Steve Carter 公開
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show episodes
 
This is a weekly recording of the sermons preached in the main service at Akigawa Baptist Church in Tokyo, Japan. The sermons are in Japanese. We hope they are an encouragement to you in your Christian walk! 秋川バプテスト教会の日曜礼拝のメッセージのポッドキャストです。皆様のクリスチャンとしての歩みに励ましになるようにお祈りします!どうぞお聞きください。
 
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show series
 
神様はあなたの体を驚くべき方法で考案されました。すべての異なる部分は、互いに助け合い、また互いを必要とするように作られています。それと同じように、神様はあなたの教会をキリストの体として作られました。私たち一人ひとりが、互いに助け合い、また互いを必要とするように作られているのです。
 
霊的な賜物とは何でしょうか?なぜ私たちは霊的な賜物を持っているのでしょうか?今回私たちは、私たちの霊的な賜物は、周りの人々に仕えるための特別な道具として与えられていることを見ていきます。そしてそれを正しく使う事で、イエス様のように私たちが兄弟姉妹を愛することにより、イエス様の栄光を示すことができるのです。
 
What are the spiritual gifts? Why do we have them? Today we're going to see that our spiritual gifts were designed as tools to be used to serve those around us. When we use them in the right way, we glorify Jesus by loving our brothers and sisters the way Jesus loves them.
 
今日は、主の晩餐について見ていきましょう。主の晩餐とは何でしょうか?そして、それに参加することによって、私たちがイエス様に従う者であることをどのように表すのでしょうか?それがよりよくわかるために、イエス様がその時を記憶させるために、イエス様と弟子たちが食べていた過越の食事とのつながりを見ていきましょう。
 
Today we're going to look at the Lord’s supper. What is it? And how does it identify us as followers of Jesus when we take part in it? To help us, we’re going look at the Passover meal that Jesus and his disciples were eating when He set in place this time of remembering.
 
イエスが天に上げられる前、最後に弟子たちに言われたことの一つは、人々にイエスに従うように教え、そして彼らにバプテスマを授けることでした。これは、イエス様にとって大切なことでした。なぜそれが大切だったのでしょうか?また、バプテスマを受けることは実際にどのような意味があるのでしょうか?
 
主の晩餐は、イエス様が私たちの贖いのために捧げられた犠牲を思い起こさせるための特別な時間です。喜びと感謝の時であるべきなのです。しかし、間違った方法でこの機会に参加することも可能です。コリント教会はまさにそのようなことをしてしまいました。では、どのように彼らは主の晩餐を迎えたのか、そして私たちは彼らから何を学ぶことができるのでしょうか。
 
The Lord's Supper is a special time that is meant to remind us of the sacrifice Jesus was willing to make for our redemption. It's meant to be a time of joyful thanksgiving. But it's also possible to approach it in the wrong way, which is what the Corinthian church did. How did they approach it, and what can we learn from them?…
 
コリントの教会の女性たちは、礼拝をする時に頭に被り物をつける必要はないと考えていました。パウロにとって、この問題は深刻であり、対処する必要がありました。実際に何が起こっていたのでしょうか?なぜ、そのようなことが大切だったのでしょうか?そして、私たちは彼らの状況から何を学ぶことができるのでしょうか?
 
The ladies in the church in Corinth had decided that wearing head coverings during their time of worship was unnecessary. For Paul, the issue was serious enough that it needed to be address. So what was going on? Why was it a big deal? And what can we learn from their situation?
 
あらゆる人間関係において、神様がその関係を支えるために用意されたパターンを見ることができます。その関係には、それぞれが果たすべき役割があり、それを果たすために、相手を信頼し、頼りにしています。そのパターンとは何でしょうか?そして、私たちはどのように自分の役割を理解し、それを果たせばよいのでしょうか?
 
**We had an issue with our audio recording for this sermon. Our apologies! Within all kinds of relationships, we see a pattern that God as put into place that helps support the structure of the relationship. Each side of that relationship has a role to play. Each side trusts and relies on the other to fulfill their role well. What's the pattern? An…
 
私たちは教会家族として主の晩餐に参加するなかで、イエス様がすべての創造物の王としての栄光の冠を捨て、ご自分が創造したものから軽蔑され拒絶される者として茨の冠をかぶられたことを思い出す時間を取りましょう。
 
As we take part in the Lord's supper as a church family, we take time to remember how Jesus was willing to set aside His crown of Glory as King of all creation to take on the crown of thorns as one who would be despised and rejected by the very ones He created.
 
良心とは何か、それが生活の中でどのように機能するかについてより良く理解する中で、実際にそれを日々の状況にどのように適用するのでしょうか。例えば、食卓で食べたり飲んだりするものに対して、どのように適用すればよいのでしょうか。今日は、私たちの行動すべてにおいて神様に栄光を示すために、私たちの良心がどのように役立つかについて、非常に実践的な応用例を見ていきましょう。
 
As we've gotten a better understanding of what our conscience is, and how it works in our life, how do we actually apply it to our day-to-day circumstances? Like around the dinner table with the things we eat or drink? Today we're going to see a very practical application of how our conscience helps us to glorify God in everything we do.…
 
今日は、私たちの良心と周囲の人々とのつながりについて見てみましょう。なぜ私たちの良心は違うのでしょうか?自分の良心と違う人とどうつきあえばいいのでしょうか?そして、良心の導き方が違っても、イエスに従う者として何を目指せばいいのでしょうか?
 
Today we look at the connections of our conscience to those around us. Why are our consciences different? How do we deal with those whose conscience isn't the same as ours? And what should we be striving for as followers of Jesus even as our consciences guide us in different ways?
 
