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最高の Storytelling ポッドキャストが見つかりました。 (アップデートされました 7月 2020)
最高の Storytelling ポッドキャストが見つかりました。
アップデートされました 7月 2020
Most people grew up listening to stories that have been shared and passed on from generation to next as a means of entertainment, education, cultural preservation and instilling moral values. The podcasts listed in the catalog cover stories from every genre, real and sci-fi, for all ages, which be followed while you commute, walk in the park, climb a mountain, even without Internet connection. Some of the podcasts analyse popular myths and their cultural influence and origin. Other podcasts delve into the paranormal world, attempting to explore the unexplained as well as discussing about UFO encounters. Furthermore, you can find many audio books, bed-time stories for children, ranging from retelling of fairy tales to telling classic stories. Some hosts invite people from all walks of life to share their true, life stories. Others analyse the latest news in literature, from every genre, often accompanied by established and emerging authors.
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風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
 
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『大森望×豊崎由美 文学賞メッタ斬り!スペシャル(第163回予想編)』(2020年7月13日OA) 2020年7月13日25時00分からのラジオ日本特別番組『大森望×豊崎由美 文学賞メッタ斬り!スペシャル(予想編)』のポッドキャスト版です。SF翻訳家、書評家の大森望さん、書評家の豊崎由美さんが第163回芥川賞、直木賞を徹底予想!「ほぼノーカット」でお楽しみください。AM1422kHzRadioNippon による
 
戦中戦後を旺盛な創作欲で駆け抜けた、無頼派の劇作家がいます。 三好十郎(みよし・じゅうろう)。 作家としての出発は、左翼芸術同盟を結成するなど、プロレタリアの旗手として小説や詩、戯曲を発表しましたが、政治主義や社会派という名のプロパガンダに不満を抱き、転向。 いわく、「演劇は、思想の宣伝に使われてはならない」。 その後はとことん、私というリアリズムにこだわることで、庶民の苦悩や貧困、人間が抱える根源的な生死に向き合いました。 自らの幼い頃の哀しい体験に根差した人間洞察に共感したのは、今月、この番組でご紹介した稀代の俳優、丸山定夫です。 「他の劇作家のセリフは、ひとつやふたつ、どこか心にしっくりこないものがあるが、三好の芝居は違う。すとんと、すべて腑に落ちる」と言わしめました。 同じく、今月ご…
 
来年、生誕110年、没後20年を迎える、戦後の演劇史に名を残す劇作家がいます。 秋元松代(あきもと・まつよ)。 秋元は、30歳を過ぎてから戯曲を書き始めた、いわば遅咲きとも言える作家でしたが、東北の民間信仰と戦中戦後の日本人の生き方を重ね合わせて描いた『常陸坊海尊』で芸術祭賞、田村俊子賞、和泉式部伝説と庶民の暮らしを哀しく綴った『かさぶた式部考』で毎日芸術賞、『七人みさき』では読売文学賞を、それぞれ受賞。 唯一無二の世界観と方言を駆使した香り高い芸術性で数々の賞を受けますが、彼女は、演劇界の王道には足を踏み入れませんでした。 あくまでも、異端。 「新劇の中にあって、非常に特殊な位置にいますか?」 という問いに、秋元はこう答えています。 「そうです。自分は落伍者みたいな者だと思っています。今は…
 
日本に新劇を根付かせた立役者のひとり、「新劇の団十郎」と呼ばれた伝説の俳優がいます。 丸山定夫(まるやま・さだお)。 歌舞伎や能という日本古来の伝統を継承する古典芸能とは一線を画した、全く新しい演劇。 シェイクスピアを翻訳した坪内逍遥の戯曲や、ヨーロッパのリアリズム演劇を日本に持ち込んだ小山内薫の新しい波は、知識人にこそ受け入れられましたが、一般大衆に浸透するのに時間を要しました。 ともすれば高等遊民の道楽、セリフ回しの下手な三文芝居と揶揄されがちだった新劇にあって、丸山の存在は異彩を放っていました。 職を転々として、食べるものにも困っていた青年が、たった一枚のチラシを手に握りしめ、創立間もない築地小劇場の門を叩いたのです。 インテリ集団に、突如、薄汚れた学生服で現れた男。 丸山には、演劇し…
 
戦争の最中にあっても、精力的に戯曲を書き続け、演劇史に残る名作をこの世に残した劇作家がいます。 森本薫(もりもと・かおる)。 彼の最大のヒット作は、文学座史上最多公演数を誇る、『女の一生』。 昭和の名女優・杉村春子のために書き下ろしたこの作品は、杉村主演で実に947回上演されました。 初演は、太平洋戦争が激化した、1945年4月。 場所は、渋谷の道玄坂にあった東横映画劇場。 娯楽は認められず、どの劇場も封鎖。 たった一軒、開館を許されたのが、この劇場でした。 男性の俳優はほとんどが徴兵で戦地に赴き、残った5人は台本をそれぞれがコピーして持ち、機銃掃射が鳴り響く中、稽古場に向かいました。 「こんな非常時に、果たしてお客さんは来るんだろうか」 誰かがつぶやいたのを聞いて、森本は毅然とした表情でこ…
 
