【海軍省 練習兵用 歴史教科書】10. 大宝律令

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(5)國内制度の整備 律令の制定 齊明天皇(さいめいてんのう)の崩御後、中大兄皇子が即位し給うて、第38代天智天皇(てんじてんのう)と申し上げる。天皇は大化改新の大精神に基づきますます統一政治の徹底を期し給うて、法制の整備にお努めになった。 爾来 歴代天皇は大御心(おおみこころ)をその完備にお注ぎになり、第42代文武天皇(もんむてんのう)の大寶(たいほう)元年(1361年)、大寶律令(たいほうりつりょう)・(大宝律令)が完成せられた。今に遺(のこ)るものは元正天皇(げんしょうてんのう)の養老2年(1378年)に修正せられた養老律令(ようろうりつりょう)であるが、これは大寶律令と大差ない。 令(りょう)の内容 令(りょう)は一般の行政法規で、その規定によれば (一)先ず官制に於ては、中央に神祇(じんぎ)・太政(だじょう)の二官が置かれ、神祇官は最も重く神祇(じんぎ)・祭禮(さいれい)を司どり、太政官は中務(なかつかさ)・式部(しきぶ)・治部(ちぶ)・民部(みんぶ)・兵部(ひょうぶ)・刑部(おさかべ)・大蔵(おおくら)・宮内(くない)の八省を統括して、その他の諸政を司どった。 地方には国司(こくし)・郡司(ぐんじ)を置いて行政に當(あた)らしめ、別に都には左右京職(きょうしき)、外交・国防の要地である筑紫(つくし)には 大宰府(だざいふ)が置かれた。 (二)次に 兵制は国民皆兵の徴兵制度であって、全国の壮丁(そうてい)の三分の一を兵士とし、諸国の軍団に廃して武技を練らしめ、選ばれたものが衛士(えじ)として都に上り、五衛府(えふ)に配せられて宮門(きゅうもん)を守り、特に東国(あづまのくに)の武技に秀でたものは 防人(さきもり)として筑紫(つくし)、その他の邊要(へんよう)の地に派遣せられ、国防に當(あた)った。 (三)学制としては、主に官史の子弟の養成を目的として、都(みやこ)には大学、諸国には国学(こくがく)が置かれた。 (四)その他 全国の土地・人民を公地公民としてこれに班田収授(はんでんしゅうじゅ)の法を施(ほどこ)し、租庸調の税制を課することは 大化改新の制度そのままであった。 律の大要 また律は 今の刑法に當り、国民生活のすべての方面に関する罪が挙げられ、刑罰が定められた。 即ち刑罰には 笞(ち)・杖(ちゃう)・従(づ)・流(る)・死(し)の五等があり、我が国情から謀反(むほん)・大逆(たいぎゃく)・不孝・不義等の国家・皇室或いは父母・上長に対するものが特に重罪とせられた。 律令制度の特色 このように律令は、範を主として唐制にとって制定せられたものであるが、よく我が国古来の国情や国民生活を斟酌(しんしゃく)し、あくまで我が國独自の精神によって貫かれているのであって、単なる唐制の模倣(もほう)でなかったところに 我が律令制度の特色があった。 皇都の建設 かくて内には政治の諸機関が次第に備わり、また外に大陸諸国と交通もますます頻繁となって、ここに壮大な皇都の建設が行われることとなった。 即ち元明天皇の和銅(わどう)3年(1370)、奈良に都を御奠(さだ)めになってから、第49代光仁天皇(こうにんてんのう)の御代まで七代70余年の間、この地は我が国の皇都となったが、この新都は 東西四十町、南北四十五町、朱雀大路(すざくおおじ)を以て 左京・右京に分かち、その北端に宮城を置き、條坊井然(じょうぼうせいやん)として壮麗極まりなく、ここに政治と文化の華が開かれた。 世にこれを平城京といふ。 次いで桓武天皇(かんむてんのう)の御代になり 京都に都を移し給うたが、その規模と都市の美観は更に雄大・壮麗を極め、明治維新に至るまで長く我が皇都となり、文化発展の中心として繁栄した。 これを世に平安京といふ。

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