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Episode 15: 僕らの新戦争論。満州事変から原爆投下まで

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Topics:

00:00人類史上最悪の戦争犯罪・広島長崎への原爆投下とは?
05:00国際連盟脱退から「欲しがりません勝つまでは」の時代へ
15:14新国立競技場は現代の戦艦大和?フザけた国の予算にNOを言うべき
17:26早期降伏→「東日本共和国」と「西日本国」に分断していた可能性
28:00右翼だ!左翼だ!の前に、僕らが「歴史」を勉強すべき理由

今の日本があるのは第二世界大戦で犠牲になってくれた英霊達のおかげ?

どうも、ティミー玉手でございます。今日は8月9日ということで、8月6日の広島、そして8月9日の長崎への人類史上初・原子爆弾が使われた世界で唯一の2つの事例です。日本人として、またその時代の背景や僕らがそれに対して、どういったメッセージを受け取って発信しなければいけないのか?というのを語っていきたいと思います。

というのも数日前にツイッターで、「今の日本があるのは、第二世界大戦で犠牲になってくれた英霊達(戦争で亡くなった、いわゆる靖国神社に合祀をされている人達)のおかげ」という意見を見かけました。それは良い意見なのですけど、それに対して、「それは飛躍し過ぎだろ」とか「そんなに褒めるなよ」と言った意見もあります。もう一つ当時は、日本が戦争で負けた後も、東南アジアや色々な場所で、日本兵がまだ残っていました。ここからアジアの国々の独立運動が高まっていく背景の中で、日本兵もその戦いに参加していたという。残った兵士たちが独立の為にインドネシアで、例えばオランダを追い払ったという事実はあるんです。この辺りをまずどう捉えるかっていうので、右翼か?左翼か?みたいな話にもなってくるんですけど。

人類史上最悪の戦争犯罪・広島長崎への原爆投下とは?

まずは色々な情報、角度、視点から考えてみようと思います。まず忘れてはいけないのが8月6日と9日の広島と長崎へ原子爆弾投下です。広島はウラン型(リトル・ボーイ)、そして長崎はプルトニウム型(ファットマン)。2つの爆弾の種類を使用したということです。いずれも市民の頭上にウラン型を落とすのも、プルトニウム型を落とすのも初めてです。まずこれは最大の戦争犯罪です。なぜアメリカが裁かれないかというと、単純に戦勝国だったからです。日本を統治して東京裁判をやって、それは事後裁判の様な形でした。だから裁かれてないだけなんです。

ここで、第二世界大戦の背景をよく理解する必要があります。当時は戦争は普通に合法だったんです。つまり兵隊さん同士が軍服を着て、宣戦布告だなんだってやるのはOKだったんです。それは関ヶ原の戦いみたいなもんで、お互いノボリを立てて、鎧を着て、関ヶ原に集まって戦をした結果で、ここの領主が変わった・変わらないという事はあったんです。それは外交を解決する手段として。日本は極東(Far East Asia)と言われていた位、地理的にまだそこまで外国の勢力が届いていませんでした。蒙古襲来などはありましたけど。それで決定的になったのは、浦賀に黒船4隻が大砲を向けて日本に来て、「ペリーです。開国してくださーい。あっ?そうですか。じゃ、1年後、また来まーす!」という感じで、教科書とか歴史の漫画に出てくるかもしれませんが。まあやっぱそこは”提督ペリー”ですから。おそらくマフィアの親分みたいな奴だったと思うんです。要するに、「…そろそろ日本もよぉ、国を開けろと。1年間の猶予やるからよぉ。じゃないと、、、分かっているんだろうな?」と言ったその4隻の黒船には、キラリと大砲がこっち向いて(脅して)いたという状況で、日本は良くも悪くも外圧で大きく変わってきた国ではあるんです。

当時はそういった形で、フィリピンがスペインやアメリカに取られたり。中国も(香港などを)奪われていたり。ちなみに今の中国というのは戦後に出来た国で、その頃の歴史だと中華民国。今現在の大体5-6割の領土を抑えていて、満州などは対応が甘かったんです。その中華民国を含めて、もうボロボロにアジアがやられてたわけです。イギリス、アメリカなどの欧米列強からのアジアの植民地支配。とくに有名なのはイギリスのインド支配ですが、そういった状況の中で日本はペリーさんに開国を迫られてから、維新志士(つまり坂本龍馬など)が一気に動いて富国強兵の明治政府というのを樹立します。そして、その当時のトレンドである軍国主義に乗ったわけです。アジアで初めて近代化に成功して、その後、日露戦争で初めて白人の国に勝ってしまって、そこからも一気に、軍事拡大路線を突き進んでいくのですけど。

国際連盟脱退から「欲しがりません勝つまでは」の時代へ

まず時代背景として、日本はですね、どうしてもこの太平洋戦争とか第二次世界大戦と先の戦争を呼びますけど、それはかなり後からの言い方で、当時は大東亜戦争と言っていました。「太平洋戦争」と言われる期間は、いろいろ言われてるんですが、「欲しがりません勝つまでは」と言ったスローガンや神風特攻隊みたいな本当に厳戒態勢になったのは昭和16年から残りの4年間。当時の日本にも特高(特別高等警察)という秘密警察みたいな奴らがスパイだなんだと、市民をしょっぴく(連行する)結構な暗黒時代でした。そういった組織が存在していたのです。本当に日本が、「欲しがりません勝つまでは」の空気になったのは、終戦の1年半から2年間ぐらいかと言われているんです。もっと言うと、その太平洋戦争だけをピックアップするんじゃなくて、当時の印象で言うと1931年から15年戦争と呼ばれてて、満州事変や日中戦争など日本にとっては、15年弱のダラダラした長期に渡る戦争シーズンだったのです。

要するに、イギリスやアメリカを見習って、当時の日本軍は「外国に領地を持つということに希望を抱いた」のです。当時は当時で、日本列島の経済も大した産業は育っていませんでした。製糸産業や蚕などそういった産業がちょっと輸出してる程度の状態で、経済は細々していたのです。軍隊は早急に作り上げて、成長はしていたのですが。そこからの長い15年戦争の始まりでした。結局は日露戦争に勝って、ソ連が当時攻めていた今のハルピンやモンゴル近くのエリアに「満州」がありまして。その満州にご鉄道が走っていて、それの権利をソ連から譲り受けて、そこから関東軍という日本軍の陸軍がですね。中国の北部の寒いぐらい地域に進出したのが関東軍。そこが満州国、ラストエンペラー・溥儀(ふぎ)を皇帝に傀儡政権を樹立。それが後の大東亜共栄圏と言った話に繋がってくるんですけど。ちょっと中国が手が届かない地域に日本軍が駐留して。実際、満州国には日本から移住させていたりもしました。日本人が普通に住んでいたんです。町や村を作るくらい沢山人が居た。そういった背景から、だいぶ端折りますけど、リットン調査団みたいな話です。

今で言う国連ですね、国際連盟が「ちょっとちょっと!満州国ってどうなってんだ?」と。そしてリットン調査団自体はとても緻密な仕事をしたと言われていて、要するに中国側からのヒアリング、日本側にもヒアリングをしてきちんとした資料を出したと言われています。それを当時の松岡外相が、「それは日本に対して不当じゃないか!」と言って、「フ○ック・ユー・オール」とまで言ったかは分からないですけど、最後に国連の舞台で演説して、日本だけ反対1票、残りの国はすべて賛成みたいに状況になって、「なんだこれは!」と途中退席。そうしたら当時、新聞などで「勇気ある退席」と褒め称えていました。どういう事かと言うと、国際連盟が出した結論が、満州国は国際連盟預かりにしろと統治は日本でやってもいいよっていうルールを貰った。それに対して「そんな、ふざけるな!」と、日本は相当に頭に来て。当時、これは本当はどこの国もやっていたと思いますけど、その辺りでアヘンの密売とか。結構、色々と関東軍がギリギリでグレーな形で戦費を集めていた事実はあるんです。

「名誉白人」になった日本人が取るべきだった行動とは?

