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2024.11.3 礼拝メッセージ(ローマ9:1–18)小さい頃から「自意識過剰」に悩んできました。高校生から大学にかけての頃、少しばかり哲学に興味を持つようになりました。世界の動きや人の心の動きを把握できそうな気になって、嬉しくなりましたが、やがてそこに「自分は人より賢くなった!」と思いたいという自意識過剰の問題が再び生まれました。そのような中で、イエスを救い主と信じる信仰に導かれましたが、そこでまた自分と人の信仰を比べるという自意識過剰が気になりました。
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2024.10.20 礼拝メッセージ(ローマ8:26–39)最愛の伴侶を失った方が、友人から「神はすべてのことを働かせて益としてくださる」と言われ、信仰を失いかけたと言っておられました。その人にとって「伴侶の死」は最悪の事態であり、それが将来を開くことにつながるという発想自体が、許容できない考え方でした。
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2024.10.06 礼拝メッセージ(エレミヤ26–29)私たちはときに、主に真剣に祈りながら決めたことで、深く後悔することがあるかもしれません。しかし、あなたが主との交わりの中で選択したことは、主のご支配の中にあります。それが一見、自分に「わざわい」をもたらす計画のように見えても、それはあなたに「平安(シャローム)」を与える計画」となっています。
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2024.9.22 礼拝メッセージ(エペソ3:14–21)小生の母は、聖書はほとんど読みませんでしたが、「お前のうちに働く神の力は分かる」と言ってくれました。母が私を出産する頃、母は生きる気力を失っており、出産自体が命がけの奇跡でした。誕生した後も、一歳を過ぎた頃、高熱で扁桃腺が腫れ、医者は僕を逆さにして気道を開くため切開手術を行わざるを得ませんでした。すると何度か心臓の鼓動が止まったようですが、母の胸に抱かれるたびに心臓が動き出しました。
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2024.9.1 礼拝メッセージ(エレミヤ23:9–25)「主 (ヤハウェ) のことば」は私たちの心にいつも「平安 (シャローム) を生み出す」というのは、偽預言者のことばです。エレミヤはエルサレムの堕落に心を痛め、主のことばを聞くことで、「私は酔いどれのように、ぶどう酒に負けた男のようになった」と言っています。
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2024.8.25 礼拝メッセージ(ローマ8:1–11)私たちはつい自分の信仰を反省して、自分で自分の信仰を励ますような生き方をしてはないでしょうか?しかし、自分で自分を変えられるならイエスが十字架にかかる必要はありませんでした。自分ができないことをイエスが成し遂げ、私たちに聖霊を送ってくださいました。
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2024.8.18 礼拝メッセージ(エレミヤ21–23:8)先日ハマスの最高指導者ハニヤ氏の暗殺が報じられたとき、彼の純資産額が6000億円で、安全なカタール住み、プライベートジェット機で移動しているようすが描かれたことは、パレスチナ難民の問題の闇を現わしているように思えました。
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2024.7.21 礼拝メッセージ(エレミヤ17:19–20)人間は基本的に、人生を楽しく、無駄な苦労をせずに生きたいと願っているのではないでしょうか。しかし、気楽に生きたいと願い過ぎる人は、かなりの確率で、余計な苦難を招いてしまいます。
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2024.7.7 礼拝メッセージ(ローマ7:1–12)ローマ人への手紙を表面的に読むと、「律法」が否定的に理解されることがあります。しかし「律法は聖なるもの」また、私たちを真の意味で「生かす」、愛の教えです。
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2024.6.30 礼拝メッセージ(エレミヤ14:1–17:18)人の生涯はハプニングに満ちていますが、それこそ、ハッピー(幸せ)の原点です。ハッピー、ハプニングは、古英語 “hap”(ハップ)に由来し、「偶然」を意味します。ただそれはすべて神の御手の中にあります。
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2024.6.23 礼拝メッセージ(ローマ6:12–23)私たちは自分をクリスチャンと呼びます。それは自分を「キリスト・イエスのうちにある者」と自認しているという意味です。あなたは日本人である前に、キリストの王国の中に生かされているのです。それをパウロは、「罪の奴隷」から「義の奴隷」へと変えられたと述べます。
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2024.6.16 礼拝メッセージ(エレミヤ10–13)私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世の発想の延長で、無意識にせよ、神を「利用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「利用する」ことの区別が大切です。
