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茶導師「梅原宗直氏」に学ぶお茶カルチャー in 高野山

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今回のディグディグ日本史は、特別回。TAROとTAMAKINが和歌山県の高野山に向かい、知られざるお茶の世界に触れる。

※こちらの内容は、Podcastでも配信中です。出演者の和やかな雰囲気が出ているインタビューとなっていますので、是非そちらもお聞きください。
Podcast以外でお聴きの方は、下記音声ファイルを再生してお聴きください。

梅原宗直氏について


17歳の頃から茶道を学び、27歳で石州流茶道の皆伝を取得。高野山で「和真庵」をオープンさせ、参拝に来た外国人に茶を体験してもらうワークショップを開催。国内外にも勢力的に茶道を広める活動をしている。茶導師でありながら、かつては横浜のクラブでレゲエの歌い手やヒップホップのDJをしていた経験を持つ人物である。

2019年5月令和の時代とともに「和真庵」を高野山にオープンし、そこではお茶を使用した抹茶ラテやお茶カレーを提供されている。他では口にすることのできない一品を是非一度足を運んで食していただきたい。

また、ネットショップでは、茶のアイテムを購入することもできる。
WASHINAN

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お茶の始まりについて

お茶は、江戸時代後期くらいまでは、庶民が手軽に飲めるものではなかった。それまでは瞑想や修行を長くする為の眠気覚ましに使われていた。

では、お茶はいつ頃日本に入って来たのだろうか?
お茶の始まりは、平安時代。その頃、朝廷は空海・最澄のような遣唐使送り、中国で仏教を学ばせていた。
遣唐使が日本へ帰る際のお土産の一つとして、お茶の種を持って帰って来たようである。
平安時代初期(1200年前)に嵯峨天皇にお茶を煎じて奉ったということが、日本のお茶に関する最初の記述である。

大僧都が嵯峨天皇が二日酔いに煎じたら、翌日回復してたことにより薬のように使われたようだね。
今でこそ成分を科学的に調べて、ビタミンCがどーのこーの言ってるが、当時はそんなものないよね。みんな肌感覚で良さを体感し、茶の人気に拍車がかかったんだ。お茶を飲むことは、貴族のステータスの一つでもあったんだ。

千利休の魅力

利休はお茶を武士や貴族へだけでなく庶民に対して理解しやすいよう表現をしてきた。

秀吉や信長も茶道好きとして有名だね。

彼らは戦をして相手から効果な茶器を奪い取るくらいの「ハイブランド好き」だったんだ。でも千利休は、例えるなら100円ショップのアイテムでもお茶を楽しめるんだということを庶民に広めた人間である。一般の人にわかりやすく茶を教えたんだね。

もちろん、茶道は千利休の以前からあった。事実、利休は北向道陳という茶人のの弟子である。
茶道には、「守・破・離」という大切な言葉がある。
「守」とは「先生に教えてもらう」、破は「自分の形を作る」、「離」は「師匠から離れる」という意味だ。
皆伝を取ることで、離として活動していく。
「離」の部分に置いて、利休は利休流を作らずに、表千家、裏千家、武者小路千家を作ったんだ。
梅原さんの見解では、茶道の流派が確立されてのは、千利休が多くの人に茶を広めたからではないかと。

利休以前にも、村田珠光や武野紹鴎といった茶人の名前が残っているが、千利休が群を抜いて有名だ。それほどに一般の人への影響力があるではないか。
お茶の文化をメインストリームに打ち出した、彼のプロデユース力は脱帽だね。

そんな茶を庶民に伝える柔らかい心の持ち主だが、別の顔もあるんだ。
茶人でありながら策士としての顔を持っていたんだって。

戦の前に戦略会議をしていた!?

信長秀吉が、会社の社長だとすると、利休は副社長みたいなポジションだったようだ。
戦に行く前に、茶室という小部屋であの人を倒すにはどういう風に倒すのか冷静に考える場所が、茶室の役割だった。

歴史的にもそのように言われている。
利休は「待庵」という素晴らしい茶室使っていたので、秀吉を慌てて戦さに向かわせずに、一度待たせて冷静にさせた。諸説あるが、”待たせる”場所として茶室を使った。

