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【IDEAストーリー】第11回:医療介護専門・転職求人サイト/専門職種に特化したメドフィット

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MATSUMOTO
こんにちは。イデア・クリエイションの松本泰二です。
IDEAストーリー

起業家のストーリーを追体験してもらおうという無料のインタビューサイトです。

このサイトでは、これから起業に興味のある方に向けて、成長のサービスを展開されている方、面白いサービス、商品を出されている方、各分野の実績を出されている専門家の方々にインタビューということで、各スペシャリストの方にお話を伺ってしまおうというような内容で、毎週お届けしています。

本日のIDEAストーリー。ゲストは、株式会社GentenLinks 代表取締役 小林 英二さんです。小林さん。宜しくお願いします。

小林社長
宜しくお願いします。

松本
Genten Linksという会社名なんですけども、ゲンテンというのは原点に返るということのゲンテンなんですか?
小林社長
原点回帰のゲンテンですね。

自己紹介をお願いします。

3 4
小林社長
現状は主力事業として、医療、あとは、介護業界のですね、人材の技術者をですね、医療介護業界で働いている方たちの紹介というのがメイン事業(メドフィット)になっております。

その他に、訪問看護ステーションの運営ですとか、あとは、おととし、今3期目に入る子会社、キャリアカラーという子会社の方では、研究開発分野ですとか、あとは、獣医師さんの人材の紹介ですとか、あとは、派遣といった事業を子会社の方で展開しています。

最近ですと、アイリストさんですとか、あとは、ネイリストさんとか、そういった美容業界の人材サービスの提供というのも、ほんとに3ヶ月くらい前から、小さくですけども始めています。

それぞれどういった特徴、強みがりますか?

小林社長
まず医療介護系の人材紹介事業に関しては、完全に職種ごとに、担当を分けまして、一気通貫で行っています。大手さんですと、例えば、ヒアリング担当、ヒアリングした後に、面談の担当があって、求人をリサーチする担当があってというふうに分社かされている会社さんが多い中で、うちは例えば、臨床工学技士という職種であれば、臨床工学技士さんの専任のチームがありまして、一度求職者の方を担当したら、もうヒアリングから入職後のフォローまで、面接の対策から入職後のフォローまで、全て担当が一貫して行うという、一気通貫型の体制をとっているので、そういう意味では非常にマッチングの精度というところが高いというふうに考えています。

松本
面接から面接準備とか、履歴書だったりとか、そういうのもフォローみたいな。
小林社長
そうですね。実際に紹介する先というのは、医療機関、病院、クリニック、あとは、介護施設なんかですけども、何度も何度もご訪問したりですとか、もしくは過去に何人もご紹介して、すでに入職実績があるような医療機関さんというのはたくさんあるので、面接のときは毎回同行するんですよね。

一緒に面接についていって、面接の場で隣に座らせていただいてということもやっているので、ある程度、医療機関がどういう人間を人材を求めているのかですとか、面接のときにどういった傾向の質問、どんな雰囲気の面接になるのかとか、そういったことも担当がしっかり分かっているので、そういう意味では面接の対策というところに関しても、非常にクオリティが高いというふうに思います。

松本
すごい細かくやるんですね。
小林社長
そうですね。

松本
医療とか、介護、もしくは技術系の離職率は、結構多かったりするんですか?
小林社長
多いですね。特に、介護業界ですとか、あとは、看護師さんの業界、いわゆる、売り手市場と言われる、人手不足の業界ですね、というのは、非常に労働が過酷だというところがあるんですけども、求人がたくさん引く手あまたなんですよね。

どこの施設も病院も看護師さん欲しい業界がね、ヘルパーさん欲しいよというような、そういう求人がたくさんあるというところでも、少し辛かったり、何かあると、次に行ってしまうというような、そういう非常に流動性が高い業界だとは思います。

ですので、当社としても、その辺の離職率というところを、我々の力でできるだけ引き下げられるところがあると思うので、やっぱりマッチングの精度であるですとか、入職後のフォローというところも含めて、その辺に貢献していけたらなというふうに考えています。

松本
そういうのもあって、細かくやっているというのもあるんですね。企業側の方としては、完全成果報酬という形になるんですか?就職決まったら、発生する?
小林社長
決まったら、年収の何パーセントというような形で、これは職種によって変わったり、業界によって設定が違うんですけども。

実際にスタートしたのはいつごろになるんでしょうか?

小林社長
スタートしたのはですね、5年くらい前ですかね。創業してから。

松本
2011年くらいですかね。
小林社長
多分それくらいですかね。2年、3年経ったくらいですかね。

メジャーデビューを目指し大学1年で中退?

