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主が来られる時まで耐え忍びなさい。

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今回は、「主が来られる時まで耐え忍びなさい。」(ヤコブ5:7)からのメッセージです。主が来られる時まで、農夫や預言者、またヨブを手本として耐え忍びなさいとヤコブは励ましています。今日は、耐え忍ぶことについて考えてみます。ところで、前回は「主の御前でへりくだりなさい。」(ヤコブ4:10)とのテーマでメッセージを語りました。へりくだる者とは、自分の不完全さを認めて、神により頼み、神の与えてくださる救いを待ち望む者のことです。そのような者を、主は高くしてくださると約束されています。皆さん考えてみてください。私たちの命は神から与えられたものです。キリストを信じ、天国の希望を持ちつつ、救いの完成を目指して、日々歩む者、それが私たちです。その目的を見失うと、人生の挫折に直面することが多いのではないでしょうか。それは、目的を見失った金持ちにその姿を見ることができます。それでは、ヤコブの手紙5章1-11節を読んでみてください。
5章1節には、「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。」と書かれています。ここに目的を見失い、お金の奴隷になり、お金を管理できない金持ちへの警告が語られます。本来、私たちはお金を管理し、与えられた富を用いて、神に仕え、人に仕える者です。第一テモテ6章17-19節を読んでみてください。そこには、「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。」と書かれています。私たち信仰者は、富を用いて神にまた、人に仕える者です。また、未来に備えて良い基礎を築き上げる者たちです。反対に、ヤコブ5章2-6節にあるように、富の奴隷となり、自己中心的な金持ちもいることは事実です。政治家の世界でも同じでしょう。一部の人の欲のために、人の命が軽んじられ、賃金の未払いが起こり、ぜいたくや快楽にふける金持ちも多いことは残念なことです。しかし、神の視点は明白です。彼らの富は腐っており、着物は虫にくわれており、金銀はさびが来ている。どんな金持ちも神の正しい裁きの前に立つのです。富は永遠ではありません。富は彼らにまことの命を与えることはできないのです。
5章7節は、こういうわけですから、と書き始めています。直接的には、金持ちたちに対応して、私たちクリスチャンに向けて愛情を持って語りかけています。「兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。」と。主が来られる。いつか天の雲に乗って来られるイエスを私たちは目撃するのです。全人類の審判者としてイエスはおいでになるのです。それが聖書の約束であり、私たちの信仰です。主が来られる時まで耐え忍ぶ、それは、消極的な忍耐ではありません。やがて訪れる希望ある忍耐です。忍耐、それは私たちだけのものではありません。ロマ書2章4節には、「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」と書かれています。神様ご自身が、慈愛と忍耐と寛容を持って私たち人類を見ておられるのです。神は、人類の罪に忍耐深くあられるのです。ですから、私たちも忍耐深くあれとヤコブは指摘をしています。主が来られるまで、耐え忍びましょう。その例にヤコブは3つの例を挙げています。
その最初は農夫です。7節には、「見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。」と続いています。貴重の実りを待ち望むのですが、秋の雨や春の雨が降るまでとあります。10、11月に降る秋の雨の前に農夫は種を蒔きます。そして、4月、5月の降る春の雨の時期に種が熟し始めるのです。農夫は、この雨が降るのを忍耐深く待つのです。神の備えてくださる雨の後に収穫が来ることを知って耐え忍ぶのです。この農夫と同じように、8節では、「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」と書かれています。私たちの人生にも神の助け、備えがあることを信じて待っていこうではありませんか。
2番目は預言者です。10節には、「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。」と書かれています。旧約聖書には多くの預言者が出てまいります。国が亡ぶ、民の罪を指摘する、そして、悔い改めを迫り、神の助けを待つように励ます。このような働きをした預言者が多くいたことが記録されています。イザヤやエレミヤもその内の一人です。神が備えてくださる新しい人生がある。救い主が生まれる。苦難の中でそのような希望を語り続けた預言者でもあります。私たちも、預言者を手本として、悔い改めの実(マタイ3:8)を結び、また聖霊の実(ガラテヤ5:22,23)を結んで行きたいと願っています。
11節では、ヨブの忍耐を取り上げています。「耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。」とヨブの人生を取り上げています。ヨブの試練の中での信仰告白を読んでみてください。具体的には、ヨブ1:21,2:10,13:15,16:19,19:25など読まれるとヨブの信仰に励ましを受けることができるのではと思っています。それだけではなく、ヨブは物質的にも前以上に回復され、何よりも、神の全能と摂理の秘儀とに対して深い洞察が与えられたことは、大きな祝福ではなかったかと私は思っています。参照、ヨブ42:1-6節。