確かに、一度冷静になることは頭の中を整理して大切。近道が見つかるかもしれないね。

梅原さんが茶道へ進むきっかけ

梅原さんが茶道の世界に興味を持ったのは高校生の頃。
柔道をしていた時、顧問の先生に、侍の価値観として「動と静」の価値観というのを教えられたんだって。。
「動きあるものに精進するものは、その反対である静へも精進する。」
「動」を理解するものは、「静」を理解をする。その逆も然りということだね。その言葉に共感した梅原さんは茶道について調べ始めたんだ。
そして茶道は有名な戦国武将も嗜んでいたり、現代では大きな会社の社長も趣味として学んでいることを知ったんだ。

TAROと同じく戦国武将好きだった梅原さんは、そこからさらに興味を持って、本格的に茶道を習い始めたんだ。

利休の意外な顔

朝顔の話。

利休にまつわるエピソードである有名な話がある。
秀吉と利休に関する話だ。
ある時、部下から「利休の庭にとても綺麗な朝顔が咲いている」という話を聴いた秀吉。美しいものが大好きな秀吉は、早速利休に家で茶会を開けと命じたんだ。しかし当日伺うと朝顔が一輪も咲いていない。
「なんでやねん、全然朝顔ないやんけ」と不機嫌になった秀吉。
とりあえず茶だけ飲んで帰るべ。と茶室の躙り口(茶室に入る際の小さな入り口。)から入って、中を見渡すと、床の間に一輪の朝顔がさしている。
それを見て秀吉は「利休め。なかなか粋なことをするな」喜んだという話だ。

つまりこれは利休が朝顔の美しさを引き立てるために講じた作戦なんだ。
庭に朝顔がたくさん咲いてたら、それだけで満足してしまって、その後、茶室で茶を飲む時間を楽しめないよね?またたくさんの朝顔をいっぺんに見ることは、一輪の朝顔の本当の美しさに触れないということも意味する。
つまり利休は「茶」という空間を存分に楽しませるため、そこへの誘導として庭の朝顔を全て刈り取ったんだ。
茶室という小さな空間で、また茶を飲むという限られた時間の中で、どれだけの秀吉に感動を与えることができるのか。利休の魅せ方へのこだわりが凝縮しているエピソードだね。

落ち葉

高野山は秋は紅葉が綺麗な場所。秋は特に観光客も多いんだって。
そんなある秋の日、若い坊さんが、住職に庭を綺麗にするように命ぜられたんだって。お坊さんは頑張って庭を掃除して、落ち葉一つ残さなかったんだ。

「よっしゃ、これで住職も褒めてくれるはず」と思ったんだけど、庭を見た住職はお怒りのご様子。
「バカもん、多少落ち葉残しとかんかい」と言ったんだ。

利休も同じような話があり、怒りはしなかったものの、綺麗な庭にあえて集めた落ち葉を撒き散らせ、こちらの方が風情があると言ったという話が残っている。

完璧に綺麗にすることだけが、良いとは限らない。無造作落ちている落ち葉も含めて、日本の美の一つの形なんだね。そんな日本の美の感覚こそ、外国人が日本を好きな理由の一つなのではないだろうか。

ビーチで大茶会

梅原さんは、茶導師として砂浜にオープン茶室を作り、イベントを開催した経験もあるという。
「一つの視点で物事を見るのではなく、複合的に考えて見るのはどうか。」

その発想は、かつて自信が参加していた音楽イベントからヒントを得たんだって。もちろん、茶室でお茶を立てることが茶道の基本。ビーチでお茶を立てことで潮風に晒された茶道具が傷んでしまうこともある。
でも、ビートでお茶を披露することで、普段お茶に関わりがない人々にも興味を持ってもらえる機会を作ることができるよね。
茶道はどうしても堅苦しくて難しいものと思われがちな世界。
でも梅原さんはこのようなきっかけで茶道のカルチャーを少しでも広めていきたいと思っているんだ。

高野山でお茶を作りたい


梅原さんは、将来は、高野山でお茶を栽培して、周辺のお寺で飲んでもらいたいと思っているんだって。
また寺子屋のような施設を作って、そこで子どもたちがお茶を飲み礼儀作法を学べるようにしたい。と考えているんだ。

まさにこれは「Back To お茶」の精神だね。

コーヒーを飲んでる場合ちゃうで、ほんま。お茶を知ると日本の伝統文化に対するイメージが変わるかも。みんなも気軽な気持ちでお茶カルチャーに触れてみよう。

梅原宗直さんに、お茶についてお話いただきました。
お忙しいなか、お時間を作っていただきまして誠に感謝しています!

<告知>
■ストリートカルチャーとヒップホップを融合させた、英語学習アプリ『JUICE』
Apple Storeで無料ダンロードできます。

Representで『ラップで使われてるスラングの意味、ユナーミーン?』というアメリカのラップのリリックに関するコラムを書いています。
ストリートカルチャーの記事があるので興味のある方は是非、チェックしてください!!