松本
分かりました。じゃあ、ちょっと起業以前のお話もちょっと時系列でお伺いできれば、ちょっと嬉しいんですが、最初の就職ですかね。大学卒業で就職ですか?
小林社長
大学はですね、卒業していないです。高校卒業して、大学には一応進学はしたんですが、1年の前期、半年くらいで辞めてしまいまして、当時、高校の終わりから、バンド活動ですね、始めていて、私はドラムを叩いていたんですけども、大学へ行きながら、バンドをやっていたら、バンドが楽しくでしょうがなくてですね、それで、プロになると、メジャーデビューを目指そうということで、大学を辞めました。

辞めて、家も出て、一人暮らししながら、アルバイトしながらバンド活動してというようなことをして、気づいたら10年経ってしまいましてですね。

松本
10年やっていたんですか?
小林社長
28歳までですね。

松本
それまでは、就職1回もせずに、バイトとかですか?
小林社長
そうですね。アルバイト、あとは派遣社員というやつですかね。いわゆる、時給をいただきながら、シフト制で、ほんとにバンドが練習も非常に、スタジオ練習というのも多かったですし、ライブもほんとに毎週やっていたり、ツアーを回ったりとかで、毎日仕事するというのは無理だったので、そういう意味ではシフト制で非常に融通の利く仕事というのを探して、転々といろんな仕事をしていたというような形ですね。

松本
何系のバンドですか?
小林社長
ロック系ですね。当時流行っていた、ソフトビジュアル系のバンドという、GLAYとか、あと、スピッツとか、あれはポップスですけど、いくつかバンド掛け持ちしていたので、そういうロック系のバンド中心にポップスとか、バンドで叩いたりとかもしていました。

松本
ちょっと今とはビジュアルも全然違う(笑)?
小林社長
髪の毛長かったですね(笑)いろんな色にしたりして。

松本
プロまではいかないで終わっちゃったという感じなんですか?
小林社長
そうですね。

松本
あの業界は分からないんですけど、敷居が高いというか、なんでしょう、一握り?
小林社長
そうです。プロになる、メジャーデビューして、金持ちになってとか、そんなの当時は夢見て、若いころですね、始めたころは、そんな感じだったんですけど。私が18くらいから始めて、28までのこの10年間で、結構、音楽業界が非常にCDの販売というところから、がらっと、オンラインでの配信とか、ダウンロードという方向に非常に変わってきて、昔はミリオンセラーとか当たり前だったのが、100万枚なんて基本売れないとか、そういう流れもあって、かつ、なんていうんでしょうね、非常に運の要素が強い業界で、周りにいろいろと1回メジャーデビューしたけど、またインディーズに戻ってきたとか、すでにメジャーで活動しているけど、それだけじゃ、飯食えないで、こんなことやっているんだよって、いろんな話を聞くようになってくると、だんだんプロじゃなくていいかなと思い始めたんですよね。

趣味でやっていればいいかと。金持ちになるとか、将来こんなことやりたい、あんなことやりたいという夢がいろいろありましたけど、それは、メジャーデビューではない別の道で、そこに向かっていけばいいかなということで辞めて、28歳で初めて就職をしました。

初めての仕事は、飛び込みの訪問営業!

松本
初めの就職はどういった業界にいかれたんですか?
小林社長
最初は飛び込み営業を主体としたOA機器ですとか、法人向けの営業会社に入りました。

松本
飛び込みきつかったですか?
小林社長
きついって、一般的には言われますけど、私はほんとに初めて。初めての仕事だったので、非常に私は楽しかったんですよね。あとは、その会社はまだ私が入ったときは、設立2年くらいで、これから上場目指すぞというような、そういう勢いのある会社だったので。

松本
ベンチャーだったんですね。
小林社長
そうですね。だから、全く経験のない私でも、28歳からのスタートって、ちょっとみんなより遅いじゃないですか。遅いけど、ここだったら、めちゃくちゃ頑張れば、ごぼう抜きして、俺でも上に行けるんじゃないかっていう夢を見れる会社だったので、迷わず、そこに入って、必死に頑張りましたね。楽しかったです。

松本
成績はどんな感じだったんですか?
小林社長
成績は良かったですね。割とすぐ結果が出て。人がどんどん、毎月10人とか、新入社員が入ってくるような会社だったので、責任者が足りないわけですよ。なので、ちょっと結果出すと、すぐに部下がついてみたいな、そういう環境にも恵まれて、私の場合は入社して3ヶ月で、サブマネージャーというふうになってみたいな。

松本
すごいですね。
小林社長
そんな感じでした。ただ、結果が出ないと、また落ちたりするので、最初のうちは上がったけど、また落ちて、もう1回上がってとか、そういうの2、3回繰り返しながら、だんだん安定していって、1年、入社して1年ちょっと経ったときに、マネージャーに昇格をして、マネージャーだとそのときは部下が15人くらい持てるようになって、内勤になるんですよね。

松本
何人くらいなんですか?社員さん。
小林社長
120人くらい。

松本
結構いたんですね。
小林社長
どんどん増えていったんので、私が入ったときは、50人くらいで、私がマネージャーになったときは、120人くらいになっていたんじゃないですかね。

松本
初就職だったから、先入観もないから、新鮮にのめり込めたということですか?
小林社長
そうですね。

松本
それは何年くらいやられたんですか?
小林社長
2年です。

松本
そこからどうされたんですか。転職?
小林社長
そこから会社作りました。

松本
そのあと会社作ったんですか?
小林社長
30歳で退職して、丸2年やってから、このGenten Linksを設立ですね。

松本
それは、OA機器やっている2年の間で、何か起業というのは興味出てきたみたいな感じですか?