さあ、もう一度、「主が来られる時まで耐え忍びなさい。」とのみ言葉に応答してまいりましょう。主は確かに戻って来られるのです。その希望を持って、耐え忍んでいきたいです。
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5章1節には、「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。」と書かれています。ここに目的を見失い、お金の奴隷になり、お金を管理できない金持ちへの警告が語られます。本来、私たちはお金を管理し、与えられた富を用いて、神に仕え、人に仕える者です。第一テモテ6章17-19節を読んでみてください。そこには、「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。」と書かれています。私たち信仰者は、富を用いて神にまた、人に仕える者です。また、未来に備えて良い基礎を築き上げる者たちです。反対に、ヤコブ5章2-6節にあるように、富の奴隷となり、自己中心的な金持ちもいることは事実です。政治家の世界でも同じでしょう。一部の人の欲のために、人の命が軽んじられ、賃金の未払いが起こり、ぜいたくや快楽にふける金持ちも多いことは残念なことです。しかし、神の視点は明白です。彼らの富は腐っており、着物は虫にくわれており、金銀はさびが来ている。どんな金持ちも神の正しい裁きの前に立つのです。富は永遠ではありません。富は彼らにまことの命を与えることはできないのです。
5章7節は、こういうわけですから、と書き始めています。直接的には、金持ちたちに対応して、私たちクリスチャンに向けて愛情を持って語りかけています。「兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。」と。主が来られる。いつか天の雲に乗って来られるイエスを私たちは目撃するのです。全人類の審判者としてイエスはおいでになるのです。それが聖書の約束であり、私たちの信仰です。主が来られる時まで耐え忍ぶ、それは、消極的な忍耐ではありません。やがて訪れる希望ある忍耐です。忍耐、それは私たちだけのものではありません。ロマ書2章4節には、「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」と書かれています。神様ご自身が、慈愛と忍耐と寛容を持って私たち人類を見ておられるのです。神は、人類の罪に忍耐深くあられるのです。ですから、私たちも忍耐深くあれとヤコブは指摘をしています。主が来られるまで、耐え忍びましょう。その例にヤコブは3つの例を挙げています。
その最初は農夫です。7節には、「見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。」と続いています。貴重の実りを待ち望むのですが、秋の雨や春の雨が降るまでとあります。10、11月に降る秋の雨の前に農夫は種を蒔きます。そして、4月、5月の降る春の雨の時期に種が熟し始めるのです。農夫は、この雨が降るのを忍耐深く待つのです。神の備えてくださる雨の後に収穫が来ることを知って耐え忍ぶのです。この農夫と同じように、8節では、「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」と書かれています。私たちの人生にも神の助け、備えがあることを信じて待っていこうではありませんか。
2番目は預言者です。10節には、「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。」と書かれています。旧約聖書には多くの預言者が出てまいります。国が亡ぶ、民の罪を指摘する、そして、悔い改めを迫り、神の助けを待つように励ます。このような働きをした預言者が多くいたことが記録されています。イザヤやエレミヤもその内の一人です。神が備えてくださる新しい人生がある。救い主が生まれる。苦難の中でそのような希望を語り続けた預言者でもあります。私たちも、預言者を手本として、悔い改めの実(マタイ3:8)を結び、また聖霊の実(ガラテヤ5:22,23)を結んで行きたいと願っています。
11節では、ヨブの忍耐を取り上げています。「耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。」とヨブの人生を取り上げています。ヨブの試練の中での信仰告白を読んでみてください。具体的には、ヨブ1:21,2:10,13:15,16:19,19:25など読まれるとヨブの信仰に励ましを受けることができるのではと思っています。それだけではなく、ヨブは物質的にも前以上に回復され、何よりも、神の全能と摂理の秘儀とに対して深い洞察が与えられたことは、大きな祝福ではなかったかと私は思っています。参照、ヨブ42:1-6節。
さあ、もう一度、「主が来られる時まで耐え忍びなさい。」とのみ言葉に応答してまいりましょう。主は確かに戻って来られるのです。その希望を持って、耐え忍んでいきたいです。
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