「思っていた様な利益を得られなかった、これは差別だ」と。日本はその前から、人種差別撤廃など色々と国際連盟の中で平等にしていこうっていうメッセージは発信していました。そこは実際、自分達も不利益を被るので。「人種差別は無くして行こう」と発言は積極的だったんですが、ことごとく当時の世界からは受けられなかった。ここでやっぱり意識しないといけないのは、日露戦争に勝って、要するに当時の日本というのは、名誉白人(ぷっ)みたいな感じだったんです。基本、白人だけの世界だけど、「日本は明治政府でカチっと軍隊を作って、そこそこちゃんとやっているので、特別にアジア人だけど仲間に入れてやる」ぐらいの。日本はそれを真正面に受け取ってしまった。一番最初にアジアでヨーロッパ式の軍隊持って目立っていた国なので、叩かれやすい存在みたいな感じだったと思うんです。それでドンドンと孤立して。ヨーロッパ人のやり方というのは何でも契約社会です。自分たちがアヘンなどを一方的に売りつけて、「なんだこの野郎」と言って契約書を書くということを一応建前上はやるんです。そこは一つずる賢いんですよ、アジアの国々に比べて。ちゃんと攻めても良い理由を作って、(それは結局、侵略なんだけど)契約書みたいなものをこしらえたりする手間をかけるんですヨーロッパ人は。日本も幕末の志士がワシントンまで船で向かって、途中で天皇の国書が無いなら戻って取りに行ってこいと言われて、何人かだけ日本に帰国させてと何カ月も外交交渉の足止めを食らったりと。当時は国際法とか海洋事故の争いとかを裁判にかけるみたいな時代。日本は本当にヨーロッパ式の欧米列強の契約社会に苦戦しながら、それも含めて戦っていた時代。日本のHeadache(頭痛)というのが、ずっと平等条約を解消するといった様なそういった契約社会の理詰めの書類の波に揉まれていきました。結局、満州国を作ったのに、否定されたというか賢く振る舞うことが出来なくて、結局孤立して、今の北朝鮮の様な状態。もう国際連盟脱退してきたわけですから、そこまでが時代背景としてありました。

最初に挙げた議題ですけど、「日本軍の決死の抵抗があったから、今の平和な日本があるっていうのがイエスかノーか?」みたいなことでやり合ってるんですけど。その答えでいうと、当時の抵抗があったから今と全く同じ形があるっていうのはさすがに飛躍かもしれないけれども、やっぱり戦争っていうのは悪あがきとか抵抗とかお互いの国が戦った上にある講和なんです。日本で言ったら、この場合はポツダム宣言だったのですが、それだと天皇制を残すか残さない、国体の維持かそうじゃないか。戦った先にどういった条件で戦争を終えるかみたいな話なんです。アメリカと戦った時だって、最初は真珠湾を奇襲攻撃して、半年〜1年の講和を結ぶみたいな気持ちでやっていた層もいたぐらい戦った先にある契約社会なのです。なので、もしヨーロッパ戦線と同じタイミングやもっと早い半年や1年ぐらい前に何かしらの講和が打てたのではないかみたいな話もありますが、やっぱり国体護持が一番大事だというんで、その調整が最後までつかなくて、さらに数カ月ももたついてしまった難しい判断だったようです。国内にもいろいろな世論があった。

日本が全力で戦わなった場合の歴史のifとは?

もし日本が最後まで抵抗しなかった場合を考えてみましょう。実はその後、アジアの国々も独立して、日本が日露戦争でロシアに勝った活躍がそのままアジアの国々に勇気与えてみたいな。そして戦争後も、現地残ってヨーロッパ人をやっつけてそれが全部今に繋がったかというと、そんな単純な話ではさすがにないと思うけれども、最初に言ったように、実際に残って戦った人もいるし、戦争ってそんな一口で、語れないんですよね。さっき言ったように、日本軍と言っても、要するに陸・海・空、それぞれ今の国会の予算で揉めてるようもんで、陸海空で予算を取り合ってすごい仲悪かったんです。もちろん、海軍(戦艦大和などの軍艦)に空軍の護衛が付くといったことは戦略上やりますけど、それにしても予算を分捕ってくる所から実は、軍はきちんと連携していなかった。プラス内閣との関係もあった。兵士は中隊長ぐらいまで、つまり中原中将みたいな中隊将はものすごく優秀だけど、そこから上のリーダー・幹部クラスには政治闘争があった。陸軍で言えば関東軍が、中国の方でだいぶ戦線を広げてしまった。戦線を拡大するというのは、物資補給などの問題にも関わってくるので、広がりすぎてしまうのは難しいのです。

逆に自分たちでエネルギーとか資源でも鈴とか取りに行った南方は、後に「死の行進」と言われるジャングルに行ってしまい、ほとんどみんな風土病(マラリアなど)や餓死で死んだり。だからそこは本当にトップの人達に対して戦争責任、とにかく戦線を拡大しすぎ。下はもう意味のないジャングルで殆どの兵士が餓死で死んでるとか。色々とバラバラで戦線が拡大し過ぎたという状況。アジアのその後の独立に役に立ったか?というとPartly True(部分的には正しい)だと自分は思っていて。けれどもそれが全てではない。というのは、植民地支配はいずれにせよ宗主国と第二国民みたいな形の統治体制から、もっと建前上は独立国にさせて、それ以外にも例えば中央銀行を作って、植民地から利子を取るとか。あとはイギリスやヨーロッパがアフリカにやったやり方なんですが、衛星放送ひまわりみたいな衛星からの画像の使用料で、それで年間500億円位の額を請求したり。そういった形で上手に金融や社会インフラみたいなものに対しては早めに投資という形で、有利な条件でアジアとかアフリカの国から分捕ろうという。そんな単純な戦争じゃないんです。200万人以上が死んで、最後の4年ぐらいの太平洋戦争と言われる部分だけが言われますけど、やっぱ盧溝橋事件とか南満州事変からの長い15年戦争の最後の最後で、二つの原子爆弾が決定打となって「負けた」んです。

新国立競技場は現代の戦艦大和?フザけた国の予算にNOを言うべき

当時は、爆撃機がアメリカでいうB29が爆弾を積んで飛んで何キロぐらい(2,000キロとか)飛んで、爆弾を落として戻ってくるという距離の問題が大きかったのです。日本は東京大空襲などが始まるまで、本土攻撃されるまでっていうのは、例えば硫黄島(いおうとう)ですね。戦後なぜか硫黄島(いおうじま)と呼ばれる島が、一番激しい戦闘になり、アメリカ軍の戦死者も一番多く出たという戦いだったんですけど、要するに硫黄島をアメリカに取られてしまうと硫黄島からだと、東京を爆撃して戻って来れるようになるんです。だからあの島を取られたら本土攻撃が始まるというので、一番カードを固めた。本当にジャングルに何十日と潜伏して、最後は総力戦になってて食べる物も全て尽きて。その後で、(有名なシーンである)星条旗を掲げられてしまって、最後そこを陥されてから、そこからB29が直接飛べる様になった。その反面、戦争のトレンドって日本がちょっと古くて、戦略上のミスもしているんです。例えば戦艦大和。戦艦大和を作った時、世界最強の軍艦だったんです。そんなのを作ったら国際社会から怒られるので、普通の軍艦2隻作りますって予算をフェイクして。それで実際は二隻の予算を合わせて、一隻のどでかい大和を作って。当時最強だったんですが、その頃には世界のトレンドは、そんなバカでかい軍艦を作るんじゃなくて今の空母、つまり爆撃機を海路で運んで海上基地みたいなものに移っていって。日本は日露戦争でバルチック艦隊を打ち破ったって海軍の成功体験があったのかもしれないですけど。