私たちの良心、それは私たち一人ひとりが持っているもので、しかもその良心のあり方は人それぞれです。良心というものを理解できれば、イエス様との歩みだけでなく、まわりの人との関係にも役立ちます。今日は、私たちの良心についての二つの質問を見てみましょう。「良心とは何か?」そして、「良心はどこから来るのか?」です。
 
Our conscience. It's something that each of us have, and yet each person's conscience is different. The more we can understand it, the better it can help us, not only with our walk with Jesus, but also with our relationships with those around us. Today, let's look at two questions concerning our conscience. What is it? and Where does it come from?…
 
ヨナの物語を通して、私たちが期待する以上の神様の憐れみを見ることができます。この憐れみはニネベの人々に対してだけでなく、ヨナ自身に対しても与えられました。彼らの物語を通して、神様が私たちにもどれほど憐れみ深いお方であるかがよりはっきりわかります。
 
礼拝は、私の人生の他の部分とどこまでつながっているのでしょうか?聖書の神ではないものが崇拝されている場合、それとのつながりはどうでしょうか?そのつながりは、私と神様の関係にどこまで影響を及ぼしているのでしょうか?
 
聖書には「試練」と「誘惑」という言葉がありますが、どちらも同じ言葉からきていることをご存知でしょうか?では、どんな時に試練となり、どんな時に誘惑となるのでしょうか?そして、それぞれの状況において、神様はどのように私たちを助けてくださるのでしょうか?
 
Description 今日は、私たちの教会のメンバーの谷口和一郎さんが、信者になって間もない時に彼の人生に起こったことを分かち合ってくれます。イエス様を心に迎えることがどのように人生を変えるのかということを、谷口さんの証しを通して知ることができます。
 
自分がどこを歩いているのかを認識することは、時として重要なことです。なるべく避けたいことは、滑りやすい崖の縁を歩いているにもかかわらず、自分が置かれている危険に全く気づかないことではないでしょうか。これは、クリスチャンにも起こってもおかしくないことです。そして、「気をつけて!」という警告に耳を傾けることが大切です。
 
Sometimes it's important to recognize where you're walking. The last thing you want is to be walking along the slippery edge of a cliff, yet completely oblivious to the danger you're in. This is something that Christians can do too. And the warning to be careful is important to heed.
 
今日は、驚くべき奇跡的な方法で神様から受けた完全な自由と、それにもかかわらず。神様への信仰、満足、従順が足りない為に、その自由からの祝福を失った人々を見ていきます。
 
Today we're going to look at a group of people who received and experienced complete freedom from God in amazing and miraculous ways, and yet lost the blessings that came with that freedom because of their lack of faith, satisfaction, and obedience in the One who gave them their freedom.
 
イエスの福音を伝えることは、どのように競走に似ているのでしょうか?今日の箇所で、パウロはコリントの町で行われていたある有名なスポーツイベントを使って、クリスチャンとしてのある自由を用いないことが、どのように福音を伝えることにつながっているのかを教えています。
 
イエス様の福音を伝えるには、みんなで協力することが大切です。他の人に福音を聞く機会を与えるには、それぞれの役割が重要です。どこにいてもあなたは、イエス様から与えられた偉大な使命の一部なのです。
 
何かをする自由は、私たちにとって大切なものです。しかし、それより価値のある別の自由があるのです。一度それを経験すると、たとえ他の自由を少し手放すことになっても、それが共有する価値あるものであることがわかるでしょう。
 
Our freedom to do certain things is important to us. But there is a different kind of freedom that is even more valuable than those freedoms. Once you experience it, you'll discover that it's worth sharing, even if it means letting go of a few of those other freedoms.
 
お母さん、あなたは子供たちにイエスの福音を伝えるという大切な役割を持っています。それだけではありません。この重要な役割を果たすためにイエス様があなたを助けてくれるので、あなたは福音のすばらしさを経験することもできるのです。
 
私たち一人ひとりは、二つの明確な方法で、福音、つまりイエスの良い知らせに関わることができます。一つめは、イエスの良い知らせに応答することです。もう一つは、福音を他の人々と分かち合うために、自分ができる役割を果たすことです。
 
今週と来週、第1コリント9章でを見ますが、パウロはコリントの教会家族を世話する中で、彼らの霊的な世話をする者としてのある権利を用いませんでした。今週は、パウロが持っていた権利とは何であったかを見ていきましょう。そして来週はその権利をどのように、そしてなぜ用いなかったのかを見ていきます。
 
This week and next week, as we look at 1 Corinthians 9, Paul, in caring for the church family in Corinth, withheld certain rights as their spiritual caregiver. This week we will look at what those rights were that Paul had. And next week we will look at how and why he chose to withhold that right.
 
私たちにとって、イエス様の復活はどのような意味を持つのでしょうか?死からよみがえるという約束を果たされたように、イエス様がいつか私たちが行くところ、すなわち天国に私たちを連れて帰るために戻ってくるという約束をも果たされるという保証を与えてくれるのです。
 
イエス様は私たちへの愛により、ご自分を低くし、天を離れてこの地上にいらっしゃり、私たちのようになり、私たちが歩くところを歩いてくださいました。しかしそれ以上に、イエス様は、私たちが自分の力で負うことができないものを負うために、さらにご自分を低くすることを選んでくださいました。
 
Jesus' love for us compelled him to let go of Heaven to be like us, to walk where we walk. But He didn’t just stop at where we are, in taking on himself humanity: Jesus chose to humble himself even lower to take on himself something that we couldn’t take on in our own strength.
 
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