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2024.6.9 礼拝メッセージ(ローマ6:1–11)私たちは何のために生かされているのでしょうか。ときに伝道や証しのために生かされていると考えすぎると、周りの未信者の方から「あなたそれでもクリスチャンなの」と言われることに敏感になりすぎる、堅苦しい生き方になるかもしれません。
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2024.5.26 礼拝メッセージ(エレミヤ7–9)19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、「すべての生は苦しみである……生は、まるで振り子のように……苦痛と退屈の間を行き来する……人間がすべての苦しみと悩みを地獄に追放したあとでは、天国にはただ退屈しか残らない」という皮肉を言いました。
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2024.5.19 礼拝メッセージ(ローマ5:12–21)「死」はすべてのものを失うことのシンボルです。私たちは死において、家族や友人と引き離され、それまで築いたもののすべてを失います。実は、不安に駆り立てられている人は、心の底で「死」を恐れているとも言えましょう。
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2024.5.12 礼拝メッセージ(エレミヤ4:5–6:30)ヴィクトール・フランクルというユダヤ人の精神科医は、ナチスドイツの強制収容所で、寒さに凍えながら強制労働に駆り立てられていました。そこでふと、愛する妻の面影を思い浮かべ、空想の中で彼女と対話し、彼女の微笑を見ることができました。そのとたん、彼は、彼女の眼差しの中で、人間の存在の意味を、「愛による、そして、愛の中の被造物の救い」であると悟ります。そして、「愛は死のように強い」という雅歌8章8節のみことばの意味が理解できたと書いています。それは伴侶でなくても、父でも母でも、またその他の大切な方の面影でも同じでしょう。人はだれかを愛することで、人生を輝かせることができます。…
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2024.5.5 礼拝メッセージ(ローマ5:1–11)23歳で大怪我をして死を望んでいた星野富弘さんが、多くの人に希望を与えて78歳で天に召されました。小学校の教科書にも載せられた、「いのちが 一番大切だと 思っていたころ 生きるのが苦しかったいのちより大切のものが あると知った日生きているのが 嬉しかった」という詩があります。
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2024.4.28 礼拝メッセージ(エレミヤ1:1–4:4)エレミヤ書は現代のクリスチャンホームの子にふさわしい福音です。創造主を礼拝する幸いを教えられてきたことは大きな恵みなのですが、心を興奮させるこの世の文化の刺激を受け、信仰生活を空虚で惰性的なものに思え、心が交わりから離れようとすることがあります。表面的に取り繕ってはいても、福音の本質が心に落ちていません。
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2024.4.14 礼拝メッセージ(ローマ4:13–25)人はときに、立派な信仰を、「何の疑いもなく、信じ通す」ことと誤解します。そして、今日の箇所でも、アブラハムの「信仰は弱まりませんでした。不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく」ということばを、そのように、アブラハムは目の前の不安な状況に動じることもなく、神への信頼の姿勢を貫いたと誤解されがちです。
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2024.4.7 礼拝メッセージ(イザヤ66:15–24)預言者イザヤは、イスラエル王国が圧倒的な大国から攻撃を受けるという中で、人間的な解決を求める前に、何よりも神の前に静まり、神に助けを求めることを優先しなければならないと繰り返し強調しています。
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2024.3.31 礼拝メッセージ(ルカ24:13–36)ロシアのプーチン政権を真っ向から批判して今年2月に死を遂げたアレクセイ・ナワリヌイ氏は、2021年の裁判の際に、「私はかつて過激な無神論者でしたが、今はクリスチャンです。信仰が私の活動を助けてくれます。それは聖書の中に様々な状況の中で、どのような行動を取るべきかが記されているからです」と語りました。特に彼はイエスが山上の説教で、「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです」(マタイ5:6) ということばに支えられていたとのことです。
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2024.3.17 礼拝メッセージ(イザヤ66:6–14)イザヤ66章10–14節は、キリスト教に対する偏見を決定的に砕く預言のようにも思えます。母親が大好きな僕は、「あなたがたは乳を飲み、脇に抱かれ、膝の上でかわいがられる」という「新しいエルサレム」で実現する「救い」の描写に、何とも言えない平安(シャローム)を感じます。