日本は、ただでさえ長期に渡って戦争してて。10年以上戦争してるところに、国家予算の何割というお金を割いて、戦艦大和を作っちゃったんです。大和は一応、その後1回ぐらいぶっ放す機会はあって、その戦いは成功したんですけど、でもその次に出た命令はもう身代わり、特攻命令です。つまり大和に3,000人〜4,000乗り込んで座礁、その場に停まって、もう空に向かってひたすら打ちまくるという「1億総特攻時代の先駆けになれ!」って言われて。要するにここからもっと総力戦になるから、まずお前らが4,000人ぐらいの命使って見本を見せろと。これ、「死ねっ」ってことです。座礁しているから案の定、魚雷もガンガン打たれるんです。空軍もほんのちょっとの護衛しかいなかったんで。

つまりここから学べる事っていうのは、当時国際社会にフェイクして書類偽造して、国家予算の1割〜2割というとんでもない金額を借金して作った大和も最後にはちょっとした敵の足止めにしかならなかったという事実。それで乗組員4,000人の命と戦艦大和を失ってるんですよ。それって今の俺らの世の中、つまり公共事業とか。ふざけた東京オリンピックの予算みたいな話ですけど、そういうものありませんか?ってこと。国立競技場の2,500億円みたいなあまりにもふざけた金額で結局、大して使い道がないってことを日本政府は時々やるんですよ。そのふざけた予算に対して「あー、軍艦大和っぽい」という意識を持った方が絶対に良いと思いますね現代人。

日教組は嫌いになっても設立理由は嫌いにならないで下さい。

そして飛行機の距離なんですけど、硫黄島を取られた事によって、本土攻撃が本格的に始まって。当時は、もはや軍事施設を見ても木で作った飛行機をおいて、まだ戦力がある様に見せていたり、本当にそういうことをやっていたぐらいもう物資も足りてなかったんです。当時、GDPで言えば10倍以上のアメリカは、その圧倒的な工業力の差もあったので。しかし当時、凄い人たちいて、日本もそんなにやられっぱなしでも無く、100機ぐらいはB29を上空で落としてるんです。その落とし方も凄くて。ゼロ戦が出来た当時は、速くて、軽くて、パイロットの腕も良くて恐れられたんですけど、戦争末期になってくると敵の戦闘機の性能も上がってきて。大体ゼロ戦は上空8000m – 8500m辺りを飛ぶんですけど、B29は10000mから飛んで来るんです。まず飛ぶ高さも違う所から、無理やり上昇して後方から体当たりして直接、落とすみたいなことやってたんです。体当たりして、自分も落ちるんですけどそれはバンジージャンプみたいな感じで、パラシュート揺すって。それで2回も生還したみたいなそんな手柄の軍人さんもいたという。

こういうふうに、武勲(戦争の手柄)みたいな事を話すと、「軍靴の足音が聞こえてくる」と言ってくる人もいるんです。日教組とか。日教組もちゃんと未来の人に向かって伝えておかないと。日教組、つまり先生達の組合みたいなもんで、地域差にもよるんでしょうけど、そこに入る先生もいたりいなかったりで、君が代で立たないみたいなそういった思想も学校に持ち込んでるみたいなイメージですけど。一応、日教組の人たちの加入率、どれくらいか地域で違うと思うんですが、20%ちょっととか。昔はもっと高かったみたいですけど、要するに「優しい人達」なんですよ。なぜ日教組がああいう風になったかというと、ドンドンドンドン子供たちが戦場に送られて、教室にいた子供たちが戦場にドンドン送られていくからと。もっと言えば、その教室も爆破されて、青空教室をやることになってしまって、その青空教室をもう2度とやらせない為に戦争を美化しないって思想の人達なので、そこは設立の意気込みみたいなものはですね。あまりよく思っていない人も沢山いるっぽいんですけど、そこは絶対知っておいた方が良いと思います。

そこで、アメリカは物凄いお金をかけてマンハッタン計画という、物凄くお金をかけて原子爆弾を完成させて。砂漠とかでドカーンドカーンと実験して。当時はですね。ソ連というのは、第一世界大戦に殆ど参戦していなくて無傷だったんです。第二世界大戦はドイツに最初、攻め込まれるんですけど、最後に参戦してきたアメリカと一緒に、ドイツ、イタリア、日本を叩いたという形になって。今の時代からするとちょっと変に聞こえるかもしれませんが、第二世界大戦中はアメリカとソ連っていうの実は同じチームだったんですね。当時は第二次世界大戦とは言ってないでしょうが、この戦が一段落したら、のちに揉めるだろうっていう利権争いみたいなバチバチが始まってたっている状態だったんです。最初の質問ですが、もしも日本が仮に、戦死者・民間人も含めて200万人以上っていう犠牲を出して、あとは知られてる話だと神風特攻隊とか。そういった自爆攻撃に走るぐらいのことまでやる手前で戦争を止めてたらどうなったんだという事に関して、こういった考えも出来るんです。

早期降伏→「東日本共和国」と「西日本国」に分断していた可能性。

つまりその後のソ連とアメリカのイデオロギーによる「共産主義と資本主義を進めるんだ!アジアにも持ち込むんだ!」っていう政策。歴史を観れば、朝鮮半島が北と南。北朝鮮と韓国。そしてベトナムも、ベトナム戦争が泥沼化して、北ベトナム政府に対して、南ベトナム政府と別れたんです。要するに日本も実際ですね、日本が敗北が決定的になったら(広島と長崎に原子爆弾を落とされた後)、北方領土からソ連が攻めてきて、アメリカは沖縄の方から攻めてきて、東日本と西日本が分断されていた可能性もあります。東日本はロシアによる傀儡政権。西日本はアメリカの影響受けて民主化というので、今の韓国みたいな感じかと思いますけど、ハリウッド映画やビートルズが入ってきたりという形になっていたかも知れない。多分、西日本の首都は大阪か京都。東日本は、おそらく東京、もしくはちょっと下がって仙台辺りが首都に。もう東北の人とか今の北朝鮮の兵士を見ているような軍国少年まっしぐらだった可能性があるんです。もう自分なんて仙台辺りだったらもう軍事パレードでですね、高々に足を挙げて、「よし!テレビに写ったぞ!」と言っていたかも知れません。そういった未来が予想されていたんです。だからその戦争を美化はしないけれども、やっぱり戦争っていうのは、激しく抵抗した後にある講和なんですよ。ヨーロッパ人とのペーパーワークが残ってる。そこで国体を維持出来たわけですから、今の天皇制が英霊達が頑張ってくれたことによって。もっと言ってしまったら沖縄はアメリカに1970年代までアメリカンにさせられてしまったんですけれども、東日本と西日本に分かれるのではなく、北海道から(沖縄以外ですけど)、日本の端から端まで統一した政権で、統一した国民国家になって戦後の復興が出来たという事実は正しいと思ってね。歴史のifを無理やりリターンするみたいな感じなんですけど、そういった時代背景だったっていうことを終戦記念日に向けて伝えておきたいです。

