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【海軍省 練習兵用 歴史教科書】12. 聖武天皇と天平文化

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(6)国風文化の発展

国家意識と国風文化

改新後我が国文化は、国家制度の整備と大陸文化の輸入とによって、年とともに著しい発展を遂げた。

而してこの時代の文化は、決して単なる外来文化の模倣でなく、国家意識の興隆に伴い、我が国固有の国家観念はますます昂揚せられて、国風文化の発展をみたところにその特色があった。

史誌(しし)の編纂

国内に於ける統一政治の進展と外来文化との接触とによって、著しく高めらてきた国家意識の興隆は、まず史誌の編纂となって現れた。

即ち 国史には元明天皇の御代、太安万侶(おおのやすまろ)が稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦(よ)む古傳を記録して奉った古事記と、元正天皇の勅令により、舎人(とねり)親王が撰修せられた日本書紀とがある。

ともに我が肇国の宏遠(こうえん)を説き、御歴代の御聖業を記して余すところがない。

特に日本書紀は 国家の正史として長く朝廷で重んぜられ、これから平安中期に至るまでの間、国史勅撰のことは引き続き行われて、続日本紀(しょくにほんき)・日本後紀(にほんこうき)・続日本後紀(しょくにほんこうき)・文徳実録(ぶんとくじつろく)・三代実録(さんだいじつろく)が編纂せられた。

これらと日本書紀とをあわせて六国史(りっこくし)といふ。

また風土記(ふどき)は元明天皇が諸国に命じて、国内の地勢・産物・伝説等を記し奉らしめ給うた、我が国最古の地誌である。

和歌の発達

またこの時代には和歌が大いに発達した。萬葉集(まんようしゅう)は 主としてこの時代の和歌を集めたもので、よく我が国最古の風俗・人情を伝えているが、就中(なかんずく)その純朴な歌風のうちに豊かに表現せられている忠君愛国の至誠、敬神崇祖(けいしんすうそ)の精神は、当時の国民が如何に熱烈な国家観念に燃えていたかを示している。

仏教の興隆

仏教も聖武天皇(しょうむてんのう)の御代を中心として、遥かに前代を凌ぐ興隆を示したが、当時の国家観念の昂揚に伴い、国家鎮護(ちんご)の教法として発達したところに、この時代の仏教の特色があった。

即ち聖武天皇は仏教の功徳(くどく)により国家の隆昌、国民の福祉をお求めになり、数多(あまた)の寺院・仏像などを造らしめ給うたが、就中 天平年間、万民の災厄(さいやく)を払い、天下を安泰ならしめるために、国毎に僧・尼の二寺を建てしめ給うた。

これがいわゆる国分寺及び国分尼寺(こくぶんにじ)である。

また 天平15年(1403)、天皇は大仏鋳造(だいぶつちゅうぞう)の御事を発願(はつがん)あらせられ、第46代孝謙天皇(こうけんてんのう)の天平勝寶(てんぴょうしょうほう)4年(1412)、遂にその竣巧(しゅんこう)を見たが、その偉容はまさに国運の隆昌を象徴するものであった。

またこの時代の仏教の興隆が仏教の慈悲の精神に基づき各種の社会事業を盛ならしめたことも、すべて当時に於ける国家意識の発露であった。

天平文化の精華

かくて 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代を中心とする奈良時代は、大化改新以来の革新政治が皇都の完成を以て実を結び、国威は海外に輝いて唐との通交も好調を保ち、ここに仏教の興隆に伴って美術・工芸に於ても燦然(さんぜん)たる文化の華が開かれた。

これを世に天平文化と呼ぶ。

而して天平文化は唐の文化の影響を受けて発達したものであったが、更に唐の文化の起源を探れば、印度・波斯(ペルシャ)等の文化、更に遠くはギリシャの文化が いわゆる西域(さいいき)諸国を経て支那に入り、支那固有文化に強い影響を與(あた)へ、唐の文化として大成せられたものであった。

随って我が天平文化は実に東西文化を融合し、これを我が固有文化に同化せしめた宏大(こうだい)な世界的文化であった。

ここに天平文化の我が国文化の精髄たる所以がある。

国家意識の昂揚

皇者神二四座者天雲之雷之上爾廬為流鴨 (柿本人麿)