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2024.3.10 礼拝メッセージ(ローマ4:1–12)私たちプロテスタント教会の流れの中にある人は、「人は善い行いによってではなく、キリストへの信仰によって、神の前で義(正しい)と認められる」という教えを信仰の核心としています。その教えが「信仰義認」と呼ばれます。
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2024.3.3 礼拝メッセージ(イザヤ65:16–25)私たちは今、「すぐに結果を出さなければ……」というプレッシャーの世の中に置かれています。私自身もかつてそのような職場に身を置き、その発想を身に染み込ませて牧師になりましたが、そのために信仰生活が苦しくなった時期があります。なぜなら、あまりにも結果が見えなさ過ぎるからです。それは目に見える教会の成長のことばかりではありません。「これだけ神のみことばに親しんでいるのに、どうしてこうも僕は成長できないのだろう……」と思ってしまうことがあります。
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2024.2.25 礼拝メッセージ(ローマ3:19–31)神の「愛」と「義」が同じことを表わすことは、親子関係を考えるとよくわかります。たとえば、自分の子が不良仲間に入りながら、そこで我に返って、そこから抜け出たいと願っているとき、そこで求められる親の正義とは何でしょう。「悪の勢力と関係を持つことは自分の正義の基準に反する。自業自得なのだから、自分でどうにかしなさい」と言うのが親の正義でしょうか。
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2024.2.18 礼拝メッセージ(イザヤ63:18–65:16)世の人々にとってのクリスチャン生活には、「天国に憧れながら、この世の不条理を忍び、悔しいことがあっても微笑みながら生きる」というイメージがあるかもしれません。しかし、そんな生き方では、息が詰まってしまいます。
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2024.2.4 礼拝メッセージ(ローマ3:9–24)福音がしばしば単純化されて、「すべての人が罪を犯して、地獄の火のさばきに定められているけれども、神が遣わしてくださったイエスを信じることによって、天国の保証が与えられた」と説明されることがあります。その際に頻繁に引用されるのが本日のローマ人への手紙3章です。
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2024.1.28 礼拝メッセージ(イザヤ62:4–63:17)「あきらめ」とは「明きらむ」から生まれた言葉で、そこには「心を明るく楽しくする」という意味があったようです。依存症の原因に、自分では変えようのない過去への後悔や恨みがあると言われますが、目の前の現実を明らかに見るときに、断念すべきことがわかります。
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2024.1.21 礼拝メッセージ(ローマ2:17–3:8)昨年の大河ドラマ「どうする家康」の評価はまちまちでしたが、敢えて評価できるとすると、徳川家康を神格化しようとした後の歴史文献を徹底的に洗い直し、そこにある矛盾から、家康の愚かさとか弱さを発見し、等身大の姿を見せようとしたことにあると言われます。
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2023.12.31 礼拝メッセージ(イザヤ60:10–62:3)多くの人々は、「大切な何かを失うこと」を恐れて生きています。この「恐れ」は豊かになるほど大きくなります。福音を聞き、それに感動しながらも、何か大切なものを失うことを恐れて決断できない人もいます。これは江戸時代からのキリシタン迫害のトラウマが日本人全体の心に深く染み込んでいるためかもしれません。
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2023.12.24 礼拝メッセージ(ルカ3)今回はクリスマス礼拝にあたり、イエスをバプテスマのヨハネと比較することで、イエスがどれほど優しく、同時に力強い「救い主」であるかを明らかにするためにルカ3章を選びました
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2023.12.17 礼拝メッセージ(イザヤ59:4–60:9)第二次大戦中、ヒトラーは「ユダヤ人問題に対する最終解決」を目指しましたが、現在のイスラエルはハマスというテロ組織の「最終解決」を急いで、世界から孤立してはいないでしょうか。
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2023.11.26 礼拝メッセージ(イザヤ57:15–59:4)ある教会の青年が、「教会で出会う人たちは、みんな神を身近に感じているように見えるけど……」と自分の不信仰を恥じていました。私はとっさに、「みんな、信仰生活が長くなるにつれ、クリスチャンらしい言葉使いや、振舞い方が身についているだけで、心の内側はあまり変わっていないと思うよ……」と言ってしまいました。