小林社長
起業が興味出てきたというよりは、その会社、先ほど言った通り、毎月10人とか入ってくるんですけど、どんどんどんどんやっぱり厳しいので辞めていってしまうんですよね。自分の部下もやっぱり例外ではなくて。

やっぱりその会社のやり方とか、そういう激しい、いわゆる、体育会系みたいなところもあったので、そういう環境を楽しめる人は残るんですけど、そんな人ばっかりじゃないじゃないですか。だから、やり方をとか、ちょっと環境を変えてあげれば、すごく優秀なのになって思う部下もやっぱり辞めていってしまうと。

だから、そういう環境をもっとちゃんと人が定着する。人が社内で育つような、そういう環境を作らないと、上場なんか出来ないし、上場した後も、先は知れちゃっているなって、当時から思っていて。なので、その会社を変えたかったんですよね。

変えたくて、マネージャーに上がって、いろいろと自分なりに考えて、経営陣に話を持っていったりとかしましたけども、でも、なかなか変えられなくて、そんなことやっているうちに、非常に自分なりの、俺はこういう組織を作りたいんだというのが明確に固まっていたんですよね。気づいたら、その会社を変えるよりは、自分がその組織作っちゃった方が早いなというふうに、ぱっとあるとき思って、で、辞めようと。辞めました。

創業時点では、200万以上、消費者金融から借金がある状態

松本
課題からきたという。それで、起業ってなったという。なるほど。それで30歳のころに起業しまして、それは起業する分野というのは決まっていたんですか?
小林社長
決まっていないです。

松本
決まっていないんですか。辞めてから決めたという形ですか?
小林社長
そうですね。お金もなかったので、一応、インターネット広告を使って、何かを売ろうという、インターネット広告と言っても、いわゆる、ワンクリックみたいな、リスティング広告を使うんですけど、それってキーワードとかによって、まだ当時はすごく安いキーワード、いわゆる、穴場のキーワードみたいなものを探せば見つかりそうだというのを、本で読んだんですよね(笑)

その本を読んで、これはいけるなと。ほんとにお金がほんとなくて、借金しかなかったんです。当時も、マネージャーのときとかも、お給料多分、同年代にしては、そこそこ貰えていたんですけど、ただ仕事が激しすぎたので、会社の近くにマンションを借り、そこに住んで、私は23で結婚もしていたので、子供も二人いたんですよ。

だから、家はまた別にあって、そっちの家賃、ローンを払いながら、自分は平日はそのマンションで住んで、家賃が二重にかかるわけじゃないですか。かつ、部下に飯を食わせてやれみたいな、そういう社風だったので、よく部下と行って、僕が全部払っていたので、全然金が足らなくて、それで消費者金融からお金借りて。

松本
そんな時代もあったんですね。
小林社長
で、回している状況だったので、創業時点では、200万以上、消費者金融から借金がある状態で、武富士さんからあと50万くらい枠があって、引っ張れると、借りれるみたいな、そういう状況だったので、その50万で会社を軌道に乗せようみたいな。

松本
すごいですね(笑)
小林社長
ほんとそんな感じでした。だから、50万円で何ができるかと言ったら、そういうリスティング広告で、自分で独学でホームページ作って、とりあえず広告、予算10万くらいでやって、1個売れたら、結構、利益率が高い何かを。

松本
アフィリエイトですか?
小林社長
じゃないですね。ほんとに自分たちで、そういう何を売るかとか、どの業界かは決まっていなかったんですよ。なんとなくそういう方向でやろうというのだけで辞めました。

松本
辞めたときは、もう借金200万ということですよね?
小林社長
そうですね。もうちょっとあったかもしれないですけどね。

初期投資が少なくて、一発売れたら、結構リターンがでかいもの?

松本
それで辞めて、最初やったのが、そのリスティングですか?
小林社長
そうです。それがオーダーメイド自転車.comに繋がるんですけど。いわゆる、広告費が手元の金がなかったので、初期投資が少なくて、一発売れたら、結構リターンがでかいものをいろいろ探していくなかで、やっぱり定価がないものの方がいいなというのはありまして。

当時、自転車がすごく流行り出しか、流行っていたんですよね。ここからさらにきそうだなというのがありまして。じゃあ、自分の好きなオーダーメイドの自転車をWEBサイトから注文できて、勝手に納品されてくるというのであれば、値段もね、他と比べるものでもないので、自分たちで設定できますし、リスティングの広告単価もいろいろとインターネット上の調査をしたら、そんなに高くないと、広告も予算も抑えながらいけそうだというので、立ち上げたんですよね。

松本
ホームページは自分で作れたんですか?
小林社長
そうです。ホームページの作り方みたいな教材を買って、ほんとに一から勉強しました。

松本
ほんとじゃあ地味に、そこを自分でやってきたという。今でも作れるんですか?
小林社長
できますけど、最近は勉強していないのでやっていないですけどね。

オーダーメイド自転車.comオープンも、1台も売れず?

松本
オーダーメイド自転車.comですかね。オープンして。そこからどんな?
小林社長
オープンしたけど、結果、1台も売れずに。

松本
1台も売れずに?
小林社長
はい、売れずにというか、すごい反響はあったんですけど、すごい反響はあって良かったんですけど、結局、自転車をオーダーメイドで作る技術はないので、それを作ってくれる職人さんを見つけて、その人と提携していたんですけど、その職人さんがめちゃくちゃ忙しすぎて、うちからオーダーを流すと、納期、納品予定とかが、もう半年後と1年後とか、そんな状況になっちゃいましたので、そうすると、もう全然キャッシュフローが回らないんですよ。

なので、そんなこんなで、反響はあったんですけど、ちょっとこれ今伸ばす、やれる事業じゃないなということで、一旦閉鎖して、そこからまた何やろうかといろいろ模索ですね。

