Tetsuo Muto 公開
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あなたは自分が能力がない、いつも同じ失敗を繰り返してしまう、と自分が役立たずのように思うことはありませんか。できない自分は、神様のために働くことができない、人の手助けになれない、と思っていませんか。がっかりする必要はありません。あなたこそ、用いられる器なのです。さあ、イエス様がなぜ、ロバの子に乗られたのか、一緒に考えましょう。
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イエス様は馬ではなく、ロバに、それもロバの子に乗ってエルサレムに入城しました。そのロバの子はどこにいたのでしょうか。どうして、主をお乗せする特権にあずかったのでしょうか。他のロバの子にまさって優秀だったからでしょうか。
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棕櫚の主日、イエス様はロバの子に乗って、エルサレムに入城しました。いよいよ十字架にかかる日が使づいてきました。その時、主はロバの子に乗られたのです。それは私たちに対するイエス様のどんなメッセージが込められているのでしょうか。
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サウルは主の霊によって新しい人に変えられました。クリスチャンは御霊の内住を通して、新しく創造された主の作品です。あらゆる束縛から解放され、自分自身に与えられた賜物をもって、自由に、主に仕え、人に仕えるのです。
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サウルが王となったのは、彼自身から出たことでも、周囲の人々の推薦によってでもなく、すべて、神様の選びによるものでした。そして、王なる祭司であるクリスチャンもまた、神様の選びによって、今の恵みの立場、身分、役割を与えられたのです。
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一歩でもエジプトのパラオの勢力下から遠くに行くことが求められている時、なぜ、主は、「引き返せ」とイスラエルの民たちに命じたのだろうか。人間の理解では、「パラオの手中に舞い戻るような、非常に危険な命令だ。引き返してはいけない。前へと突き進んでいくべきだ」と思える状況なのに、主の命令は人の思いを越えたものであった。主のお心は何か。モーセはどう対応したのだろうか。結果は?
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雲の柱、火の柱は荒野を旅するイスラエルの民達から決して離れることはなかった。イエス様は「世の終わりまでわたしはいつもあなたがたと共にいます」と語って、弟子たちから見えなくなった。弟子たちの心のうちにすでにおられたからだ。信じる者はけっして主から見放されることも、見捨てられることもない。主は離れることのないお方。愛なるお方なのだ。
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ヨセフがなくなってから、もう何年たっているだろうか。ヨセフの遺骸は、彼の希望がかなえられるまで、大事に保存されていた。必ず、約束の地にイスラエルの民が戻る時がやってくる、ヨセフは確信していたのだろう。そして、その願いは、今、主がエジプトに遣わしたモーセによって現実化するのだ。ヨセフの遺骸は、イスラエルの民達と一緒にエジプトを脱出、約束の地へと向かっていく。
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行く所を知らずして、ただナオミを愛するゆえにベツレヘムにまで足を運んだルツ。そこで彼女の人生を大きく変える人物に、全く予想外の出来事として出会うのです。最初に落穂拾いに行った畑がボアズの畑であり、そこで朝からずっと落穂を拾い集めて、すこしでもナオミを楽にさせてあげたいと願って、誠実に労していると、ちょうどそこにボアズがやってきて、彼の目にルツはとまったのです。そして、最初の会話がボアズから投げかけられたのです。
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ナオミはベツレヘムに戻った時、自分は「素手で帰って来た」とすべてのものをモアブで失ったと思い込んでいました。しかし、彼女のすぐ脇には、死に至るまで忠実にナオミに寄り添い歩き続ける心をもった嫁ルツがいるのです。
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