開拓時代のアラスカで大活躍した、愛媛県出身の冒険家がいます。 和田重次郎(わだ・じゅうじろう)。 『犬橇(いぬぞり)使いの神様』と謳われた男は、とにかく、やることなすことが規格外。 北極圏6千キロの探検を成し遂げ、未開の地の地図を作製、得意の犬橇で油田、金鉱、砂金を発見、さらには避難していた捕鯨船の救助にあたり、乗組員の命を救い、アラスカで行われる屋内のマラソン大会では3度の優勝を果たしました。 和田の銅像は、彼が育った松山市日の出町にあります。 松山城まで、およそ2キロ。 彼と同時代を生きた正岡子規の句碑も鎮座しています。 2016年にアラスカで、和田を主人公にしたミュージカルが上演され、それを伝える一文が彼の胸像の下に刻まれました。 松山市街から日の出町に行くには、石手川にかかる、新立橋…
 
愛媛県の松山を終の棲家に選んだ、自由律俳句の俳人がいます。 種田山頭火(たねだ・さんとうか)。 今年、没後80年。 放浪の果てに広島から船に乗った山頭火は、瀬戸内海の夕陽を浴び、四国の地、松山を目にしてこう思いました。 「僕の死に場所は、ここしかない」 『酒飲めば 涙ながるゝ おろかな秋ぞ』 そう詠んだ山頭火は、広島で医者にみてもらいます。 病状はかんばしくありません。 心臓の衰弱。 聴診器からは木枯らしのようにヒューヒューと弁膜の悲鳴が聞こえます。 「僕の病は、申し分ないのですね」 山頭火が言うと、医者はこう返しました。 「あんたは、これまで旅を続け、酒をあおり、句を詠み、好き勝手に生きてきたんだから、いつ死んでも後悔はなかろう」 「はい、後悔はありません。ただ、これ以上ひとさまに迷惑はか…
 
愛媛県松山市出身の脚本家が、3年前、88歳でこの世を去りました。 早坂暁(はやさか・あきら)。 テレビや映画の脚本、舞台の戯曲、ドキュメンタリーに小説、書いた作品は1000本以上と言われています。 ライフスタイルは、極めてシンプル。 敬愛する俳人、種田山頭火のように、ものを持たないことを流儀としました。 劇作家の三谷幸喜は、早坂の『天下御免』という作品を見て、脚本家を目指したとコメントしています。 「笑いを表地にすれば、同じほどの悲しみの裏地を付けなければならない」 そんな思いが、早坂脚本全てに通底しています。 代表作のひとつに、1981年2月からNHKで放送されたテレビドラマ『夢千代日記』があります。 主人公の夢千代は、母親の胎内にいたときに広島で被爆した胎内被爆者。 主演の吉永小百合は、…
 
愛媛県出身の漫画家に、手塚治虫、赤塚不二夫と並び称され、天才と謳われた男がいます。 谷岡ヤスジ。 その画風は、大胆で自由。 極度にまで省略された線はまるで一筆書きのようですが、読者はそこに、人生の無常や哀しさ、生きるための哲学を読み取りました。 赤塚不二夫は、こんなコメントを残しています。 「谷岡マンガの出現は、強烈だった。従来の漫画のセオリーを無視していたが、インパクトがあった。なかでもセリフがうまかった。ボクが思うに、セリフづくりが一番うまかったんではないか。漫画というのはセリフは補助的な役目で、ある意味では無駄なスペースでもある。しかし彼の作品ではセリフに絵にもまさる面白さがあって、それがひとつの漫画でもあった。毎週、おなじみのキャラクターを登場させ、同じパターンを繰り返しながら、なぜ…
 
愛媛県松山市が、俳句の都『俳都(はいと)』と呼ばれているのをご存知でしょうか? 市民や観光客に、少しでも俳句に親しんでもらおうと街中に設置された『俳句ポスト』。 毎年8月に開催される、高校生対象の『俳句甲子園』など、俳句にまつわるイベントも盛んです。 松山市が俳句の街であるわけ、それは、この地が偉大な俳人を生んだ場所だからです。 その俳人とは、「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句の作者、正岡子規(まさおか・しき)。 彼は明治時代に、「俳句は季題を持ち、五七五音より成る定型詩」という現代俳句の原型を確立しました。 その教えを日本中に広めたのが、同じ松山市出身の高浜虚子(たかはま・きょし)です。 道後にある「子規記念博物館」では、子規の人物像や作品の数々を資料展示や映像などで紹介。 また、…
 
ザ・ビートルズ、最後のアルバム『レット・イット・ビー』は、イギリスで1970年5月8日、日本では6月5日に発売されました。 今年で50周年を迎えます。 ちなみに、4人が最後にレコーディングしたアルバムは、『アビイ・ロード』。 1962年、『ラヴ・ミー・ドゥ』でデビューして以来、わずか8年あまりの活動で瞬く間に世界を席巻し、解散後50年経った今も、彼等の音楽が流れない日はないほど愛され続けています。 昨年は、もしもこの世にビートルズの音楽がなかったら、というファンタジー映画『イエスタデイ』が大ヒット。 楽曲の素晴らしさがあらためて証明されました。 今年9月には、映画『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの監督で知られるピーター・ジャクソンが手掛けた、ザ・ビートルズのドキュメンタリー映画が、ディズ…
 
今年、没後130周年を迎えたポスト印象派の有名な画家がいます。 フィンセント・ファン・ゴッホ。 荒々しいタッチと、鮮烈な黄色。 名画『ひまわり』は、彼の代名詞と言っても過言ではありません。 昨年から開催されてきた、ゴッホ展。 特に今年は、世界初の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が期待を集めていますが、その中の最注目のひとつが、ゴッホが4番目に画いた、『ひまわり』です。 彼はその絵を、共同生活をしたゴーギャンの寝室に飾るために描きました。 ゴーギャンもその絵を気に入り、褒めたたえたと言います。 ひとと交わるのが不器用だったゴッホにとって、『ひまわり』は、彼自身の最高のおもてなしの象徴だったのかもしれません。 意外なことに、描いた花瓶のひまわりは、たったの7点。 それよりもっと多く画いたモ…
 