松本
反響というのは、リスティングで、SEOとか?
小林社長
リスティングですね。基本は。

松本
注文もきて?
小林社長
きました。

松本
でも、納品ができないみたいな。そういうのがあったんですね。これどれくらいやられていたんですか?
小林社長
これはどうかな、半年くらいですかね。

松本
そこではまだ食べれていなかったわけですよね。
小林社長
食べれていないですね。

松本
貯金は50万くらいしかなかったんでしたっけ?
小林社長
そうです。その創業は、実は私が辞めたときに、その2年間、営業会社で働いていたときの、当時の私の部下が話に乗ってきて、俺もやりたいということで、今のうちの共同経営でやっている専務取締役の廣田が、創業時に実際、合流したんですよ。

一緒に立ちあげて、廣田がですね、親から、親じゃないか、親族から金引っ張ってきてくれて、100万くらいですよね。引っ張ってきてくれて、それで少し、なんとか繋いでいたみたいな感じですね。

松本
じゃあ、どっちとも引っ張ってきたという。
小林社長
はい。

口座残高が6,000円?

松本
そうなんですね。そのときの結構、食べれないときって、結構きついじゃないですか。メンタル的にも、メンタル的な心境的にはどんな感じだったんですか?
小林社長
やべえなというのは、でも、ちょっと楽しかった気がしますね。当時もやべえ、やべえ言いながら、ほんとにやべえとは思っていなかったというか、潰れたら、潰れたらしょうがないなという気持ちもどこかにありながら、でも、根拠のない自信はあったんですよね。なんとかなるよねみたいな。

松本
それは、仲間とやっていたからというのもあるんですか?
小林社長
なのかな。

松本
一人だったら、ちょっとまた違ったかもしれない。そんなことはない?
小林社長
どうだろう、ちょっと分からないですね。やったことない、一人では。

松本
でもなんとなく、変な自信はあったという。
小林社長
そうですね。だから、一時期は口座残高が6,000円くらいになっちゃったときもあって、月末でですね。一時期ほんとそのころですよね。それで、ほんとこれ、やべえなと言って、1回、事業を止めて、二人で高給バイトに出ようみたいな。

松本
高級バイト?
小林社長
インターネットで、高時給のアルバイト、いろいろ探したら、カニ漁ですよね。そういうのに行くと、半年くらい出て、戻ってくると、1,500万くらい稼げるとか、それはほんとかどうか分からないですけど、これまじで行こうぜみたいな、そんな金がなかったけど、そんなことを言いながら、なんだかんだ言って、楽しくやっていた気がしますね。

携帯を売って、大当たり?

松本
自転車.comは閉鎖してから、その後はどうされたんですか?
小林社長
その後、なんか、また事業をちゃんと金のなる事業を見つけなきゃということで、いろんな人と儲かる話ないとか、自分でも調べたりしていたら、前職の社長、いわゆる営業会社の社長とご飯食べる機会があって、前職は法人向けの携帯電話の販売とかも、飛び込み営業とかでやっていたので、そこの会社の社長が、「お前、じゃあ、インターネット使って、携帯売ってみない」みたいな話をいただいたんですよ。

当時、iPhoneがすごく勢いがあったんですよね。それで、基本的に、当時は、インターネット上でも、iPhoneの販売って、あんまりサイトがなくて。

松本
5、6年前ですよね?
小林社長
そうですね。それで、じゃあ、やらせてくださいということで、また、モバイルデリバリー.comというサイトを私が作って、リスティング広告また出してみたら、これが大当たりしたんですよね。

松本
それは、iPhoneを売っていたんですか?
小林社長
ソフトバンク携帯が主だったんですけど、iPhoneだけではなかったですね。他の携帯もやっていました。

ただ、基本的にオンラインで受け付けして、対面しないといけないので、受けたら、電話で受けたら、アポイント取って、直接廣田が自宅とか、職場とか、喫茶店、待ち合わせしたところに行って、そこで契約書貰うみたいな、そういうアナログなことやっていたので、めちゃくちゃ忙しかったですけどね。

松本
対面は必須なんですね?
小林社長
対面必須だったんですよ。だから、非常に怪しまれましたけどね、お客さんに、ほんとに大丈夫ですかみたいな、でも、すごい売れましたね。

松本
それは納品も直接渡すみたいな?
小林社長
納品も渡していたかな、確か、どうだったかな、それは覚えていないですね。

松本
今もあるんですか。ネットで注文してというのは?
小林社長
それがですね、あると思います。当時、うちがやったら、すごい大当たりしたので、その大当たりした話が、当然、その社長も知っていますし、その社長の周りの他の会社の社長とか多分耳に入ったと思うんですけど、始めて、3ヶ月くらいしたら、競合がぼこぼこ出てきて、それで立ち行かなくなっちゃいましたね。

やっぱり金のある会社は、そういうもっとすごいサイトをどんどん立ち上げてやっているので、これは駄目だと言って、それで、撤退しました。それも。

松本
これはどれくらいやられていたんですか?
小林社長
これも半年くらいかもしれないですね。

松本
でも、半年くらいでちょっと小銭を稼いだ?
小林社長
そうです。そこで初めて、金が懐が温まった。

松本
なるほど、じゃあ、閉鎖してから、また新しいことやらなきゃいけないと。
小林社長
そうですね。

医療介護専門・転職求人サイト。専門職種に特化したメドフィット/後編

株式会社Genten Links  代表取締役 小林英二

各種企業・医療機関・介護施設への「人材サービス事業」と、「訪問看護事業」の2つを主軸に事業展開。他、研究開発分野、獣医師さんの人材の紹介。美容業界の人材サービスの提供。「従業員満足度×顧客満足度」=「無限大」を常に追求し続けます。