■LINEスタンプで戦国時代の人々をモチーフにしたスタンプを販売開始しました!タイトルは『戦国時代人』です。¥120で販売しています。

ディグディグ日本史は、隔週月曜日にpodcastでも配信しています。また次回をお楽しみに!!

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梅原宗直氏について


17歳の頃から茶道を学び、27歳で石州流茶道の皆伝を取得。高野山で「和真庵」をオープンさせ、参拝に来た外国人に茶を体験してもらうワークショップを開催。国内外にも勢力的に茶道を広める活動をしている。茶導師でありながら、かつては横浜のクラブでレゲエの歌い手やヒップホップのDJをしていた経験を持つ人物である。

2019年5月令和の時代とともに「和真庵」を高野山にオープンし、そこではお茶を使用した抹茶ラテやお茶カレーを提供されている。他では口にすることのできない一品を是非一度足を運んで食していただきたい。

また、ネットショップでは、茶のアイテムを購入することもできる。
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お茶の始まりについて

お茶は、江戸時代後期くらいまでは、庶民が手軽に飲めるものではなかった。それまでは瞑想や修行を長くする為の眠気覚ましに使われていた。

では、お茶はいつ頃日本に入って来たのだろうか?
お茶の始まりは、平安時代。その頃、朝廷は空海・最澄のような遣唐使送り、中国で仏教を学ばせていた。
遣唐使が日本へ帰る際のお土産の一つとして、お茶の種を持って帰って来たようである。
平安時代初期(1200年前)に嵯峨天皇にお茶を煎じて奉ったということが、日本のお茶に関する最初の記述である。

大僧都が嵯峨天皇が二日酔いに煎じたら、翌日回復してたことにより薬のように使われたようだね。
今でこそ成分を科学的に調べて、ビタミンCがどーのこーの言ってるが、当時はそんなものないよね。みんな肌感覚で良さを体感し、茶の人気に拍車がかかったんだ。お茶を飲むことは、貴族のステータスの一つでもあったんだ。

千利休の魅力

利休はお茶を武士や貴族へだけでなく庶民に対して理解しやすいよう表現をしてきた。

秀吉や信長も茶道好きとして有名だね。

彼らは戦をして相手から効果な茶器を奪い取るくらいの「ハイブランド好き」だったんだ。でも千利休は、例えるなら100円ショップのアイテムでもお茶を楽しめるんだということを庶民に広めた人間である。一般の人にわかりやすく茶を教えたんだね。

もちろん、茶道は千利休の以前からあった。事実、利休は北向道陳という茶人のの弟子である。
茶道には、「守・破・離」という大切な言葉がある。
「守」とは「先生に教えてもらう」、破は「自分の形を作る」、「離」は「師匠から離れる」という意味だ。
皆伝を取ることで、離として活動していく。
「離」の部分に置いて、利休は利休流を作らずに、表千家、裏千家、武者小路千家を作ったんだ。
梅原さんの見解では、茶道の流派が確立されてのは、千利休が多くの人に茶を広めたからではないかと。

利休以前にも、村田珠光や武野紹鴎といった茶人の名前が残っているが、千利休が群を抜いて有名だ。それほどに一般の人への影響力があるではないか。
お茶の文化をメインストリームに打ち出した、彼のプロデユース力は脱帽だね。

そんな茶を庶民に伝える柔らかい心の持ち主だが、別の顔もあるんだ。
茶人でありながら策士としての顔を持っていたんだって。

戦の前に戦略会議をしていた!?

信長秀吉が、会社の社長だとすると、利休は副社長みたいなポジションだったようだ。
戦に行く前に、茶室という小部屋であの人を倒すにはどういう風に倒すのか冷静に考える場所が、茶室の役割だった。

歴史的にもそのように言われている。
利休は「待庵」という素晴らしい茶室使っていたので、秀吉を慌てて戦さに向かわせずに、一度待たせて冷静にさせた。諸説あるが、”待たせる”場所として茶室を使った。

確かに、一度冷静になることは頭の中を整理して大切。近道が見つかるかもしれないね。

梅原さんが茶道へ進むきっかけ

梅原さんが茶道の世界に興味を持ったのは高校生の頃。
柔道をしていた時、顧問の先生に、侍の価値観として「動と静」の価値観というのを教えられたんだって。。
「動きあるものに精進するものは、その反対である静へも精進する。」
「動」を理解するものは、「静」を理解をする。その逆も然りということだね。その言葉に共感した梅原さんは茶道について調べ始めたんだ。
そして茶道は有名な戦国武将も嗜んでいたり、現代では大きな会社の社長も趣味として学んでいることを知ったんだ。

