、イエスは、私たちのために最良の祝宴を開いてくださいます(25:6)。罪ゆえに苦しんでいた人たちの悲しみのおおいを取り去ってくださ…
 
ルカの福音書15章25節〜32節  ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。  それで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。  しもべは彼に言った。『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事な姿でお迎えしたので、お父様が、肥えた子牛を屠られたのです。』  すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。  しかし、兄は父に答えた。『ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹くださったこともありません。  それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠ら…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から6回目のメッセージです。前回はエジプトに向けて語られている宣告を学びました。諸外国への宣告は、13章から23章にかけて書かれています。その中から私は、バビロンに対しての宣告とエジプトへの宣告を取り上げてみました。神は民族の歩みをご覧になり、神の定めた時に、高慢な民を裁かれます。それだけではなく、悔い改める者には回復の道をも備えておられます。これは聖書の確かな約束であると思います。イザヤはさらに進んで、救い主が来られることで、絶対的な平和がこの世界にもたらされることを預言しています。参照イザヤ19:23。今回は、イザヤ書の第三部に入ります。それは、24‐35章にあたりますが、世界の裁きと、神の国の成立に関する預言が書かれています。大きなテーマですが、世の裁きは、反…
 
みなさんに二つお聞きしたい事があります。一つ目はみなさんは心の中で何か伝えたいもの、事があるでしょうか? 2つ目はそれはどのようにして伝えたいと思っているでしょうか? 現代ではネットの発展により、以前に比べて物事を伝えやすい環境にあるように思えます。例えばYoutube! 僕は高校まで野球をやっていたと言う事もあり、野球関係のYoutubeを見る時があります。その時に例えば、元日本ハムの片岡選手などはプロ野球の選手しかしらないようなニッチな情報をYoutubeを通して伝えてくれています。それが、また面白い。また、元巨人の上原投手なども同様なチャンネルを持っています。このように、以前は遠くの存在もYoutubeを通して今まで伝えられなかった事を伝える事が出来るようになりました。要するに発信する…
 
今回は、旧約聖書のイザヤ書から5回目のメッセージです。先週からはイザヤ書の第二部にあたる諸外国への宣告について学び始めています。この宣告は13章から23章にかけて書かれています。その最初はバビロンに対してのものでした。簡単に振り返ります。バビロンへの宣告の中心的な言葉の一つは、14章4-6節に書かれています。「しいたげる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ。彼は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、怒って、国々を容赦なくしいたげて、支配したのだが。」と。バビロンが主によって打ち滅ぼされたのは、彼らが、他の民をしいたげ、横暴に振る舞い、民を打ち、悪者であり、そのような支配者であったからであることが言及されています。この宣告…
 
今回は、「主が来られる時まで耐え忍びなさい。」(ヤコブ5:7)からの2回目のメッセージです。前回、主が来られる時まで、農夫や預言者、またヨブを手本として耐え忍びなさいとヤコブは励ましていると語りました。特にヨブの忍耐を手本にあげています。5章11節には、「あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」と書かれています。ヨブはなぜ自分が苦しまなければならないのか、その理由は分かりませんでした。しかしながら、苦しみを通して、神の摂理の大きさに気づいたのです。摂理とは、神学の用語で、神は前もって見ておられる、との意味を持つ言葉です。愛の神様が、永遠のご計画を、またご配慮を自分の人生に持ってお…
 
今回は、「主が来られる時まで耐え忍びなさい。」(ヤコブ5:7)からのメッセージです。主が来られる時まで、農夫や預言者、またヨブを手本として耐え忍びなさいとヤコブは励ましています。今日は、耐え忍ぶことについて考えてみます。ところで、前回は「主の御前でへりくだりなさい。」(ヤコブ4:10)とのテーマでメッセージを語りました。へりくだる者とは、自分の不完全さを認めて、神により頼み、神の与えてくださる救いを待ち望む者のことです。そのような者を、主は高くしてくださると約束されています。皆さん考えてみてください。私たちの命は神から与えられたものです。キリストを信じ、天国の希望を持ちつつ、救いの完成を目指して、日々歩む者、それが私たちです。その目的を見失うと、人生の挫折に直面することが多いのではないでしょ…
 
主イエス・キリストの語られた6つの譬え話 その1  ルカの福音書15章1節~7節 ①主イエス・キリストの語られた6つの譬え話から、神さまのメッセージを受け取ってゆきたいと思っています。 きょうは、その第一回として、「いなくなった一匹の羊の譬話し」の所をご一緒に読んでゆきたいと思います。 ・この譬え話は、当時の人たちのだれでもがよくわかる話でした。 また、現代に生きている私たちにとっても、この話はけして難しいものではありません。 ・100匹の羊を飼っていた羊飼いがいて・・、その羊飼いは、ある日、その羊たちを連れて野に出ていったのです。 しかし、しばらくすると、羊飼いは、その中の一匹がいなくなっていることに気づきました。 ・こういう場合、その羊飼いはどうするのだろうか・・この譬え話には、こういう…
 
今回は、「主の御前でへりくだりなさい。」(ヤコブ4:10)からのメッセージです。へりくだる、そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます、との約束が続いています。へりくだる生き方を学んで行きたいと思います。ところで、前回は「平和をつくる人になろう」(ヤコブ3:18)とのテーマでメッセージを語りました。私たちはイエスに出会い、罪を悔い改め、人生が変えられて新しい生き方をスタートした者たちです。神はそのような私たちを、平和をつくる人に、また義の実を結ばせる種を蒔く人にならせようとしておられるのです。平和をつくる、種を蒔く、そのような積極的な面を持ちながらも、いつでも主の御前でへりくだることのできる謙遜な信仰者でありたいと願っています。それでは、ヤコブの手紙4章1-17節を読んでみてください。…
 