広島は当時35万の人口で、落とした瞬間で15万人が犠牲に。その後も原発病などでトータルで30万人の方々が、原子爆弾により広島で亡くなっているし、長崎だって当時まだ24万人の都市で、75,000人以上が即死してるんです。1/3以上の人口が一瞬で亡くなり、その後も10万人〜15万人の方々が苦しんだという最大の戦争犯罪です。「民間人を襲う」ということが。ここ凄く大事なんですけど、民間人まで攻撃し出したら畜生になってしまうんです。例えば日本の壇ノ浦の戦いとかね。源氏と平氏がドンパチやってる時に、そこを船を漕いでる水夫とか撃っちゃうと思う元も子もないんです。もっと言ったら、兵隊をいくら殺してもどんどんどんどんこの日本軍が来ると。だったら女・子供、つまりその根っこから絶ってやれという思想なんです。それが如実に現れたのが、原子爆弾です。つまりもいくら日本兵を海、陸、空で倒してもドンドンドンドン生まれてくると。当時の出生率も軍国主義というのは兵隊さんが必要ですから。それで結局、民間人だと東京大空襲も原爆と同じ位ですよ。当時アメリカ軍は、ちゃんとその計算を緻密にしているんです。それこそ砂漠とかね。インディアン居住区みたいな所に、日本家屋(木と紙と障子と襖みたいなサンプル)を作ってですよ。そこに焼夷弾という燃え移る「火事だー!」みたいな爆弾をどうしたら綺麗に燃えるかみたいな実験もしているんです。

結局、外側から攻撃して逃げられないようして、10万人とかが一晩で焼死しているんですよ東京。焼け野原ですよ。最大の戦争犯罪です。民間人を狙うっていう禁じ手をやって日本が降伏したという、それ程までの消耗戦だったんです。

デパートで南京陥落大セールが開催される時代の空気

当時は今でいう「良い会社に入って出世しなさい」という風潮と同じように、兵隊さんになって日本を救う、日本を守るんだみたいなのが当たり前の時代。軍国少年を生み出していた教育の時代なんで今と比べてもしょうがないんですよ。歴史とは、先人たちが残してくれたヒントが必ずこう残ってるんで、命がけというか死してなお残してくれたメッセージがあるわけじゃないですか。だからなるべく公平に、歴史を見るときに当時の常識に戻るって事が大切です。何故かというと、今の常識で考えたらやっぱりとんでもなくエグい話にしかならないんです過去の話は。その過ちがあって、法律などが整備されたり、秩序が変わってたりっていうことになっているので。当時は(朝日)新聞とかに、「何人斬りをした!」など、誇張した話もあったんですけど、そういう風に武勇伝が載ってフー!フー!言っていた時代です。例えば、日中戦争が終わって南京陥落した!というニュースが流れたら、それこそ東京・銀座では、「南京陥落大セール!」みたいなものが開催されていたんです。今でいうならソフトバンク優勝しました!ダイエーセール!みたいなことやってた時代だったので、時代の空気が違うんです。そこになるべく当時の人の常識を持って、公平に見なかったら歴史が悪く利用されちゃうんです。その日本人じゃない人とかが「こんなことやってただろう!」って。それは当時の歴史(時代の情勢)も含めて、もちろんアメリカもやってたイギリスもやっていたという事は沢山あって。さらにこの話に結論付けるとしたら、負けちゃうと当時、その最初に関東軍がアヘンの密売をやっていたという話も、他の中国に進出したヨーロッパの国も(おそらく)やってたけれども、勝ってしまったら隠蔽できるし、負けた方に押し付けられてるんです。勝てば官軍っていうのが戦争による結果なんです。

だから第二次世界大戦で日本人が満州事変から始まる15年戦争で学ばなきゃいけないってことは、「先人にまずは感謝する」ってことです。当時は隣の国とか日本も出かけて行ってやってましたけど、軍隊が負けたらどこかの国の支配下になって、第二国民みたいな搾取が始めるって時代を生きていたので。もちろん神風特攻隊で死んだ人も、自分たちの故郷って書いて「クニ」、つまりふるさとの自分のおっかさんとか妹とかが米兵に強姦されたり、やられないようって。それだったら俺の命を!って。そういった尊い精神で臨んだ兵士達もいるし、日本軍も色んなとこに散らばって、本当にそのスローガン・「大東和共栄圏」、つまり皇軍と言って、天皇に仕えるホーリー戦士なんだと。実際にそういう風に育って現地に残って戦った人もいるんです。それも全部がね、その大東和共栄圏を作るんだ!っていう理念もあるにはあったり。けれども、それが全ての軍隊までには行き届いていたわけではないっていうのが自然な歴史の解釈だと思うんです。

右翼だ!左翼だ!の前に「歴史」を勉強すべき理由。

戦争末期に関しては、右翼っぽい人が集める資料も左翼っぽい人が集める資料も、それはそれでいいんですけど、まずは両方目を通して、そして自分なりに一人ひとりが結論を付けて。という作業をやっていかないと、繰り返してしまうんですよ戦争を。戦争は最終的には、憎しみしか産まないんで。それを回避するためにもっと外交力磨いたりという努力をやっていかないといけない。日本人にとって非常にセンシティブな話題なんですけど、もちろん「日本が戦略的に負けた」とか「調子乗った」とか「戦線を拡大し過ぎだ」等、いろんな角度で語れるのが、あの長い15年戦争なんです。イデオロギーだけじゃなくて、まずはあの当時の背景に戻って考えてください。「右翼・左翼である前に歴史家であれ!」っていうのが自分のスタンスです。その歴史をジャッジとか批判の資料みたいに思ってたら、もう本当ひたすら叱りたくなっちゃうコンテンツなんです。

でも当時の常識に戻ったら軍人さんが取った行動ってのは、今の僕らの「良し」とされてる空気と何も変わらなかったもしれないし。もちろんその他国を占領して恨まれちゃうというのも含めて、それはそれで戦略的に負けてるんですね。あれだけ犠牲者を出して、それによって今があって。東日本・西日本の分断国家みたいなリスクまで含めて、今の日本があると。歴史にifはないんで、誰もそっちが良かったとか比べることできないんですけれども、やっぱり今の形を築いたというのは違いじゃないと僕は持ってますね。つまり、200万人が戦死してるんですね。軍人も民間人も。200万通りかそれ以上の悲しみだったり解釈ができる長い戦争。太平洋戦争ってのは戦後、GHQが軍事ワードだっていうんで禁止して、当時の人達からすると「ちょっと、白人さん。差別きついで、もうちょいお願いします」っていう意味もちょっと込めた大東亜戦争っていう名前で、そこに挑んだ英霊達の話だったんですけれども。

もちろん主義主張や誰のイデオロギーも何も否定しないんですけど、やっぱり当時の時代背景というのはもっと自分達が歴史を語る時に、もっと勉強して語るべきだと思う。そういった時代に翻弄されたり、時代のせいで命落とした人達に対して、弔う気持ちがないことは絶対におかしいと思うので。そういった過ちも含めて人類史というのは、「Life goes on(それでも人生は淡々と続いていく)」のです。200万通り、それ以上の解釈ができる長い大戦だったんですけども、戦後73年、2018年に生きる皆様の先の戦争に対する印象や意見ですとかそういったものを、このコメントでもツイッターでもいいですけれど、共有できる話があったら是非シェアしてあげてください。それではまた。

最後まで読んでくれてありがとうございます!

