【海軍省 練習兵用 歴史教科書】20. 八幡船(ばはんせん)と倭寇、勘合貿易

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6.海外発展と世界の情勢 (1)海外発展の気運 海外発展の気運 我が國古来の傳統たる国民の海外発展は平安中期になって一時大いに衰へたが、武士の勃興に伴って再び活況を呈しはじめ、源平二氏及び鎌倉幕府の奨励により日宋貿易が盛に行はれるやうになった。 この時、特に西国の武士は主として海洋を舞台に活躍し、かの元寇に際してはその撃攘(げきじょう)に大いに貢献した。 而してこの元寇の撃攘がわが国民の海外発展の気運をますます高めたことは著しいものがあった。
八幡船(ばはんせん)の活躍 即ち建武中興の後、天下が再び乱れて吉野時代となり、更に室町時代となるに随って、航海に馴れた九州・四国・瀬戸内海沿岸の士民はこの好機に乗じて軽舟を操り、船には八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の旗をかかげ、よく千里の波濤(はたう)を凌(しの)いで朝鮮・支那の沿岸に潑刺(はつらつ)たる貿易を開始した。 しかも国家の保護のないこれらの商人は、自衛のためには武力を行使することを余儀なくせられ、各地に威名を轟(とどろ)かしたので、支那・朝鮮に於いてはこれを倭寇と呼び、その船を八幡船(ばはんせん)と称して大いに恐れた。 當時すでに衰亡に瀕していた高麗は、このため遂に滅亡したとまでいはれている。 支那に於いては、元の滅後、これに代わって明が興ったが、明は国内を統一した勢に乗じて使を我が国に遣わし、當時九州に在(おは)しました征西将軍(せいせいしょうぐん)宮懐良(みやかねなが)親王に、我が邊海の士民の海外活躍を禁止せられることを請ふてきた。 親王はその国書が無礼極まるものであったのをせめて直ちにこれを却(しりぞ)けられ、毅然(きぜん)たる御態度を以て大いに我が国威を海外にお示しになった。 室町幕府の勘合貿易 然るに大義に暗い足利氏は、この明に極めて屈辱的な態度を取った。 即ち義満は明の態度が我が国に対して甚だ不遜であったにもかかわらず、自らの利益のためには国家の面目(めんぼく)をも顧みず、その要求を容れて我が士民の海外発展を禁止すると思に、自ら對明貿易を開始した。 而してその貿易は、幕府の公船の証として明(みん)から交付せられた勘合附(かんごうふ)を携帯する勘合船(かんごうせん)だけに貿易を許す、いわゆる勘合貿易であったため、我が商人の奔放な海外発展は一時大いに衰えた。 南方発展の先駆 しかし室町幕府の勢力が衰えた応仁の乱後は、我が士民の活躍は再び盛となった。 我が商戦の活動範囲は年とともに拡大せられ、南支沿岸から南方各地に及び、ヨーロッパ人渡来に先立って、南方における我が國民雄飛の先駆となった。 爾来秀吉の東亜政策によって、對明(たいみん)貿易が委縮した後も、南方貿易だけはますます盛大となり、やがて新来のヨーロッパ人と相伍して、世界貿易線上に大いに活躍することとなったのである。 国威の御宣揚 陛下與戦の策あらば、小邦亦禦敵(ぎょてき)の圖(と)あり。 又聞く、陛下股肱(ここう)の将を選び、竭力(けつりょく)の兵を起こして、来り臣が境を侵すと。 水澤(すいたく)の地、山海の洲、自ら其の備あり。豈に肯(あへ)て途に跪(ひざまず)いて之を奉ぜんや。 之(これ)に順(したが)うも未だ必ずしもそれ生きず、之に逆(さから)ふも未だ必ずしもそれ死せんや。 (「明史日本傳」懐良親王遺明御書)
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