今回は、「平和をつくる人になろう」(ヤコブ3:18)からのメッセージです。前回は「行ないのない信仰はむなしい。」(ヤコブ2:20)とのテーマでメッセージを語りました。特に、アブラハムの信仰から信仰と行ないは常に共に進むものであり、行ないのない信仰がむなしく、死んだものではとの指摘を受けました。今日は、行いに視点を置きながら、私たちの言葉に気をつけること、そして平和を造る人になるとのチャレンジを受けたいと願っています。それでは、ヤコブの手紙3章1-18節を読んでみてください。 3章1節では、「多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」と書かれています。教師は、人を教える立場にあり、言葉を大切にする職業です。優れた判断力を必要とします。…
 
 今回は、「みことばを実行する人になりなさい。」(ヤコブ1:22)からのメッセージです。前回からはヤコブの手紙を学び始めています。「試練に耐え忍ぶ人は、さいわいである。」 (ヤコブ1:12)からメッセージを前回語りました。試練に耐える、神からの知恵を求める、試練と誘惑の違いを認識する、そのような内容を語りました。本当に信仰は表に現われる、当然なことではと私は思いますが、口先だけではない、行動を伴う信仰を持ちたいと心から願っています。今回は、言葉に気をつける、兄弟愛を実践する、差別をしない、そのような内容を語っていきたいと思います。それでは、ヤコブの手紙1章19-2章13節を読んでみてください。 ヤコブ1章19節には、「あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語…
 
今回は、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(へブル13:8)からの2回目のメッセージです。いつまでも変わらないイエスがおられる、なんと励ましに満ちた約束の言葉ではないでしょうか。今日はこの箇所と、20、21節の祝禱(頌栄)のことばに焦点を置いて学んで行きたいと思っています。大祭司であるイエス、またイエスのなした贖いの業にも言及します。イエスは時代を超えて神の業を成してくださっている、その事実に気づき、ご一緒に感謝をする者でありたいと願っています。それでは、へブル13章8節と18~21節を読んでみてください。 ヘブルの作者は、大祭司であるイエスの姿を私たちに教えてくれています。特に9章と10章の中で、ただ一度との言葉を何度か用いて、キリストの贖いの完全性、永遠性を…
 
Today is the second Sunday of the Easter season. Easter season; a time when we recall and celebrate the resurrection of Jesus Christ. But it isn’t just so we can be filled with thanks and express that thanks to God. It’s a time when the church makes its boldest proclamation of all: Jesus is risen; he is risen indeed! This is our message to the worl…
 
 ハピー・イースター、そのようにご挨拶いたします。今日はイースター礼拝です。イエスが墓からよみがえられたことをお祝いする日です。イースターの喜びを共にしてまいりましょう。簡単にイエスの十字架での出来事と復活の出来事を振り返ってみます。マタイ27章33、34節には、「ゴルゴタという所に来てから、彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」と書かれています。苦みを混ぜたぶどう酒は苦しみを和らげるためのものです。それを、飲もうとはされなかったとは、イエスは、私たちの罪を赦すために真剣に十字架での苦しみを背負おうとされたことがわかります。さらに、ヨハネ19章26、27節には、「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『…
 
今回は、「よく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように」(へブル12:15)からのメッセージです。よく監督すること、そして神の恵みとは何か、に視点をおいて考えて行きたいと思います。前回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」とのテーマでメッセージを語りました。そのテーマの元、苦しみや試練の意味を考えてみました。神は私たちの益のために、苦しみや試練が起きることを許しておられます。ある意味、信仰者の人生も決して容易なものではありません。しかし、神の視点、新約の視点に立って自分たちの人生を見ると大きな慰めや希望が与えられます。旧約時代が終わり、イエスによって新しい時代が始まったのです。へブル書の全体のテーマを再考しながら、神の恵みに目を注ぐクリスチャンであ…
 
今回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)からの2回目のメッセージです。イエスこそ信仰の創始者であり、完成者です。イエスは、信仰の完成者となるために、十字架での苦しみを味わいました。その苦しみは、はずかしめを伴うものであり、4節にあるように、罪と戦って、血を流すまで抵抗した神の業でもあります。私たちのために苦しみを味わられたイエスに目を注いで歩んで行きたいと願っています。きょうは、苦しみや試練に焦点を当てて、神が苦しみを私たちに人生に起こることを許される意味を考えて行きたいと思います。それでは、へブル12章1-13節を読んでみてください。 1節の後半には、「わたしたちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」とチ…
 
今回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)からのメッセージです。イエスこそ信仰の創始者であり、完成者です。旧約聖書に登場する預言者たちも、メシアの希望を持つことによって、救われていったのです。ですから、イエスこそ信仰の創始者との言葉は、私たちにも旧約時代の信仰者にも関連する表現です。このメシヤの希望が、人となられたイエスによって、実現することになります。今日は、旧約聖書の中でも最も用いられた預言者の一人イザヤを取り上げて、彼が信仰を持って見た救い主の働きを考えてみたいと思います。彼も、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指した者です。ヘブルの作者はイザヤの名前を挙げていませんが、彼への言及がありますので、…
 
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