今年、生誕180周年を迎える、ロシアの大作曲家がいます。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。 6つの交響曲やヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲など、数多くの名曲がありますが、特に彼の名声を確実なものにしたのがバレエ音楽です。 『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』。 この3曲は現代に至っても、全世界で大人気の演目になっています。 チャイコフスキーの経歴は、他の有名なクラシックの作曲家とは、大きく異なっています。 彼は10歳から法律学校で学び、19歳で法務省の役人になりました。 幼い頃から特別な音楽教育を受けずに役人になった彼は、どうしても作曲家への夢を諦めきれず、21歳で初めて音楽学校の門を叩いたのです。 英才教育を受けた、年下の同級生たち。 先生の話すことが、思うように理解で…
 
今年4月に没後40年を迎える、映画界のレジェンドがいます。 アルフレッド・ヒッチコック。 『鳥』『サイコ』『レベッカ』『北北西に進路を取れ』など、ホラーやサスペンス映画の名作を次々と世に送り出した巨匠。 彼の作品は、全世界の映画人に影響を与えました。 若き日のスティーブン・スピルバーグは、ヒッチコックの撮影現場を見学、彼の映画哲学を目の当たりにして感動します。 フランス・ヌーベルバーグの奇才、フランソワ・トリュフォーは、当時、サスペンス映画がB級だと言われていた時代にあって、「ヒッチコックの映画は、まぎれもなく第一級の芸術だ」と賛辞を惜しみませんでした。 ヒッチコックは、自らが生涯大事にした3つの要素、「サスペンス」「スリル」「ショック」について、こんなふうに説明しています。 「汽車の時間に…
 
「アジャパー」という驚きと困惑を現した流行語の産みの親、バンジュンこと伴淳三郎は、山形県米沢市に生まれました。 「アジャパー」は、伴がたまたま発した山形弁に起因しています。 1951年、昭和26年に公開された松竹京都映画『吃七捕物帖 一番手柄』。 長い下積み生活を送っていた伴がようやくつかんだ役は、用心棒。 伴たち悪役が目明したちに取り囲まれ、一網打尽になるそのとき、彼はこんなアドリブを言ってしまいます。 「一瞬にして、パアでございます」 思わず吹き出すスタッフたち。 監督は、「もっと奇妙な感じでやってみて!」と声をかけます。 伴は、「アジャジャー」と叫びました。 これは、山形弁で老人が驚いたときに発する言葉です。 「もうひとこえ!」と監督に言われ、口をついて出たのが「アジャジャーにしてパア…
 
山形県酒田市に生まれた、昭和を代表する写真家がいます。 土門拳。 酒田市飯森山公園にある土門拳記念館は、日本で最初の写真美術館。 白鳥が飛来する清廉な湖のほとりにあります。 1974年、酒田市名誉市民第一号になった土門は、自らの作品を全て故郷に贈りたいと願いました。 記念館の設立には、彼の友人たちがその才能を結集。 設計は、ニューヨーク近代美術館の改装を手掛けた谷口吉生。 中庭の彫刻は、イサム・ノグチ。 庭園は、草月流第三代家元・勅使河原 宏が手がけました。 さらに、入口近くに置かれた石に「拳湖」、こぶしに湖という文字を刻んだのは、詩人の草野心平です。 土門拳という圧倒的な求心力が、この記念館を造ったのです。 彼が主張したのは「絶対非演出の絶対スナップ」。 徹底的にリアリズムを追求し、『ヒロ…
 
昨年4月8日、昭和・平成を代表するコメディアンがこの世を去りました。 ケーシー高峰。 彼が作り出したジャンルは、医学漫談。 白衣姿に、黒板やホワイトボードで解説しながら繰り出す話芸は、唯一無二のものでした。 彼の母方は、山形県新庄市で江戸時代から続く医者の家系。 ケーシー自身も一度は医学部に入りますが、親に黙って芸術学部に転部。 母親から勘当されてしまいます。 音信が途絶えた母親に、いつか認めてもらいたい、その強い思いの末に医学漫談があったのです。 本名は、門脇貞男(かどわき・さだお)。 芸名は、医者が主人公のアメリカのテレビドラマ『ベン・ケーシー』と、少年時代に憧れた女優、高峰秀子からとりました。 白衣に黒ぶちメガネ、首から聴診器を下げて舞台に現れると、何も言わずに1分間、会場の観客の顔を…
 
山形県出身の小説家に、今も多くのファンに愛される時代小説の名手がいます。 藤沢周平。 彼が生まれた鶴岡市にある「鶴岡市立藤沢周平記念館」は、庄内藩 酒井家の居城、鶴ヶ岡城址にあります。 敷地内には、東京で暮らしていた家の庭木や屋根瓦なども移築され、作家としての生涯を、作品世界と共に味わうことができます。 記念館の近くにある公園は、桜の名所。 そこはまるで、藤沢周平が書いた「海坂藩」の世界です。 江戸時代にタイムスリップしたような感覚が味わえるかもしれません。 下級武士や庶民を多く描いた藤沢は、ことあるごとに、家族に次の六か条を話しました。 1. 普通が一番。 2. 挨拶は基本。 3. いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない。 4. 謝るときは、素直に非を認めて潔く謝る。 5. 派手なことは嫌い…
 