前回のエピソード(Episode 14: ハッピープライド!LGBTQについて語ります。)はこちらになります。

Episode 14: ハッピープライド!LGBTQについて語ります。

次回のエピソード(Episode 16: ブログやSNS発信を始めるコツとメリット)はこちらになります。

Episode 16: ブログやSNS発信を始めるコツとメリット

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今の日本があるのは第二世界大戦で犠牲になってくれた英霊達のおかげ?

どうも、ティミー玉手でございます。今日は8月9日ということで、8月6日の広島、そして8月9日の長崎への人類史上初・原子爆弾が使われた世界で唯一の2つの事例です。日本人として、またその時代の背景や僕らがそれに対して、どういったメッセージを受け取って発信しなければいけないのか?というのを語っていきたいと思います。

というのも数日前にツイッターで、「今の日本があるのは、第二世界大戦で犠牲になってくれた英霊達(戦争で亡くなった、いわゆる靖国神社に合祀をされている人達)のおかげ」という意見を見かけました。それは良い意見なのですけど、それに対して、「それは飛躍し過ぎだろ」とか「そんなに褒めるなよ」と言った意見もあります。もう一つ当時は、日本が戦争で負けた後も、東南アジアや色々な場所で、日本兵がまだ残っていました。ここからアジアの国々の独立運動が高まっていく背景の中で、日本兵もその戦いに参加していたという。残った兵士たちが独立の為にインドネシアで、例えばオランダを追い払ったという事実はあるんです。この辺りをまずどう捉えるかっていうので、右翼か?左翼か?みたいな話にもなってくるんですけど。

人類史上最悪の戦争犯罪・広島長崎への原爆投下とは?

まずは色々な情報、角度、視点から考えてみようと思います。まず忘れてはいけないのが8月6日と9日の広島と長崎へ原子爆弾投下です。広島はウラン型(リトル・ボーイ)、そして長崎はプルトニウム型(ファットマン)。2つの爆弾の種類を使用したということです。いずれも市民の頭上にウラン型を落とすのも、プルトニウム型を落とすのも初めてです。まずこれは最大の戦争犯罪です。なぜアメリカが裁かれないかというと、単純に戦勝国だったからです。日本を統治して東京裁判をやって、それは事後裁判の様な形でした。だから裁かれてないだけなんです。

ここで、第二世界大戦の背景をよく理解する必要があります。当時は戦争は普通に合法だったんです。つまり兵隊さん同士が軍服を着て、宣戦布告だなんだってやるのはOKだったんです。それは関ヶ原の戦いみたいなもんで、お互いノボリを立てて、鎧を着て、関ヶ原に集まって戦をした結果で、ここの領主が変わった・変わらないという事はあったんです。それは外交を解決する手段として。日本は極東(Far East Asia)と言われていた位、地理的にまだそこまで外国の勢力が届いていませんでした。蒙古襲来などはありましたけど。それで決定的になったのは、浦賀に黒船4隻が大砲を向けて日本に来て、「ペリーです。開国してくださーい。あっ?そうですか。じゃ、1年後、また来まーす!」という感じで、教科書とか歴史の漫画に出てくるかもしれませんが。まあやっぱそこは”提督ペリー”ですから。おそらくマフィアの親分みたいな奴だったと思うんです。要するに、「…そろそろ日本もよぉ、国を開けろと。1年間の猶予やるからよぉ。じゃないと、、、分かっているんだろうな?」と言ったその4隻の黒船には、キラリと大砲がこっち向いて(脅して)いたという状況で、日本は良くも悪くも外圧で大きく変わってきた国ではあるんです。

当時はそういった形で、フィリピンがスペインやアメリカに取られたり。中国も(香港などを)奪われていたり。ちなみに今の中国というのは戦後に出来た国で、その頃の歴史だと中華民国。今現在の大体5-6割の領土を抑えていて、満州などは対応が甘かったんです。その中華民国を含めて、もうボロボロにアジアがやられてたわけです。イギリス、アメリカなどの欧米列強からのアジアの植民地支配。とくに有名なのはイギリスのインド支配ですが、そういった状況の中で日本はペリーさんに開国を迫られてから、維新志士(つまり坂本龍馬など)が一気に動いて富国強兵の明治政府というのを樹立します。そして、その当時のトレンドである軍国主義に乗ったわけです。アジアで初めて近代化に成功して、その後、日露戦争で初めて白人の国に勝ってしまって、そこからも一気に、軍事拡大路線を突き進んでいくのですけど。

国際連盟脱退から「欲しがりません勝つまでは」の時代へ

まず時代背景として、日本はですね、どうしてもこの太平洋戦争とか第二次世界大戦と先の戦争を呼びますけど、それはかなり後からの言い方で、当時は大東亜戦争と言っていました。「太平洋戦争」と言われる期間は、いろいろ言われてるんですが、「欲しがりません勝つまでは」と言ったスローガンや神風特攻隊みたいな本当に厳戒態勢になったのは昭和16年から残りの4年間。当時の日本にも特高(特別高等警察)という秘密警察みたいな奴らがスパイだなんだと、市民をしょっぴく(連行する)結構な暗黒時代でした。そういった組織が存在していたのです。本当に日本が、「欲しがりません勝つまでは」の空気になったのは、終戦の1年半から2年間ぐらいかと言われているんです。もっと言うと、その太平洋戦争だけをピックアップするんじゃなくて、当時の印象で言うと1931年から15年戦争と呼ばれてて、満州事変や日中戦争など日本にとっては、15年弱のダラダラした長期に渡る戦争シーズンだったのです。

要するに、イギリスやアメリカを見習って、当時の日本軍は「外国に領地を持つということに希望を抱いた」のです。当時は当時で、日本列島の経済も大した産業は育っていませんでした。製糸産業や蚕などそういった産業がちょっと輸出してる程度の状態で、経済は細々していたのです。軍隊は早急に作り上げて、成長はしていたのですが。そこからの長い15年戦争の始まりでした。結局は日露戦争に勝って、ソ連が当時攻めていた今のハルピンやモンゴル近くのエリアに「満州」がありまして。その満州にご鉄道が走っていて、それの権利をソ連から譲り受けて、そこから関東軍という日本軍の陸軍がですね。中国の北部の寒いぐらい地域に進出したのが関東軍。そこが満州国、ラストエンペラー・溥儀(ふぎ)を皇帝に傀儡政権を樹立。それが後の大東亜共栄圏と言った話に繋がってくるんですけど。ちょっと中国が手が届かない地域に日本軍が駐留して。実際、満州国には日本から移住させていたりもしました。日本人が普通に住んでいたんです。町や村を作るくらい沢山人が居た。そういった背景から、だいぶ端折りますけど、リットン調査団みたいな話です。

今で言う国連ですね、国際連盟が「ちょっとちょっと!満州国ってどうなってんだ?」と。そしてリットン調査団自体はとても緻密な仕事をしたと言われていて、要するに中国側からのヒアリング、日本側にもヒアリングをしてきちんとした資料を出したと言われています。それを当時の松岡外相が、「それは日本に対して不当じゃないか!」と言って、「フ○ック・ユー・オール」とまで言ったかは分からないですけど、最後に国連の舞台で演説して、日本だけ反対1票、残りの国はすべて賛成みたいに状況になって、「なんだこれは!」と途中退席。そうしたら当時、新聞などで「勇気ある退席」と褒め称えていました。どういう事かと言うと、国際連盟が出した結論が、満州国は国際連盟預かりにしろと統治は日本でやってもいいよっていうルールを貰った。それに対して「そんな、ふざけるな!」と、日本は相当に頭に来て。当時、これは本当はどこの国もやっていたと思いますけど、その辺りでアヘンの密売とか。結構、色々と関東軍がギリギリでグレーな形で戦費を集めていた事実はあるんです。

「名誉白人」になった日本人が取るべきだった行動とは?