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2023.11.19 礼拝メッセージ(ローマ1:16–32)現在のガザ地区において目を覆いたくなるような悲惨な状況が続いていますが、イスラム教諸国とキリスト教が多数派の諸国では、報道のされ方がまったく違うようです。私たちはそのようなときに、どちらに、より正義があるかという評価をすぐに下そうとしますが、それはひょっとしたら自分を神の立場に置くことかもしれません。
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2023.11.12 礼拝メッセージ(イザヤ56:1–57:16)ニック・ブイチチというオーストラリア人がいます。彼は生まれた時から両手両足がなく、たった一つの短い足の先しか使えません。しかし彼は普通の学校に通い続け、大学で会計学の学びを修了し、水泳が好きでサーフィンを楽しんでいます。
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2023.11.5 礼拝メッセージ(ローマ1:1–17)私は大学の交換留学制度によって約一年間の米国留学中に、イエス様を自分の人生の主とする信仰告白に導かれました。その時点では聖書をほとんど読んだことがありませんでした。旧約聖書の構成など知りもしませんでした。
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2023.10.29 礼拝メッセージ(イザヤ54:1–55:13)日本に住む多くの人々は、失敗をすることや、人々から非難されることを異常に恐れてはいないでしょうか。せっかく信仰に導かれても、「敬虔なクリスチャン」という看板を背負って、窮屈な生き方をすることがあるかもしれません。
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2023.10.22 礼拝メッセージ(詩篇96)先日、ウクライナで傷ついた兵士たちの魂の叫びに耳を傾けている船越先生から、「戦争が回避できないこの壊れた世界に生かされている現実と、同時にすでに神の国に属する者とされているクリスチャンとしての使命の大きさとの間で、『何が正解なのか』、本当に分からなくなることがしばしばあります……闇が深すぎて自分たちが進むべき道を見失ってしまうことがあります」という悲痛な叫びが届きました。
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2023.10.1 礼拝メッセージ(詩篇19)「初めに、神が天と地を創造した」(1:1) とは、聖書の神がどのような方かを一言で宣言する記述ですが、ユダヤ人の間で広く用いられている英語訳 (Jewish Publication Society : Tanaka Translation) では、1–3節が一つの文章で、「When God began to create heaven and earth—the earth being unformed and void、 with darkness over the surface of the deep and a wind from God sweeping over the water—God said、 “Let there be li…
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2023.9.17 礼拝メッセージ(黙示録20)黙示録は聖書の中で最も誤解されやすい書物とも言えますが、信仰者にとって不可欠な励ましの書とも言えます。それは22章10節に「この書の預言のことばを封じてはなりません。時が近いからです」と記されているからです。この書は、使徒ヨハネが信仰のゆえにパトモスという地中海の島に流されている中で啓示されたもので、迫害を受けている人々への慰めと希望のことばです。日本においてクリスチャンが受けて来た迫害は世界最悪のものの一つでしたが、もし江戸時代や第二次大戦時に黙示録が正しく読まれていたとしたら、もっと多くの信仰者が信仰を全うすることができたのかもしれません。
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2023.9.10 礼拝メッセージ(Ⅰテサロニケ4:9–5:11)聖書の教えの基本は、十分な教育を受けられなかった人にも分かるものでなければなりません。その点で私は深い反省を迫られております。今回の箇所を選んだのは「携挙」に関しての質問があったからですが、礼拝説教が神学議論の場になってはいけないとも言えます。
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2023.8.27 礼拝メッセージ(エゼキエル40:1–47:12)旧約の預言が二千年前のイエスの登場によってどれだけ実現し、何が将来に残されているかという見分けが、聖書解釈に大きな違いをもたらします。
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2023.8.13 礼拝メッセージ(ダニエル9:1–3、20–27)宗教改革者マルティン・ルターはかけがえのない教師ですが、一つ大変残念なことがあります。彼は改革運動の初めはユダヤ人に対して同情的で、「イエスは生まれつきのユダヤ人であった」という文書では、カトリックはユダヤ人を犬のように扱い、福音を語って来なかったから彼らは回心できなかったと言いました。
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