山梨県出身の文学者に『赤毛のアン』を日本に広めた翻訳家がいます。 村岡花子(むらおか・はなこ)。 2014年の3月から9月まで放送されたNHKの朝ドラ『花子とアン』は好評を博しました。 ドラマの原作になった村岡恵理(むらおか・えり)著の『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』は、彼女の人生をつぶさに描いています。 村岡にとって、山梨県甲府市に生まれたことは、運命を左右する重要な要素でした。 明治時代前半の、海外への輸出品目の筆頭は、お茶と生糸。 その生糸の生産で、甲府は、日本一の一角を担っていました。 甲府にはさまざまな外国人が出入りし、その中には、カナダのメソヂスト派教会の宣教師の姿がありました。 生糸商人たちの間に、信仰を持つものが増えていきます。 村岡の父もまた、カナダ人との精神的な結びつき…
 
今年は、音楽史上最も有名な作曲家のひとり、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生誕250周年にあたります。 故郷ドイツのボンだけではなく、世界中で記念コンサートが開催され、彼の作品を耳にする機会が増えることでしょう。 自身のデビュー55周年のリサイタルのひとつに、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲演奏することを選んだピアニストがいます。 山梨県出身の、中村紘子(なかむら・ひろこ)。 2014年7月19日、横浜みなとみらいホールで彼女は、およそ5時間かけて1番から5番までのピアノ協奏曲を弾きました。 会場の拍手はいつまでも続いたと言います。 69歳という年齢もさることながら、このとき中村は病に侵されていました。大腸がん。 彼女は、このコンサートの2年後に永眠します。 抗がん剤の副作用に苦し…
 
山梨県立美術館では、3月8日まで「藤田嗣治『黙示録』三連作の謎」と題した、コレクション展冬季特別企画が開催されています。 同美術館所蔵の藤田の『黙示録』は、彼がカトリックの洗礼を受ける前後に書かれた貴重な作品です。 特に、洗礼後に画かれた『天国と地獄』は圧巻。 仔細(しさい)に描かれる、救済と破壊、平和と殺戮は、見るものを釘づけにします。 『黙示録』は、間違いなく藤田嗣治という稀代の画家の宗教観をひもとく重要な作品群です。 ピカソ、モディリアニ、マチスらと、1920年代のパリに暮らした藤田は、エコール・ド・パリ、唯一の日本人。 独特な感性で賞賛を浴び、時代の寵児になりました。 彼が描く「乳白色の肌」と呼ばれた裸婦像は、西洋画壇にその名をとどめる強烈なインパクトを持っていたのです。 しかし、日…
 
山梨県出身の建築家に、東京タワーを設計した、「塔博士」「耐震構造の父」と呼ばれる人物がいます。 内藤多仲(ないとう・たちゅう)。 1925年に、東京、愛宕山の鉄塔を設計して以来、彼は、全国におよそ60基のラジオ塔を手掛けました。 1954年には、我が国最初のテレビ塔、名古屋テレビ塔を設計。 180メートルは、当時としては破格の高さでした。 1957年春。 早稲田大学の教授を70歳で定年退職した内藤に、あらたな仕事が舞い込みました。 エッフェル塔の324メートルを越える、世界一高い電波塔を設計してほしい、そんな発注。 内藤は、すぐに首を縦に振りません。 それもそのはず、日本には、うかつに高い塔を建てることができない、地震と台風という深刻な天災があります。 フツウであれば断るそのときに、彼はこう…
 
山梨県に、今も文豪の名前を留めるワインがあります。 「周五郎のヴァン」という名の、デザートやブルーチーズによく合う、甘口の甲州ワイン。 このワインをこよなく愛したのが、山梨県大月市出身の作家、山本周五郎です。 武田家の流れをくむ家に生まれた山本でしたが、終生「庶民の作家」と呼ばれました。 『樅ノ木は残った』、『赤ひげ診療譚』、『さぶ』、『青べか物語』など、大衆に愛された多くの作品が、映画化、テレビドラマ化されています。 山本は、歴史小説、時代小説の大家として名を馳せますが、扱う主人公は、信長でも秀吉でも家康でもなく、市井のひと。 それも、弱く、傷ついた流れ者を描き続けました。 口癖は、「どんなひとも、生と死のあいだのぎりぎりのところで生きているんだ」。 小説には「よい小説」と「よくない小説」…
 
看護師の代名詞ともいわれる、フローレンス・ナイチンゲール。 今年は、彼女の生誕200年、没後110年にあたります。 ナイチンゲールは、「物事を始めるチャンスを、私は逃さない。たとえマスタードの種のように小さな始まりでも、芽を出し、根を張ることがいくらでもある」と言いました。 その言葉どおりに、看護師になるチャンスを逃さず、のちに『日本のナイチンゲール』と呼ばれた、和歌山県出身の女性がいます。 國部ヤスヱ(くにべ・やすえ)。 彼女の功績をたたえるとき、決してはずすことのできない出来事があります。 1945年7月9日深夜から7月10日未明にかけて決行された、和歌山大空襲。 B29による和歌山市中心部への爆撃で、市内のおよそ7割が焦土と化し、1000人以上の尊い命が失われました。 22時25分、空…
 
『大森望×豊崎由美 文学賞メッタ斬り!スペシャル(第162回結果編)』(2020年1月20日OA) 2020年1月20日25時00分からのラジオ日本特別番組『大森望×豊崎由美 文学賞メッタ斬り!スペシャル(結果編)』のポッドキャスト版です。SF翻訳家、書評家の大森望さん、書評家の豊崎由美さんが第162回芥川賞、直木賞を徹底予想した予想編を受けての結果篇です。さて、予想は当たったのか?「ほぼノーカット」でお楽しみください。※一部楽曲は著作権の関係でお聞きいただけません。AM1422kHzRadioNippon による
 