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小林社長
宜しくお願いします。

松本
Genten Linksという会社名なんですけども、ゲンテンというのは原点に返るということのゲンテンなんですか?
小林社長
原点回帰のゲンテンですね。

自己紹介をお願いします。

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小林社長
現状は主力事業として、医療、あとは、介護業界のですね、人材の技術者をですね、医療介護業界で働いている方たちの紹介というのがメイン事業(メドフィット)になっております。

その他に、訪問看護ステーションの運営ですとか、あとは、おととし、今3期目に入る子会社、キャリアカラーという子会社の方では、研究開発分野ですとか、あとは、獣医師さんの人材の紹介ですとか、あとは、派遣といった事業を子会社の方で展開しています。

最近ですと、アイリストさんですとか、あとは、ネイリストさんとか、そういった美容業界の人材サービスの提供というのも、ほんとに3ヶ月くらい前から、小さくですけども始めています。

それぞれどういった特徴、強みがりますか?

小林社長
まず医療介護系の人材紹介事業に関しては、完全に職種ごとに、担当を分けまして、一気通貫で行っています。大手さんですと、例えば、ヒアリング担当、ヒアリングした後に、面談の担当があって、求人をリサーチする担当があってというふうに分社かされている会社さんが多い中で、うちは例えば、臨床工学技士という職種であれば、臨床工学技士さんの専任のチームがありまして、一度求職者の方を担当したら、もうヒアリングから入職後のフォローまで、面接の対策から入職後のフォローまで、全て担当が一貫して行うという、一気通貫型の体制をとっているので、そういう意味では非常にマッチングの精度というところが高いというふうに考えています。

松本
面接から面接準備とか、履歴書だったりとか、そういうのもフォローみたいな。
小林社長
そうですね。実際に紹介する先というのは、医療機関、病院、クリニック、あとは、介護施設なんかですけども、何度も何度もご訪問したりですとか、もしくは過去に何人もご紹介して、すでに入職実績があるような医療機関さんというのはたくさんあるので、面接のときは毎回同行するんですよね。

一緒に面接についていって、面接の場で隣に座らせていただいてということもやっているので、ある程度、医療機関がどういう人間を人材を求めているのかですとか、面接のときにどういった傾向の質問、どんな雰囲気の面接になるのかとか、そういったことも担当がしっかり分かっているので、そういう意味では面接の対策というところに関しても、非常にクオリティが高いというふうに思います。

松本
すごい細かくやるんですね。
小林社長
そうですね。

松本
医療とか、介護、もしくは技術系の離職率は、結構多かったりするんですか?
小林社長
多いですね。特に、介護業界ですとか、あとは、看護師さんの業界、いわゆる、売り手市場と言われる、人手不足の業界ですね、というのは、非常に労働が過酷だというところがあるんですけども、求人がたくさん引く手あまたなんですよね。

どこの施設も病院も看護師さん欲しい業界がね、ヘルパーさん欲しいよというような、そういう求人がたくさんあるというところでも、少し辛かったり、何かあると、次に行ってしまうというような、そういう非常に流動性が高い業界だとは思います。

ですので、当社としても、その辺の離職率というところを、我々の力でできるだけ引き下げられるところがあると思うので、やっぱりマッチングの精度であるですとか、入職後のフォローというところも含めて、その辺に貢献していけたらなというふうに考えています。

松本
そういうのもあって、細かくやっているというのもあるんですね。企業側の方としては、完全成果報酬という形になるんですか?就職決まったら、発生する?
小林社長
決まったら、年収の何パーセントというような形で、これは職種によって変わったり、業界によって設定が違うんですけども。

実際にスタートしたのはいつごろになるんでしょうか?

小林社長
スタートしたのはですね、5年くらい前ですかね。創業してから。

松本
2011年くらいですかね。
小林社長
多分それくらいですかね。2年、3年経ったくらいですかね。

メジャーデビューを目指し大学1年で中退?

松本
分かりました。じゃあ、ちょっと起業以前のお話もちょっと時系列でお伺いできれば、ちょっと嬉しいんですが、最初の就職ですかね。大学卒業で就職ですか?
小林社長
大学はですね、卒業していないです。高校卒業して、大学には一応進学はしたんですが、1年の前期、半年くらいで辞めてしまいまして、当時、高校の終わりから、バンド活動ですね、始めていて、私はドラムを叩いていたんですけども、大学へ行きながら、バンドをやっていたら、バンドが楽しくでしょうがなくてですね、それで、プロになると、メジャーデビューを目指そうということで、大学を辞めました。

辞めて、家も出て、一人暮らししながら、アルバイトしながらバンド活動してというようなことをして、気づいたら10年経ってしまいましてですね。

松本
10年やっていたんですか?
小林社長
28歳までですね。

松本
それまでは、就職1回もせずに、バイトとかですか?
小林社長
そうですね。アルバイト、あとは派遣社員というやつですかね。いわゆる、時給をいただきながら、シフト制で、ほんとにバンドが練習も非常に、スタジオ練習というのも多かったですし、ライブもほんとに毎週やっていたり、ツアーを回ったりとかで、毎日仕事するというのは無理だったので、そういう意味ではシフト制で非常に融通の利く仕事というのを探して、転々といろんな仕事をしていたというような形ですね。