「思っていた様な利益を得られなかった、これは差別だ」と。日本はその前から、人種差別撤廃など色々と国際連盟の中で平等にしていこうっていうメッセージは発信していました。そこは実際、自分達も不利益を被るので。「人種差別は無くして行こう」と発言は積極的だったんですが、ことごとく当時の世界からは受けられなかった。ここでやっぱり意識しないといけないのは、日露戦争に勝って、要するに当時の日本というのは、名誉白人(ぷっ)みたいな感じだったんです。基本、白人だけの世界だけど、「日本は明治政府でカチっと軍隊を作って、そこそこちゃんとやっているので、特別にアジア人だけど仲間に入れてやる」ぐらいの。日本はそれを真正面に受け取ってしまった。一番最初にアジアでヨーロッパ式の軍隊持って目立っていた国なので、叩かれやすい存在みたいな感じだったと思うんです。それでドンドンと孤立して。ヨーロッパ人のやり方というのは何でも契約社会です。自分たちがアヘンなどを一方的に売りつけて、「なんだこの野郎」と言って契約書を書くということを一応建前上はやるんです。そこは一つずる賢いんですよ、アジアの国々に比べて。ちゃんと攻めても良い理由を作って、(それは結局、侵略なんだけど)契約書みたいなものをこしらえたりする手間をかけるんですヨーロッパ人は。日本も幕末の志士がワシントンまで船で向かって、途中で天皇の国書が無いなら戻って取りに行ってこいと言われて、何人かだけ日本に帰国させてと何カ月も外交交渉の足止めを食らったりと。当時は国際法とか海洋事故の争いとかを裁判にかけるみたいな時代。日本は本当にヨーロッパ式の欧米列強の契約社会に苦戦しながら、それも含めて戦っていた時代。日本のHeadache(頭痛)というのが、ずっと平等条約を解消するといった様なそういった契約社会の理詰めの書類の波に揉まれていきました。結局、満州国を作ったのに、否定されたというか賢く振る舞うことが出来なくて、結局孤立して、今の北朝鮮の様な状態。もう国際連盟脱退してきたわけですから、そこまでが時代背景としてありました。

最初に挙げた議題ですけど、「日本軍の決死の抵抗があったから、今の平和な日本があるっていうのがイエスかノーか?」みたいなことでやり合ってるんですけど。その答えでいうと、当時の抵抗があったから今と全く同じ形があるっていうのはさすがに飛躍かもしれないけれども、やっぱり戦争っていうのは悪あがきとか抵抗とかお互いの国が戦った上にある講和なんです。日本で言ったら、この場合はポツダム宣言だったのですが、それだと天皇制を残すか残さない、国体の維持かそうじゃないか。戦った先にどういった条件で戦争を終えるかみたいな話なんです。アメリカと戦った時だって、最初は真珠湾を奇襲攻撃して、半年〜1年の講和を結ぶみたいな気持ちでやっていた層もいたぐらい戦った先にある契約社会なのです。なので、もしヨーロッパ戦線と同じタイミングやもっと早い半年や1年ぐらい前に何かしらの講和が打てたのではないかみたいな話もありますが、やっぱり国体護持が一番大事だというんで、その調整が最後までつかなくて、さらに数カ月ももたついてしまった難しい判断だったようです。国内にもいろいろな世論があった。

日本が全力で戦わなった場合の歴史のifとは?

もし日本が最後まで抵抗しなかった場合を考えてみましょう。実はその後、アジアの国々も独立して、日本が日露戦争でロシアに勝った活躍がそのままアジアの国々に勇気与えてみたいな。そして戦争後も、現地残ってヨーロッパ人をやっつけてそれが全部今に繋がったかというと、そんな単純な話ではさすがにないと思うけれども、最初に言ったように、実際に残って戦った人もいるし、戦争ってそんな一口で、語れないんですよね。さっき言ったように、日本軍と言っても、要するに陸・海・空、それぞれ今の国会の予算で揉めてるようもんで、陸海空で予算を取り合ってすごい仲悪かったんです。もちろん、海軍(戦艦大和などの軍艦)に空軍の護衛が付くといったことは戦略上やりますけど、それにしても予算を分捕ってくる所から実は、軍はきちんと連携していなかった。プラス内閣との関係もあった。兵士は中隊長ぐらいまで、つまり中原中将みたいな中隊将はものすごく優秀だけど、そこから上のリーダー・幹部クラスには政治闘争があった。陸軍で言えば関東軍が、中国の方でだいぶ戦線を広げてしまった。戦線を拡大するというのは、物資補給などの問題にも関わってくるので、広がりすぎてしまうのは難しいのです。

逆に自分たちでエネルギーとか資源でも鈴とか取りに行った南方は、後に「死の行進」と言われるジャングルに行ってしまい、ほとんどみんな風土病(マラリアなど)や餓死で死んだり。だからそこは本当にトップの人達に対して戦争責任、とにかく戦線を拡大しすぎ。下はもう意味のないジャングルで殆どの兵士が餓死で死んでるとか。色々とバラバラで戦線が拡大し過ぎたという状況。アジアのその後の独立に役に立ったか?というとPartly True(部分的には正しい)だと自分は思っていて。けれどもそれが全てではない。というのは、植民地支配はいずれにせよ宗主国と第二国民みたいな形の統治体制から、もっと建前上は独立国にさせて、それ以外にも例えば中央銀行を作って、植民地から利子を取るとか。あとはイギリスやヨーロッパがアフリカにやったやり方なんですが、衛星放送ひまわりみたいな衛星からの画像の使用料で、それで年間500億円位の額を請求したり。そういった形で上手に金融や社会インフラみたいなものに対しては早めに投資という形で、有利な条件でアジアとかアフリカの国から分捕ろうという。そんな単純な戦争じゃないんです。200万人以上が死んで、最後の4年ぐらいの太平洋戦争と言われる部分だけが言われますけど、やっぱ盧溝橋事件とか南満州事変からの長い15年戦争の最後の最後で、二つの原子爆弾が決定打となって「負けた」んです。

新国立競技場は現代の戦艦大和?フザけた国の予算にNOを言うべき

当時は、爆撃機がアメリカでいうB29が爆弾を積んで飛んで何キロぐらい(2,000キロとか)飛んで、爆弾を落として戻ってくるという距離の問題が大きかったのです。日本は東京大空襲などが始まるまで、本土攻撃されるまでっていうのは、例えば硫黄島(いおうとう)ですね。戦後なぜか硫黄島(いおうじま)と呼ばれる島が、一番激しい戦闘になり、アメリカ軍の戦死者も一番多く出たという戦いだったんですけど、要するに硫黄島をアメリカに取られてしまうと硫黄島からだと、東京を爆撃して戻って来れるようになるんです。だからあの島を取られたら本土攻撃が始まるというので、一番カードを固めた。本当にジャングルに何十日と潜伏して、最後は総力戦になってて食べる物も全て尽きて。その後で、(有名なシーンである)星条旗を掲げられてしまって、最後そこを陥されてから、そこからB29が直接飛べる様になった。その反面、戦争のトレンドって日本がちょっと古くて、戦略上のミスもしているんです。例えば戦艦大和。戦艦大和を作った時、世界最強の軍艦だったんです。そんなのを作ったら国際社会から怒られるので、普通の軍艦2隻作りますって予算をフェイクして。それで実際は二隻の予算を合わせて、一隻のどでかい大和を作って。当時最強だったんですが、その頃には世界のトレンドは、そんなバカでかい軍艦を作るんじゃなくて今の空母、つまり爆撃機を海路で運んで海上基地みたいなものに移っていって。日本は日露戦争でバルチック艦隊を打ち破ったって海軍の成功体験があったのかもしれないですけど。