和歌山県が生んだ唯一無二の偉人、南方熊楠(みなかた・くまぐす)の偉業や肩書をひとことで語るのは非常に難しいことです。 イギリスの大英博物館の東洋調査部に入り、科学雑誌『ネイチャー』で世界にその名を轟かせた博物学者。 キノコ、コケ、シダ、藻など菌類の研究で知られる生物学者。 昆虫、小動物の採取標本で名高い生態学者。 英語、フランス語、イタリア語など、10か国以上の言葉を操るグローバリスト。 そのほか、植物学者、民俗学者など枚挙にいとまがありません。 民俗学の大家、柳田國男(やなぎた・くにお)は、最大の賛辞を込めて、彼をこう評しました。 「南方熊楠は、日本人の可能性の極限である」。 一方で、南方はこんな言葉を残しています。 「肩書がなくては己れが何なのかもわからんような阿呆どもの仲間になることは…
 
『大森望×豊崎由美 文学賞メッタ斬り!スペシャル(第162回予想編)』(2020年1月13日OA) 2020年1月13日25時00分からのラジオ日本特別番組『大森望×豊崎由美 文学賞メッタ斬り!スペシャル(予想編)』のポッドキャスト版です。SF翻訳家、書評家の大森望さん、書評家の豊崎由美さんが第162回芥川賞、直木賞を徹底予想!ラジオのオンエアではカットされてしまった部分もお楽しみいただけます。「ほぼノーカット」でお楽しみください。※一部楽曲は著作権の関係でお聞きいただけません。AM1422kHzRadioNippon による
 
和歌山県出身の偉人に、麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」を発明し、世界で初めて全身麻酔による乳がん摘出手術を成功させた外科医がいます。 華岡青洲(はなおか・せいしゅう)。 ときは、江戸時代。 鎖国政策の中、オランダからの洋書だけを頼りに、医学者たちが西洋医学を学びつつあった過渡期。 山脇東洋が日本人初の人体解剖を行い、杉田玄白が『解体新書』を刊行して、近代日本医学の夜明けを告げた頃、青洲はひとびとの痛みに向き合いました。 彼の名前を広めたのは、同じく和歌山県出身の作家、有吉佐和子の『華岡青洲の妻』という小説でした。 1966年に出版されたこの作品は、青洲の麻酔薬の実験台に自ら志願した嫁と母の壮絶な愛の物語。 大ベストセラーになり、映画やテレビドラマ、さらには舞台化もされ、今も上演され続けていま…
 
2020年、オリンピックイヤーの幕あけです。 7月の開催を前に、東京の街はさらに加速して変貌を遂げています。 56年ぶりの東京でのオリンピック。 どんなドラマが起こるのか、今から期待が膨らみます。 日本初の女性の金メダリスト、前畑秀子(まえはた・ひでこ)は、和歌山県に生まれました。 1936年8月11日、ナチス政権下で開催されたベルリンオリンピックの平泳ぎ200メートルで、ドイツ代表のゲネンゲルを僅差で破り、見事金メダル。 ラジオの生中継に日本中が熱狂しました。 「前畑、がんばれ!」「前畑、がんばれ!」。 アナウンサーは20回以上繰り返し、伝説の放送として今も語り継がれています。 前回大会のロサンゼルスオリンピックで銀メダルだった前畑は、この大会でどうしても金メダルを獲らなくてはなりませんで…
 
日本のフランス料理文化の礎を築いた先駆者がいます。 平松博利(ひらまつ・ひろとし)。 今から37年前の1982年、パリから帰国した彼は、東京・西麻布に小さなレストランを開業します。 「ひらまつ亭」。 席数は、わずか24席。でも、平松の圧倒的なフランス料理の腕と妻の温かいホスピタリティに、噂が噂を呼び、行列が絶えない伝説の店になりました。 以来、彼の躍進は続き、国内外にレストランを展開。 2002年には、パリに出店した店が日本人オーナーシェフとして初めて「ミシュラン」一つ星を獲得したのです。 フランスに基盤を持つことで得た人脈。 持ち前の人間力で出会いは拡がり、多くのフランス人シェフとの交流が始まります。 ポール・ボキューズ、マーク・エーベルラン、ジャックとローラン・プルセルとの業務提携が実現…
 
戦前の日本に、アメリカ・ハリウッドのメイク術や美容法を持ち込み、日本人女性の美を生涯にわたって追及した美容家がいます。 メイ牛山。 脚本家の小川智子(おがわ・ともこ)が記したメイ牛山のノンフィクションのタイトルは、こうです。 『女が美しい国は戦争をしない』。 小川はその著書の中で、メイ牛山のこんな言葉を紹介しています。 「ちゃんと、鏡、見ている? 朝、出がけにちらっと見るくらいじゃだめよ。全身が映る姿見で、一度じっくり自分を観察してごらんなさいな。客観的になることが、おしゃれの、つまり礼儀の第一歩。自分の美点を発見して、磨きをかけるのよ」 トレードマークは、お団子ヘア。 愛くるしい笑顔と、ひとを包み込む優しさ。 96歳で亡くなるまで、現役の美容家として活躍しました。 物心ついたときにまず彼女…
 