TAROと同じく戦国武将好きだった梅原さんは、そこからさらに興味を持って、本格的に茶道を習い始めたんだ。

利休の意外な顔

朝顔の話。

利休にまつわるエピソードである有名な話がある。
秀吉と利休に関する話だ。
ある時、部下から「利休の庭にとても綺麗な朝顔が咲いている」という話を聴いた秀吉。美しいものが大好きな秀吉は、早速利休に家で茶会を開けと命じたんだ。しかし当日伺うと朝顔が一輪も咲いていない。
「なんでやねん、全然朝顔ないやんけ」と不機嫌になった秀吉。
とりあえず茶だけ飲んで帰るべ。と茶室の躙り口(茶室に入る際の小さな入り口。)から入って、中を見渡すと、床の間に一輪の朝顔がさしている。
それを見て秀吉は「利休め。なかなか粋なことをするな」喜んだという話だ。

つまりこれは利休が朝顔の美しさを引き立てるために講じた作戦なんだ。
庭に朝顔がたくさん咲いてたら、それだけで満足してしまって、その後、茶室で茶を飲む時間を楽しめないよね?またたくさんの朝顔をいっぺんに見ることは、一輪の朝顔の本当の美しさに触れないということも意味する。
つまり利休は「茶」という空間を存分に楽しませるため、そこへの誘導として庭の朝顔を全て刈り取ったんだ。
茶室という小さな空間で、また茶を飲むという限られた時間の中で、どれだけの秀吉に感動を与えることができるのか。利休の魅せ方へのこだわりが凝縮しているエピソードだね。

落ち葉

高野山は秋は紅葉が綺麗な場所。秋は特に観光客も多いんだって。
そんなある秋の日、若い坊さんが、住職に庭を綺麗にするように命ぜられたんだって。お坊さんは頑張って庭を掃除して、落ち葉一つ残さなかったんだ。

「よっしゃ、これで住職も褒めてくれるはず」と思ったんだけど、庭を見た住職はお怒りのご様子。
「バカもん、多少落ち葉残しとかんかい」と言ったんだ。

利休も同じような話があり、怒りはしなかったものの、綺麗な庭にあえて集めた落ち葉を撒き散らせ、こちらの方が風情があると言ったという話が残っている。

完璧に綺麗にすることだけが、良いとは限らない。無造作落ちている落ち葉も含めて、日本の美の一つの形なんだね。そんな日本の美の感覚こそ、外国人が日本を好きな理由の一つなのではないだろうか。

ビーチで大茶会

梅原さんは、茶導師として砂浜にオープン茶室を作り、イベントを開催した経験もあるという。
「一つの視点で物事を見るのではなく、複合的に考えて見るのはどうか。」

その発想は、かつて自信が参加していた音楽イベントからヒントを得たんだって。もちろん、茶室でお茶を立てることが茶道の基本。ビーチでお茶を立てことで潮風に晒された茶道具が傷んでしまうこともある。
でも、ビートでお茶を披露することで、普段お茶に関わりがない人々にも興味を持ってもらえる機会を作ることができるよね。
茶道はどうしても堅苦しくて難しいものと思われがちな世界。
でも梅原さんはこのようなきっかけで茶道のカルチャーを少しでも広めていきたいと思っているんだ。

高野山でお茶を作りたい


梅原さんは、将来は、高野山でお茶を栽培して、周辺のお寺で飲んでもらいたいと思っているんだって。
また寺子屋のような施設を作って、そこで子どもたちがお茶を飲み礼儀作法を学べるようにしたい。と考えているんだ。

まさにこれは「Back To お茶」の精神だね。

コーヒーを飲んでる場合ちゃうで、ほんま。お茶を知ると日本の伝統文化に対するイメージが変わるかも。みんなも気軽な気持ちでお茶カルチャーに触れてみよう。

梅原宗直さんに、お茶についてお話いただきました。
お忙しいなか、お時間を作っていただきまして誠に感謝しています!

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Representで『ラップで使われてるスラングの意味、ユナーミーン?』というアメリカのラップのリリックに関するコラムを書いています。
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ディグディグ日本史は、隔週月曜日にpodcastでも配信しています。また次回をお楽しみに!!

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