日本は、ただでさえ長期に渡って戦争してて。10年以上戦争してるところに、国家予算の何割というお金を割いて、戦艦大和を作っちゃったんです。大和は一応、その後1回ぐらいぶっ放す機会はあって、その戦いは成功したんですけど、でもその次に出た命令はもう身代わり、特攻命令です。つまり大和に3,000人〜4,000乗り込んで座礁、その場に停まって、もう空に向かってひたすら打ちまくるという「1億総特攻時代の先駆けになれ!」って言われて。要するにここからもっと総力戦になるから、まずお前らが4,000人ぐらいの命使って見本を見せろと。これ、「死ねっ」ってことです。座礁しているから案の定、魚雷もガンガン打たれるんです。空軍もほんのちょっとの護衛しかいなかったんで。

つまりここから学べる事っていうのは、当時国際社会にフェイクして書類偽造して、国家予算の1割〜2割というとんでもない金額を借金して作った大和も最後にはちょっとした敵の足止めにしかならなかったという事実。それで乗組員4,000人の命と戦艦大和を失ってるんですよ。それって今の俺らの世の中、つまり公共事業とか。ふざけた東京オリンピックの予算みたいな話ですけど、そういうものありませんか?ってこと。国立競技場の2,500億円みたいなあまりにもふざけた金額で結局、大して使い道がないってことを日本政府は時々やるんですよ。そのふざけた予算に対して「あー、軍艦大和っぽい」という意識を持った方が絶対に良いと思いますね現代人。

日教組は嫌いになっても設立理由は嫌いにならないで下さい。

そして飛行機の距離なんですけど、硫黄島を取られた事によって、本土攻撃が本格的に始まって。当時は、もはや軍事施設を見ても木で作った飛行機をおいて、まだ戦力がある様に見せていたり、本当にそういうことをやっていたぐらいもう物資も足りてなかったんです。当時、GDPで言えば10倍以上のアメリカは、その圧倒的な工業力の差もあったので。しかし当時、凄い人たちいて、日本もそんなにやられっぱなしでも無く、100機ぐらいはB29を上空で落としてるんです。その落とし方も凄くて。ゼロ戦が出来た当時は、速くて、軽くて、パイロットの腕も良くて恐れられたんですけど、戦争末期になってくると敵の戦闘機の性能も上がってきて。大体ゼロ戦は上空8000m – 8500m辺りを飛ぶんですけど、B29は10000mから飛んで来るんです。まず飛ぶ高さも違う所から、無理やり上昇して後方から体当たりして直接、落とすみたいなことやってたんです。体当たりして、自分も落ちるんですけどそれはバンジージャンプみたいな感じで、パラシュート揺すって。それで2回も生還したみたいなそんな手柄の軍人さんもいたという。

こういうふうに、武勲(戦争の手柄)みたいな事を話すと、「軍靴の足音が聞こえてくる」と言ってくる人もいるんです。日教組とか。日教組もちゃんと未来の人に向かって伝えておかないと。日教組、つまり先生達の組合みたいなもんで、地域差にもよるんでしょうけど、そこに入る先生もいたりいなかったりで、君が代で立たないみたいなそういった思想も学校に持ち込んでるみたいなイメージですけど。一応、日教組の人たちの加入率、どれくらいか地域で違うと思うんですが、20%ちょっととか。昔はもっと高かったみたいですけど、要するに「優しい人達」なんですよ。なぜ日教組がああいう風になったかというと、ドンドンドンドン子供たちが戦場に送られて、教室にいた子供たちが戦場にドンドン送られていくからと。もっと言えば、その教室も爆破されて、青空教室をやることになってしまって、その青空教室をもう2度とやらせない為に戦争を美化しないって思想の人達なので、そこは設立の意気込みみたいなものはですね。あまりよく思っていない人も沢山いるっぽいんですけど、そこは絶対知っておいた方が良いと思います。

そこで、アメリカは物凄いお金をかけてマンハッタン計画という、物凄くお金をかけて原子爆弾を完成させて。砂漠とかでドカーンドカーンと実験して。当時はですね。ソ連というのは、第一世界大戦に殆ど参戦していなくて無傷だったんです。第二世界大戦はドイツに最初、攻め込まれるんですけど、最後に参戦してきたアメリカと一緒に、ドイツ、イタリア、日本を叩いたという形になって。今の時代からするとちょっと変に聞こえるかもしれませんが、第二世界大戦中はアメリカとソ連っていうの実は同じチームだったんですね。当時は第二次世界大戦とは言ってないでしょうが、この戦が一段落したら、のちに揉めるだろうっていう利権争いみたいなバチバチが始まってたっている状態だったんです。最初の質問ですが、もしも日本が仮に、戦死者・民間人も含めて200万人以上っていう犠牲を出して、あとは知られてる話だと神風特攻隊とか。そういった自爆攻撃に走るぐらいのことまでやる手前で戦争を止めてたらどうなったんだという事に関して、こういった考えも出来るんです。

早期降伏→「東日本共和国」と「西日本国」に分断していた可能性。

つまりその後のソ連とアメリカのイデオロギーによる「共産主義と資本主義を進めるんだ!アジアにも持ち込むんだ!」っていう政策。歴史を観れば、朝鮮半島が北と南。北朝鮮と韓国。そしてベトナムも、ベトナム戦争が泥沼化して、北ベトナム政府に対して、南ベトナム政府と別れたんです。要するに日本も実際ですね、日本が敗北が決定的になったら(広島と長崎に原子爆弾を落とされた後)、北方領土からソ連が攻めてきて、アメリカは沖縄の方から攻めてきて、東日本と西日本が分断されていた可能性もあります。東日本はロシアによる傀儡政権。西日本はアメリカの影響受けて民主化というので、今の韓国みたいな感じかと思いますけど、ハリウッド映画やビートルズが入ってきたりという形になっていたかも知れない。多分、西日本の首都は大阪か京都。東日本は、おそらく東京、もしくはちょっと下がって仙台辺りが首都に。もう東北の人とか今の北朝鮮の兵士を見ているような軍国少年まっしぐらだった可能性があるんです。もう自分なんて仙台辺りだったらもう軍事パレードでですね、高々に足を挙げて、「よし!テレビに写ったぞ!」と言っていたかも知れません。そういった未来が予想されていたんです。だからその戦争を美化はしないけれども、やっぱり戦争っていうのは、激しく抵抗した後にある講和なんですよ。ヨーロッパ人とのペーパーワークが残ってる。そこで国体を維持出来たわけですから、今の天皇制が英霊達が頑張ってくれたことによって。もっと言ってしまったら沖縄はアメリカに1970年代までアメリカンにさせられてしまったんですけれども、東日本と西日本に分かれるのではなく、北海道から(沖縄以外ですけど)、日本の端から端まで統一した政権で、統一した国民国家になって戦後の復興が出来たという事実は正しいと思ってね。歴史のifを無理やりリターンするみたいな感じなんですけど、そういった時代背景だったっていうことを終戦記念日に向けて伝えておきたいです。