2020年、東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムになる新国立競技場が先日完成しました。 緑豊かな明治神宮外苑の景観に配慮して、高さをおよそ47メートルに抑え、「杜のスタジアム」を具現化。 ドーナツ形の屋根には国産の木材を使用し、コンコースや競技場周辺にも、およそ4万7000本の木々が植えられています。 壮麗な建物を見ていると、東京でのオリンピック開催がいよいよ現実的なものに思えてきます。 初めての日本でのオリンピック開催となった1964年の東京オリンピック招致に生涯を捧げたひとがいます。 大河ドラマの主人公にもなっている、田畑政治(たばた・まさじ)。 その猪突猛進、直情径行な行動は、ときに周囲との軋轢を生みましたが、彼は自らの歩みをやめることはありませんでした。 第二次世界大戦…
 
映画の字幕翻訳という仕事を世に知らしめた第一人者がいます。 戸田奈津子(とだ・なつこ)。 彼女は、学生時代に字幕翻訳者という、当時まだそれほど知られていない仕事につきたいと思いました。 一度は別の仕事につきますが、もう一度夢を叶えたいと一念発起。字幕翻訳の巨匠、清水俊二(しみず・しゅんじ)に手紙を書きます。 その日から戸田が夢を叶えるまで、およそ20年かかりました。 「狭き門ってよくいうでしょう。あのね、開けてくださいって叩く門がそもそもないの。壁なのよ、一面、壁。そんなとき、夢だ、目標だって気持ちだけでは、中に入れっこない。食らいつく強い意志がないとね。私はこれでやっていくんだって信じる思いがないとね」 映画の字幕というのは、翻訳ではないと戸田は言います。 『字幕の中に人生』というエッセイ…
 
茨城県笠間市を愛し続けた国民的スターがいました。坂本九。 九ちゃんの愛称で親しまれた唯一無二の天才歌手は、『見上げてごらん夜の星を』『明日があるさ』など、数々のヒット曲を世に送り出しました。 特に『上を向いて歩こう』は、『SUKIYAKI』という英語タイトルで、1963年6月13日、全米チャートで1位を獲得。 その後、3週間首位を守り続けたのです。 海を渡ってもなお、愛され続けた彼の歌声は、独特の歌い方でさらに哀愁と郷愁の一石を、心の湖に投じました。 43歳で亡くなった彼にとって、笠間市は忘れられない思い出の地でした。 結婚式も笠間稲荷神社であげました。 2歳半からのおよそ4年間。母の実家があった笠間に疎開。 その木々に囲まれた赤い屋根の家は、今も笠間市のひとたちが大切に守り続けています。 …
 
ゴツゴツとした岩に砕ける、波。 果てしなく拡がる大海原。 風に揺れる松の樹々たち。 ここ、茨城県の五浦海岸で最も苦しい12年間を過ごした、日本画の大家がいます。 横山大観(よこやま・たいかん)。 大観は、師匠・岡倉天心を追って、この地に来ました。 明治31年3月、岡倉天心を誹謗中傷する怪文書が出回り、結果、岡倉は東京美術学校の校長職を追われてしまいます。 岡倉に心酔していた大観も、学校を辞め、新しく日本美術院を創設します。 日本美術院、第一回目の展覧会に大観が出品したのが、有名な『屈原』という日本画です。 画面左側に立ち尽くす屈原は、古代中国の詩人。 彼はあらぬ疑いをかけられ、やがて自ら命を絶ってしまう不運の賢人です。 岡倉と屈原を重ね合わせ、悔しさを絵に込めました。 大観が描いた屈原の目は…
 
『仁義なき戦い』『バトル・ロワイアル』などのバイオレンス映画で知られる、茨城県出身の映画監督がいます。 深作欣二(ふかさく・きんじ)。 そのアクションシーンは破天荒で痛快。 クエンティン・タランティーノやジョン・ウーなど世界に名立たるアクション映画の巨匠にリスペクトされています。 深作は、バイオレンスばかりではありません。 女優の奥に秘めた才能を開花させる天才でした。 『蒲田行進曲』や『火宅の人』でも手腕を発揮して、日本アカデミー賞の最優秀監督賞を受賞しています。 とにかく映画が大好き。 映画に関わるひとには、自分と同じような熱を求めました。 あっという間に主役に切られ、出番がなくなってしまう大部屋の俳優たちにも愛情を注ぎました。 通常、「おい!」「そこのおまえ!」などとしか呼ばれないエキス…
 
「シャボン玉」「赤い靴」「七つの子」など今も歌い継がれる童謡を生み出した詩人、野口雨情(のぐち・うじょう)は、北茨城市磯原町に生まれました。 風光明媚な五浦海岸のほど近く。 強い風をものともせず、優雅に舞い飛ぶカモメたち。 波しぶきが砕け散る海辺に、雨情の歌碑が立っています。 彼は、磯の香りをかぐと、ふるさとに帰ってきたという心持ちになったと言いました。 「野口雨情生家・資料館」は、東日本大震災で一階が水没しましたが、その後、再建。 海を臨む味わい深い家屋に、多くのひとが訪れています。 北原白秋、西條八十(さいじょう・やそ)とともに、童謡界の三大詩人と言われる雨情の作品群の中に、学校の校歌があります。 日本各地のみならず、台湾や中国の学校にも校歌の歌詞を書きました。 小さなバッグひとつを持っ…
 