御民吾生有験在天地之榮時爾相樂念者 (海犬養岡麿)

天平文化の世界的性格

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国家意識と国風文化

改新後我が国文化は、国家制度の整備と大陸文化の輸入とによって、年とともに著しい発展を遂げた。

而してこの時代の文化は、決して単なる外来文化の模倣でなく、国家意識の興隆に伴い、我が国固有の国家観念はますます昂揚せられて、国風文化の発展をみたところにその特色があった。

史誌(しし)の編纂

国内に於ける統一政治の進展と外来文化との接触とによって、著しく高めらてきた国家意識の興隆は、まず史誌の編纂となって現れた。

即ち 国史には元明天皇の御代、太安万侶(おおのやすまろ)が稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦(よ)む古傳を記録して奉った古事記と、元正天皇の勅令により、舎人(とねり)親王が撰修せられた日本書紀とがある。

ともに我が肇国の宏遠(こうえん)を説き、御歴代の御聖業を記して余すところがない。

特に日本書紀は 国家の正史として長く朝廷で重んぜられ、これから平安中期に至るまでの間、国史勅撰のことは引き続き行われて、続日本紀(しょくにほんき)・日本後紀(にほんこうき)・続日本後紀(しょくにほんこうき)・文徳実録(ぶんとくじつろく)・三代実録(さんだいじつろく)が編纂せられた。

これらと日本書紀とをあわせて六国史(りっこくし)といふ。

また風土記(ふどき)は元明天皇が諸国に命じて、国内の地勢・産物・伝説等を記し奉らしめ給うた、我が国最古の地誌である。

和歌の発達

またこの時代には和歌が大いに発達した。萬葉集(まんようしゅう)は 主としてこの時代の和歌を集めたもので、よく我が国最古の風俗・人情を伝えているが、就中(なかんずく)その純朴な歌風のうちに豊かに表現せられている忠君愛国の至誠、敬神崇祖(けいしんすうそ)の精神は、当時の国民が如何に熱烈な国家観念に燃えていたかを示している。

仏教の興隆

仏教も聖武天皇(しょうむてんのう)の御代を中心として、遥かに前代を凌ぐ興隆を示したが、当時の国家観念の昂揚に伴い、国家鎮護(ちんご)の教法として発達したところに、この時代の仏教の特色があった。

即ち聖武天皇は仏教の功徳(くどく)により国家の隆昌、国民の福祉をお求めになり、数多(あまた)の寺院・仏像などを造らしめ給うたが、就中 天平年間、万民の災厄(さいやく)を払い、天下を安泰ならしめるために、国毎に僧・尼の二寺を建てしめ給うた。

これがいわゆる国分寺及び国分尼寺(こくぶんにじ)である。

また 天平15年(1403)、天皇は大仏鋳造(だいぶつちゅうぞう)の御事を発願(はつがん)あらせられ、第46代孝謙天皇(こうけんてんのう)の天平勝寶(てんぴょうしょうほう)4年(1412)、遂にその竣巧(しゅんこう)を見たが、その偉容はまさに国運の隆昌を象徴するものであった。

またこの時代の仏教の興隆が仏教の慈悲の精神に基づき各種の社会事業を盛ならしめたことも、すべて当時に於ける国家意識の発露であった。

天平文化の精華

かくて 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代を中心とする奈良時代は、大化改新以来の革新政治が皇都の完成を以て実を結び、国威は海外に輝いて唐との通交も好調を保ち、ここに仏教の興隆に伴って美術・工芸に於ても燦然(さんぜん)たる文化の華が開かれた。

これを世に天平文化と呼ぶ。

而して天平文化は唐の文化の影響を受けて発達したものであったが、更に唐の文化の起源を探れば、印度・波斯(ペルシャ)等の文化、更に遠くはギリシャの文化が いわゆる西域(さいいき)諸国を経て支那に入り、支那固有文化に強い影響を與(あた)へ、唐の文化として大成せられたものであった。

随って我が天平文化は実に東西文化を融合し、これを我が固有文化に同化せしめた宏大(こうだい)な世界的文化であった。

ここに天平文化の我が国文化の精髄たる所以がある。

国家意識の昂揚

皇者神二四座者天雲之雷之上爾廬為流鴨 (柿本人麿)

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