松本
何系のバンドですか?
小林社長
ロック系ですね。当時流行っていた、ソフトビジュアル系のバンドという、GLAYとか、あと、スピッツとか、あれはポップスですけど、いくつかバンド掛け持ちしていたので、そういうロック系のバンド中心にポップスとか、バンドで叩いたりとかもしていました。

松本
ちょっと今とはビジュアルも全然違う(笑)?
小林社長
髪の毛長かったですね(笑)いろんな色にしたりして。

松本
プロまではいかないで終わっちゃったという感じなんですか?
小林社長
そうですね。

松本
あの業界は分からないんですけど、敷居が高いというか、なんでしょう、一握り?
小林社長
そうです。プロになる、メジャーデビューして、金持ちになってとか、そんなの当時は夢見て、若いころですね、始めたころは、そんな感じだったんですけど。私が18くらいから始めて、28までのこの10年間で、結構、音楽業界が非常にCDの販売というところから、がらっと、オンラインでの配信とか、ダウンロードという方向に非常に変わってきて、昔はミリオンセラーとか当たり前だったのが、100万枚なんて基本売れないとか、そういう流れもあって、かつ、なんていうんでしょうね、非常に運の要素が強い業界で、周りにいろいろと1回メジャーデビューしたけど、またインディーズに戻ってきたとか、すでにメジャーで活動しているけど、それだけじゃ、飯食えないで、こんなことやっているんだよって、いろんな話を聞くようになってくると、だんだんプロじゃなくていいかなと思い始めたんですよね。

趣味でやっていればいいかと。金持ちになるとか、将来こんなことやりたい、あんなことやりたいという夢がいろいろありましたけど、それは、メジャーデビューではない別の道で、そこに向かっていけばいいかなということで辞めて、28歳で初めて就職をしました。

初めての仕事は、飛び込みの訪問営業!

松本
初めの就職はどういった業界にいかれたんですか?
小林社長
最初は飛び込み営業を主体としたOA機器ですとか、法人向けの営業会社に入りました。

松本
飛び込みきつかったですか?
小林社長
きついって、一般的には言われますけど、私はほんとに初めて。初めての仕事だったので、非常に私は楽しかったんですよね。あとは、その会社はまだ私が入ったときは、設立2年くらいで、これから上場目指すぞというような、そういう勢いのある会社だったので。

松本
ベンチャーだったんですね。
小林社長
そうですね。だから、全く経験のない私でも、28歳からのスタートって、ちょっとみんなより遅いじゃないですか。遅いけど、ここだったら、めちゃくちゃ頑張れば、ごぼう抜きして、俺でも上に行けるんじゃないかっていう夢を見れる会社だったので、迷わず、そこに入って、必死に頑張りましたね。楽しかったです。

松本
成績はどんな感じだったんですか?
小林社長
成績は良かったですね。割とすぐ結果が出て。人がどんどん、毎月10人とか、新入社員が入ってくるような会社だったので、責任者が足りないわけですよ。なので、ちょっと結果出すと、すぐに部下がついてみたいな、そういう環境にも恵まれて、私の場合は入社して3ヶ月で、サブマネージャーというふうになってみたいな。

松本
すごいですね。
小林社長
そんな感じでした。ただ、結果が出ないと、また落ちたりするので、最初のうちは上がったけど、また落ちて、もう1回上がってとか、そういうの2、3回繰り返しながら、だんだん安定していって、1年、入社して1年ちょっと経ったときに、マネージャーに昇格をして、マネージャーだとそのときは部下が15人くらい持てるようになって、内勤になるんですよね。

松本
何人くらいなんですか?社員さん。
小林社長
120人くらい。

松本
結構いたんですね。
小林社長
どんどん増えていったんので、私が入ったときは、50人くらいで、私がマネージャーになったときは、120人くらいになっていたんじゃないですかね。

松本
初就職だったから、先入観もないから、新鮮にのめり込めたということですか?
小林社長
そうですね。

松本
それは何年くらいやられたんですか?
小林社長
2年です。

松本
そこからどうされたんですか。転職?
小林社長
そこから会社作りました。

松本
そのあと会社作ったんですか?
小林社長
30歳で退職して、丸2年やってから、このGenten Linksを設立ですね。

松本
それは、OA機器やっている2年の間で、何か起業というのは興味出てきたみたいな感じですか?