今年、没後15年の偉大なコメディアンがいます。 いかりや長介。 ザ・ドリフターズのリーダーとして、生涯、コメディアンにはこだわりぬきましたが、彼には他にも二つの顔がありました。 ひとつは、ミュージシャンとしての顔。 もともとはハワイアンバンドのベーシスト。 ビートルズが来日したとき、ザ・ドリフターズとして前座をつとめ、『Long Tall Sally』を演奏しました。 そしてもうひとつが、織田裕二との名コンビが話題になった『踊る大捜査線』をはじめとする、俳優としての顔。 黒澤明監督の映画『夢』にも出演。 『踊る大捜査線 THE MOVIE』では、日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞を受賞して、名わき役の座を不動のものにしました。 彼を最も有名にしたのが、伝説のバラエティ番組『8時だョ!全員集合…
 
瀬戸内海の12の島と2つの港を舞台に、3年に一度開催されるアートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」。 国内外からの多くの来訪者で賑わった2019年秋の会期が、11月4日で終わろうとしています。 瀬戸内海はかつて、近畿中央文化の源であり、豊かな資源に守られ、北前船の母港として日本列島全体を活性化しました。 そんな海の復権をも担う、芸術祭。 その中心にある島のひとつ、香川県の小豆島で欠かせない観光名所が「二十四の瞳 映画村」です。 壷井栄の不朽の名作が映画化されたのは、1954年、昭和29年でした。 昭和3年から終戦の翌年までの激動の時代を描き、大石先生と教え子たちの師弟愛、美しい小豆島の自然と、貧しさや古い家族制度と戦争によってもたらされる悲劇を、対照的に映し出した心温まる感動作です。 主演は、高峰秀…
 
先ごろ、ノーベル賞の発表がありましたが、もし江戸時代にノーベル賞があったら、おそらく受賞したのではないかと思われる発明家がいます。 平賀源内(ひらが・げんない)。 高松藩士の家に生まれた彼は、発想の奇抜さ、行動力の迅速さ、好奇心の豊かさ、どれをとっても規格外。 「人生は発明・発見の連続である!」を生涯の信条としました。 彼が発明したとされる最も有名なものが、エレキテル。 摩擦静電気装置の完成を実現させたことです。 そのほかにも、発明品は100を下りません。 夏の売り上げ不振を嘆くうなぎ屋から相談を受けると、彼はこう助言しました。 「店の入り口に、今日は土用の丑の日って書けばいい。暑いときにうなぎを食べれば元気になること間違いなしって付け加えておけばきっと大丈夫」 また、初詣のとき、神社で見か…
 
香川県高松市にあるレクザムホールでは、優れた邦画のリバイバル上映を定期的に続けています。 「映画の楽校」と題されたそのプログラム、10月22日に行われる演目のひとつが『恋文』です。 直木賞作家、連城三紀彦が、萩原健一をモデルに書いたという小説が原作です。 連城は「萩原さんが出てくれるなら、原作料などいりません」と言ったそうです。 ショーケンこと萩原健一は、今年3月、68歳で激動の生涯を閉じました。 17歳でグループサウンズ「ザ・テンプターズ」のヴォーカリストとしてデビュー。 その後、唯一無二の存在感を醸し出す俳優として、映画、テレビドラマに偉大な足跡を残しました。 今年5月には、講談社が『ショーケン 最終章』というインタビュー集を出版。 9月には、河出書房新社から『萩原健一 傷だらけの天才』…
 
芥川賞と直木賞をつくった男。菊池寛(きくち・かん)。 彼の故郷は、現在、瀬戸内国際芸術祭2019で沸く香川県高松市です。 高松市にある菊池寛記念館では、『父帰る』や『恩讐の彼方に』、ベストセラーになった『真珠夫人』を書いた、作家としての彼の足跡を追うことができます。 また文藝春秋社設立や、映画会社「大映」の初代社長といった、菊池の実業家としての一面も紹介されています。 さらに圧巻は、歴代の芥川賞、直木賞受賞者のコーナー。 後進を育てようとした菊池の願いが、その展示に現れています。 高松市の中心部に位置する天神前は、菊池寛の生家があった場所で、ここに面する道は“菊池寛通り”と呼ばれています。 通りを隔てた向かい側にある高松市立中央公園内には「菊池寛 生家の跡」と記された顕彰碑があり、そこには、…
 
新潟市に生まれた、『堕落論』で有名な文豪がいます。 坂口安吾。 彼の石碑は、新潟市中央区西船見町の、海を見下ろす砂丘に建っています。 石碑に書かれた言葉は、「ふるさとは、語ることなし」。 安吾らしい、自虐にも似た、およそ石碑にふさわしくない言葉です。 彼は、生まれたこの場所についての思い出をこんなふうに語っています。 「中学校をどうしても休んで 海の松林でひっくりかえって 空を眺めて暮さねばならなくなってから、私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった。……学校を休み、松の下の茱萸(ぐみ)の藪陰にねて 空を見ている私は、虚しく、いつも切なかった」。 彼の人生は、いわば、偉大なる落伍者のそれでした。 学校も落第、同人誌に加わっても、自分だけ日の目を見な…
 
新潟県長岡市出身の、昭和を代表する大歌手がいます。 三波春夫。 彼は、1964年の東京オリンピックのテーマソング『東京五輪音頭』を生涯、歌い続けました。 この歌に込める思いを、こんなふうに語っています。 「戦後初の日本の大イベントである、この東京オリンピックは、世界に向かって日本が『日本は、日本人は、こんなに頑張って復興しましたよ』と示す、晴れ舞台なんです」 戦争で戦い、シベリアで俘虜(ふりょ)になって、言葉では言い表せない体験をした三波には、特別な思いがあったのです。 さらに1970年に開催された大阪万博のテーマ曲も、彼が歌うことになります。 『世界の国からこんにちは』。 この歌でも、彼がいちばん言いたかったことは、日本ってすごいんだ、日本人はほんとうに頑張って生きているんだ、という強い思…
 