広島は当時35万の人口で、落とした瞬間で15万人が犠牲に。その後も原発病などでトータルで30万人の方々が、原子爆弾により広島で亡くなっているし、長崎だって当時まだ24万人の都市で、75,000人以上が即死してるんです。1/3以上の人口が一瞬で亡くなり、その後も10万人〜15万人の方々が苦しんだという最大の戦争犯罪です。「民間人を襲う」ということが。ここ凄く大事なんですけど、民間人まで攻撃し出したら畜生になってしまうんです。例えば日本の壇ノ浦の戦いとかね。源氏と平氏がドンパチやってる時に、そこを船を漕いでる水夫とか撃っちゃうと思う元も子もないんです。もっと言ったら、兵隊をいくら殺してもどんどんどんどんこの日本軍が来ると。だったら女・子供、つまりその根っこから絶ってやれという思想なんです。それが如実に現れたのが、原子爆弾です。つまりもいくら日本兵を海、陸、空で倒してもドンドンドンドン生まれてくると。当時の出生率も軍国主義というのは兵隊さんが必要ですから。それで結局、民間人だと東京大空襲も原爆と同じ位ですよ。当時アメリカ軍は、ちゃんとその計算を緻密にしているんです。それこそ砂漠とかね。インディアン居住区みたいな所に、日本家屋(木と紙と障子と襖みたいなサンプル)を作ってですよ。そこに焼夷弾という燃え移る「火事だー!」みたいな爆弾をどうしたら綺麗に燃えるかみたいな実験もしているんです。

結局、外側から攻撃して逃げられないようして、10万人とかが一晩で焼死しているんですよ東京。焼け野原ですよ。最大の戦争犯罪です。民間人を狙うっていう禁じ手をやって日本が降伏したという、それ程までの消耗戦だったんです。

デパートで南京陥落大セールが開催される時代の空気

当時は今でいう「良い会社に入って出世しなさい」という風潮と同じように、兵隊さんになって日本を救う、日本を守るんだみたいなのが当たり前の時代。軍国少年を生み出していた教育の時代なんで今と比べてもしょうがないんですよ。歴史とは、先人たちが残してくれたヒントが必ずこう残ってるんで、命がけというか死してなお残してくれたメッセージがあるわけじゃないですか。だからなるべく公平に、歴史を見るときに当時の常識に戻るって事が大切です。何故かというと、今の常識で考えたらやっぱりとんでもなくエグい話にしかならないんです過去の話は。その過ちがあって、法律などが整備されたり、秩序が変わってたりっていうことになっているので。当時は(朝日)新聞とかに、「何人斬りをした!」など、誇張した話もあったんですけど、そういう風に武勇伝が載ってフー!フー!言っていた時代です。例えば、日中戦争が終わって南京陥落した!というニュースが流れたら、それこそ東京・銀座では、「南京陥落大セール!」みたいなものが開催されていたんです。今でいうならソフトバンク優勝しました!ダイエーセール!みたいなことやってた時代だったので、時代の空気が違うんです。そこになるべく当時の人の常識を持って、公平に見なかったら歴史が悪く利用されちゃうんです。その日本人じゃない人とかが「こんなことやってただろう!」って。それは当時の歴史(時代の情勢)も含めて、もちろんアメリカもやってたイギリスもやっていたという事は沢山あって。さらにこの話に結論付けるとしたら、負けちゃうと当時、その最初に関東軍がアヘンの密売をやっていたという話も、他の中国に進出したヨーロッパの国も(おそらく)やってたけれども、勝ってしまったら隠蔽できるし、負けた方に押し付けられてるんです。勝てば官軍っていうのが戦争による結果なんです。

だから第二次世界大戦で日本人が満州事変から始まる15年戦争で学ばなきゃいけないってことは、「先人にまずは感謝する」ってことです。当時は隣の国とか日本も出かけて行ってやってましたけど、軍隊が負けたらどこかの国の支配下になって、第二国民みたいな搾取が始めるって時代を生きていたので。もちろん神風特攻隊で死んだ人も、自分たちの故郷って書いて「クニ」、つまりふるさとの自分のおっかさんとか妹とかが米兵に強姦されたり、やられないようって。それだったら俺の命を!って。そういった尊い精神で臨んだ兵士達もいるし、日本軍も色んなとこに散らばって、本当にそのスローガン・「大東和共栄圏」、つまり皇軍と言って、天皇に仕えるホーリー戦士なんだと。実際にそういう風に育って現地に残って戦った人もいるんです。それも全部がね、その大東和共栄圏を作るんだ!っていう理念もあるにはあったり。けれども、それが全ての軍隊までには行き届いていたわけではないっていうのが自然な歴史の解釈だと思うんです。

右翼だ!左翼だ!の前に「歴史」を勉強すべき理由。

戦争末期に関しては、右翼っぽい人が集める資料も左翼っぽい人が集める資料も、それはそれでいいんですけど、まずは両方目を通して、そして自分なりに一人ひとりが結論を付けて。という作業をやっていかないと、繰り返してしまうんですよ戦争を。戦争は最終的には、憎しみしか産まないんで。それを回避するためにもっと外交力磨いたりという努力をやっていかないといけない。日本人にとって非常にセンシティブな話題なんですけど、もちろん「日本が戦略的に負けた」とか「調子乗った」とか「戦線を拡大し過ぎだ」等、いろんな角度で語れるのが、あの長い15年戦争なんです。イデオロギーだけじゃなくて、まずはあの当時の背景に戻って考えてください。「右翼・左翼である前に歴史家であれ!」っていうのが自分のスタンスです。その歴史をジャッジとか批判の資料みたいに思ってたら、もう本当ひたすら叱りたくなっちゃうコンテンツなんです。

でも当時の常識に戻ったら軍人さんが取った行動ってのは、今の僕らの「良し」とされてる空気と何も変わらなかったもしれないし。もちろんその他国を占領して恨まれちゃうというのも含めて、それはそれで戦略的に負けてるんですね。あれだけ犠牲者を出して、それによって今があって。東日本・西日本の分断国家みたいなリスクまで含めて、今の日本があると。歴史にifはないんで、誰もそっちが良かったとか比べることできないんですけれども、やっぱり今の形を築いたというのは違いじゃないと僕は持ってますね。つまり、200万人が戦死してるんですね。軍人も民間人も。200万通りかそれ以上の悲しみだったり解釈ができる長い戦争。太平洋戦争ってのは戦後、GHQが軍事ワードだっていうんで禁止して、当時の人達からすると「ちょっと、白人さん。差別きついで、もうちょいお願いします」っていう意味もちょっと込めた大東亜戦争っていう名前で、そこに挑んだ英霊達の話だったんですけれども。

もちろん主義主張や誰のイデオロギーも何も否定しないんですけど、やっぱり当時の時代背景というのはもっと自分達が歴史を語る時に、もっと勉強して語るべきだと思う。そういった時代に翻弄されたり、時代のせいで命落とした人達に対して、弔う気持ちがないことは絶対におかしいと思うので。そういった過ちも含めて人類史というのは、「Life goes on(それでも人生は淡々と続いていく)」のです。200万通り、それ以上の解釈ができる長い大戦だったんですけども、戦後73年、2018年に生きる皆様の先の戦争に対する印象や意見ですとかそういったものを、このコメントでもツイッターでもいいですけれど、共有できる話があったら是非シェアしてあげてください。それではまた。

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