小林社長
起業が興味出てきたというよりは、その会社、先ほど言った通り、毎月10人とか入ってくるんですけど、どんどんどんどんやっぱり厳しいので辞めていってしまうんですよね。自分の部下もやっぱり例外ではなくて。

やっぱりその会社のやり方とか、そういう激しい、いわゆる、体育会系みたいなところもあったので、そういう環境を楽しめる人は残るんですけど、そんな人ばっかりじゃないじゃないですか。だから、やり方をとか、ちょっと環境を変えてあげれば、すごく優秀なのになって思う部下もやっぱり辞めていってしまうと。

だから、そういう環境をもっとちゃんと人が定着する。人が社内で育つような、そういう環境を作らないと、上場なんか出来ないし、上場した後も、先は知れちゃっているなって、当時から思っていて。なので、その会社を変えたかったんですよね。

変えたくて、マネージャーに上がって、いろいろと自分なりに考えて、経営陣に話を持っていったりとかしましたけども、でも、なかなか変えられなくて、そんなことやっているうちに、非常に自分なりの、俺はこういう組織を作りたいんだというのが明確に固まっていたんですよね。気づいたら、その会社を変えるよりは、自分がその組織作っちゃった方が早いなというふうに、ぱっとあるとき思って、で、辞めようと。辞めました。

創業時点では、200万以上、消費者金融から借金がある状態

松本
課題からきたという。それで、起業ってなったという。なるほど。それで30歳のころに起業しまして、それは起業する分野というのは決まっていたんですか?
小林社長
決まっていないです。

松本
決まっていないんですか。辞めてから決めたという形ですか?
小林社長
そうですね。お金もなかったので、一応、インターネット広告を使って、何かを売ろうという、インターネット広告と言っても、いわゆる、ワンクリックみたいな、リスティング広告を使うんですけど、それってキーワードとかによって、まだ当時はすごく安いキーワード、いわゆる、穴場のキーワードみたいなものを探せば見つかりそうだというのを、本で読んだんですよね(笑)

その本を読んで、これはいけるなと。ほんとにお金がほんとなくて、借金しかなかったんです。当時も、マネージャーのときとかも、お給料多分、同年代にしては、そこそこ貰えていたんですけど、ただ仕事が激しすぎたので、会社の近くにマンションを借り、そこに住んで、私は23で結婚もしていたので、子供も二人いたんですよ。

だから、家はまた別にあって、そっちの家賃、ローンを払いながら、自分は平日はそのマンションで住んで、家賃が二重にかかるわけじゃないですか。かつ、部下に飯を食わせてやれみたいな、そういう社風だったので、よく部下と行って、僕が全部払っていたので、全然金が足らなくて、それで消費者金融からお金借りて。

松本
そんな時代もあったんですね。
小林社長
で、回している状況だったので、創業時点では、200万以上、消費者金融から借金がある状態で、武富士さんからあと50万くらい枠があって、引っ張れると、借りれるみたいな、そういう状況だったので、その50万で会社を軌道に乗せようみたいな。

松本
すごいですね(笑)
小林社長
ほんとそんな感じでした。だから、50万円で何ができるかと言ったら、そういうリスティング広告で、自分で独学でホームページ作って、とりあえず広告、予算10万くらいでやって、1個売れたら、結構、利益率が高い何かを。

松本
アフィリエイトですか?
小林社長
じゃないですね。ほんとに自分たちで、そういう何を売るかとか、どの業界かは決まっていなかったんですよ。なんとなくそういう方向でやろうというのだけで辞めました。

松本
辞めたときは、もう借金200万ということですよね?
小林社長
そうですね。もうちょっとあったかもしれないですけどね。

初期投資が少なくて、一発売れたら、結構リターンがでかいもの?

松本
それで辞めて、最初やったのが、そのリスティングですか?
小林社長
そうです。それがオーダーメイド自転車.comに繋がるんですけど。いわゆる、広告費が手元の金がなかったので、初期投資が少なくて、一発売れたら、結構リターンがでかいものをいろいろ探していくなかで、やっぱり定価がないものの方がいいなというのはありまして。

当時、自転車がすごく流行り出しか、流行っていたんですよね。ここからさらにきそうだなというのがありまして。じゃあ、自分の好きなオーダーメイドの自転車をWEBサイトから注文できて、勝手に納品されてくるというのであれば、値段もね、他と比べるものでもないので、自分たちで設定できますし、リスティングの広告単価もいろいろとインターネット上の調査をしたら、そんなに高くないと、広告も予算も抑えながらいけそうだというので、立ち上げたんですよね。

松本
ホームページは自分で作れたんですか?
小林社長
そうです。ホームページの作り方みたいな教材を買って、ほんとに一から勉強しました。

松本
ほんとじゃあ地味に、そこを自分でやってきたという。今でも作れるんですか?
小林社長
できますけど、最近は勉強していないのでやっていないですけどね。

オーダーメイド自転車.comオープンも、1台も売れず?

松本
オーダーメイド自転車.comですかね。オープンして。そこからどんな?
小林社長
オープンしたけど、結果、1台も売れずに。

松本
1台も売れずに?
小林社長
はい、売れずにというか、すごい反響はあったんですけど、すごい反響はあって良かったんですけど、結局、自転車をオーダーメイドで作る技術はないので、それを作ってくれる職人さんを見つけて、その人と提携していたんですけど、その職人さんがめちゃくちゃ忙しすぎて、うちからオーダーを流すと、納期、納品予定とかが、もう半年後と1年後とか、そんな状況になっちゃいましたので、そうすると、もう全然キャッシュフローが回らないんですよ。

なので、そんなこんなで、反響はあったんですけど、ちょっとこれ今伸ばす、やれる事業じゃないなということで、一旦閉鎖して、そこからまた何やろうかといろいろ模索ですね。

松本
反響というのは、リスティングで、SEOとか?
小林社長
リスティングですね。基本は。

松本
注文もきて?
小林社長
きました。

松本
でも、納品ができないみたいな。そういうのがあったんですね。これどれくらいやられていたんですか?
小林社長
これはどうかな、半年くらいですかね。

松本
そこではまだ食べれていなかったわけですよね。
小林社長
食べれていないですね。

松本
貯金は50万くらいしかなかったんでしたっけ?
小林社長
そうです。その創業は、実は私が辞めたときに、その2年間、営業会社で働いていたときの、当時の私の部下が話に乗ってきて、俺もやりたいということで、今のうちの共同経営でやっている専務取締役の廣田が、創業時に実際、合流したんですよ。

一緒に立ちあげて、廣田がですね、親から、親じゃないか、親族から金引っ張ってきてくれて、100万くらいですよね。引っ張ってきてくれて、それで少し、なんとか繋いでいたみたいな感じですね。

松本
じゃあ、どっちとも引っ張ってきたという。
小林社長
はい。

口座残高が6,000円?