今年、生誕120周年を迎えたノーベル賞作家、アーネスト・ヘミングウェイ。 彼と新潟を結ぶ、ひとつのお菓子があります。 新潟県新潟市中央区古町にある、丸屋本店の焼菓子『日はまた昇る』。 ヘミングウェイの小説になぞらえたものです。 ヘミングウェイが愛したラム酒、セント・ジェームスのほのかな香りと、砂糖漬けしたオレンジピールがアクセントをつけ、サクサクした食感と優しい甘みが口の中に拡がります。 新潟の街に太陽が昇るようにという願いが込められた逸品です。 新潟は水の都と言われますが、ヘミングウェイの人生に、水辺はなくてはならないものでした。 幼少期、夏のほとんどを過ごした別荘地は、ワルーン湖という清廉な湖のそばにありました。 ノーベル文学賞を決めた『老人と海』は、最後まで大物のカジキをしとめることを…
 
今、アメリカのスポーツ界で「ショーヘイ」という名の有名な日本人は、メジャーリーガーの大谷翔平ですが、かつて1960年代前半にアメリカを席巻した「ショーヘイ」がいました。 リングネーム「ショーヘイ・ビッグ・ババ」。 新潟県出身の伝説のプロレスラー、ジャイアント馬場です。 今年、没後20年になります。 60年代、アメリカンプロレスは全盛期。 そんな中、ニューヨーク、シカゴ、セントルイスなどのメインスタジアムで、「野生児」バディ・ロジャースや「黒い魔神」ボボ・ブラジル、「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノらと、毎晩熱戦を繰り広げていたのが、ジャイアント馬場でした。 馬場は、1963年12月15日、力道山が39歳の若さでこの世を去ったとき、日本プロレス界を支えられるのはキミしかいないと、日本に戻るこ…
 
今年、没後10年になる、「キングオブポップ」と称された伝説のアーティストがいます。 マイケル・ジャクソン。 彼は、1987年9月、兵庫県西宮市にやってきました。 バッド・ワールド・ツアーの、日本での公演のひとつ。 西宮球場には5万人を越えるファンが集まり、マイケルはダンスや歌で観客を魅了します。 ムーンウォークを披露したとき、会場の歓声はうねりのように大地を震わせたと言います。 西宮でのコンサートの直前、群馬で痛ましい事件がありました。 5歳の男の子が誘拐され、亡くなったのです。 マイケルは、この事件についてお悔やみを述べ、『I Just Can't Stop Loving You』を捧げました。 マイケルにとって、子どもは特別な存在でした。 無垢で傷つきやすく、誰かが守ってあげないと後の人…
 
ノーベル文学賞に最も近い作家、村上春樹が唯一、先生と呼んだひとがいます。 彼と同じ兵庫県出身の心理学者、河合隼雄(かわい・はやお)です。 日本にいち早くユング心理学を紹介した臨床心理学の権威。 京都大学名誉教授で元文化庁長官、数々のエッセイや学術書でひとびとの心の悩みに寄り添い、晩年には、自伝的小説『泣き虫ハァちゃん』を書きました。 河合はその小説の中で、自ら生まれ育った兵庫県丹波篠山への郷愁を描きました。 丹波篠山、かつての丹波国は、京都への交通の要として栄え、街並みや祭りにその名残をとどめています。 千年以上の歴史を持つ「丹波黒大豆」は有名で、朝廷にも献上し、年貢を黒大豆で納めたという記録も残っています。 河合は、この地で生まれたことを生涯誇りに思い、懐かしみました。 小学校は篠山城の城…
 
兵庫県相生市。 三方を山に囲まれ、南に瀬戸内の穏やかな海を抱いたこの街を終生愛した映画監督がいます。 浦山桐郎(うらやま・きりお)。 吉永小百合を育て、大竹しのぶを見出した、女優育ての名手。 生前、まわりのひとに、「オレは生きている間に、一ダースの映画を撮るのが目標なんだ」と語っていましたが、54年の生涯で撮った映画は、9本でした。 でも、その9作品全てに、文字通り心血を注ぎ、魂を込め、完全主義を貫きました。 デビュー作『キューポラのある街』は、新人監督が撮ったにも関わらず、キネマ旬報社の年間ベストテンの第二位にランクイン。 主演の吉永小百合はブルーリボン主演女優賞を受賞し、カンヌ映画祭ではフランソワ・トリュフォーが大絶賛しました。 撮影に入る前、浦山は主演の吉永小百合にこう尋ねたと言います…
 
人間にとって、どの土地に暮らすかということが、人生を大きく左右する要素になることがあります。 作詞家、訳詞家として一世を風靡した岩谷時子にとって、兵庫県西宮市で幼少期を過ごしたことは、彼女の人生に多大な影響を与えました。 彼女自身、こんなふうに語っています。 「今までの私の人生の中で、一番思い出の多い幼少期と少女期を西宮で過ごした私は、西宮という字を見るだけで、砲台のあった夏の海や十日戎のお祭りや近所に住んでいた誰彼の顔が、蛍火のように瞼(まぶた)に浮かんでくる。まだ、夙川を蛍が飛び交い、川の流れにめだかが泳いでいた、美しい叙情的な西宮の風物が、幼かった私のこころに根をおろし、後年、作詞家となる運命にみちびいたのではなかろうかと今でも思うことがある」 岩谷時子にとって、もうひとつ、西宮で過ご…
 
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