松本
そうなんですね。そのときの結構、食べれないときって、結構きついじゃないですか。メンタル的にも、メンタル的な心境的にはどんな感じだったんですか?
小林社長
やべえなというのは、でも、ちょっと楽しかった気がしますね。当時もやべえ、やべえ言いながら、ほんとにやべえとは思っていなかったというか、潰れたら、潰れたらしょうがないなという気持ちもどこかにありながら、でも、根拠のない自信はあったんですよね。なんとかなるよねみたいな。

松本
それは、仲間とやっていたからというのもあるんですか?
小林社長
なのかな。

松本
一人だったら、ちょっとまた違ったかもしれない。そんなことはない?
小林社長
どうだろう、ちょっと分からないですね。やったことない、一人では。

松本
でもなんとなく、変な自信はあったという。
小林社長
そうですね。だから、一時期は口座残高が6,000円くらいになっちゃったときもあって、月末でですね。一時期ほんとそのころですよね。それで、ほんとこれ、やべえなと言って、1回、事業を止めて、二人で高給バイトに出ようみたいな。

松本
高級バイト?
小林社長
インターネットで、高時給のアルバイト、いろいろ探したら、カニ漁ですよね。そういうのに行くと、半年くらい出て、戻ってくると、1,500万くらい稼げるとか、それはほんとかどうか分からないですけど、これまじで行こうぜみたいな、そんな金がなかったけど、そんなことを言いながら、なんだかんだ言って、楽しくやっていた気がしますね。

携帯を売って、大当たり?

松本
自転車.comは閉鎖してから、その後はどうされたんですか?
小林社長
その後、なんか、また事業をちゃんと金のなる事業を見つけなきゃということで、いろんな人と儲かる話ないとか、自分でも調べたりしていたら、前職の社長、いわゆる営業会社の社長とご飯食べる機会があって、前職は法人向けの携帯電話の販売とかも、飛び込み営業とかでやっていたので、そこの会社の社長が、「お前、じゃあ、インターネット使って、携帯売ってみない」みたいな話をいただいたんですよ。

当時、iPhoneがすごく勢いがあったんですよね。それで、基本的に、当時は、インターネット上でも、iPhoneの販売って、あんまりサイトがなくて。

松本
5、6年前ですよね?
小林社長
そうですね。それで、じゃあ、やらせてくださいということで、また、モバイルデリバリー.comというサイトを私が作って、リスティング広告また出してみたら、これが大当たりしたんですよね。

松本
それは、iPhoneを売っていたんですか?
小林社長
ソフトバンク携帯が主だったんですけど、iPhoneだけではなかったですね。他の携帯もやっていました。

ただ、基本的にオンラインで受け付けして、対面しないといけないので、受けたら、電話で受けたら、アポイント取って、直接廣田が自宅とか、職場とか、喫茶店、待ち合わせしたところに行って、そこで契約書貰うみたいな、そういうアナログなことやっていたので、めちゃくちゃ忙しかったですけどね。

松本
対面は必須なんですね?
小林社長
対面必須だったんですよ。だから、非常に怪しまれましたけどね、お客さんに、ほんとに大丈夫ですかみたいな、でも、すごい売れましたね。

松本
それは納品も直接渡すみたいな?
小林社長
納品も渡していたかな、確か、どうだったかな、それは覚えていないですね。

松本
今もあるんですか。ネットで注文してというのは?
小林社長
それがですね、あると思います。当時、うちがやったら、すごい大当たりしたので、その大当たりした話が、当然、その社長も知っていますし、その社長の周りの他の会社の社長とか多分耳に入ったと思うんですけど、始めて、3ヶ月くらいしたら、競合がぼこぼこ出てきて、それで立ち行かなくなっちゃいましたね。

やっぱり金のある会社は、そういうもっとすごいサイトをどんどん立ち上げてやっているので、これは駄目だと言って、それで、撤退しました。それも。

松本
これはどれくらいやられていたんですか?
小林社長
これも半年くらいかもしれないですね。

松本
でも、半年くらいでちょっと小銭を稼いだ?
小林社長
そうです。そこで初めて、金が懐が温まった。

松本
なるほど、じゃあ、閉鎖してから、また新しいことやらなきゃいけないと。
小林社長
そうですね。

医療介護専門・転職求人サイト。専門職種に特化したメドフィット/後編

株式会社Genten Links  代表取締役 小林英二

各種企業・医療機関・介護施設への「人材サービス事業」と、「訪問看護事業」の2つを主軸に事業展開。他、研究開発分野、獣医師さんの人材の紹介。美容業界の人材サービスの提供。「従業員満足度×顧客満足度」=「無限大」を常に追求し続けます。

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