Bethel Church 公開
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箴言3:5〜12  箴言の3章5〜12は私が子供の頃に祖母がいつも暗唱していた聖句なので、早い時から私の考え方の核になったのですが、今日はここから話したいとおもいます。5節、心でつかんだ事柄の方が思いの中にある事より影響があります。思い、知性を過小評価するのではないのですが、心にある事の影響は大きいです。あなたが自分で神の事を全て説明できるならそれはあなたの思いの中の神であり、本当の神ではないのです。いつも人生に「理解しきれない、わからない」神の事柄がある事によって私たちは信頼をするのです、信仰で歩むのです。ビ ル・ジョンソン による
 
マタイ14:22、23 使徒2:1  空間と場所という話をしましょう。私達の中の、また私達の外の空間と場所、また時間という事。 イエス様は周りの人々や押し寄せる状況などから、ご自身を離すことをされていました。マタイ14:22、23でも見られますが、イエス様はよく 山や荒野の静かな所に一人で行かれていました。そこで何をしていたかは誰も知りません、イエス様は一人で行かれたのです。 私達の人生で、一人きりになることを嫌う人や、苦手である人が多いと思いますが、イエス様が人から離れて、自分だけの時間と場所を持たれたのなら。私達にはどれだけ必要なのでしょう。主は全宇宙をかえるという偉大な働きをしておられ、忙しく、常に人がいる状態でしたが、選択によって一人きりの時間と場所を作られました。…
 
使徒4:29、30。使徒19:23〜38、エペソ6:12  使徒の働きの大きな流れを見る時に、あるパターンを見つけます。 聖霊が注がれ、人々が加えられ、反対と迫害が起こり、それに忍耐することに成功した時に増化するということです。ペテロが宗教リーダー達に捕らえられ、投獄され、解放された後、教会はこう祈りました。「もっと大胆さを与えてください」彼らは政治的に非難され無いように祈らず、ますます「大変なこと」が起こるような祈りをしたのです。キリストの為に立ち続けるなら、非難や迫害は避けられ無いのです。 神は「論じる為の声」を立てました、それはパウロでした。 彼の知性と訓練は非常に卓越していて、救いのすぐ後にも、人々と、信仰やその当時の社会状況を論じていました。…
 
今日は父の日ですから、「父達を解き放ち、天の父を現す」事を分かち合います。「父の日」と聞いた時に、多くの異なる事をそれぞれの人は考えます。 痛みや、苦しみ、喜び。または、自分は良い父ではない、失敗した父だと思う人もいるでしょう。 イエスは子として、父を現す為に来られました。私達も子として、天の父を現す事を役目として受け取っています。 敵の嘘を信じる事によって、私達が偉大な父達になる事は妨げられています。ですから、今日はその嘘を捨てる時です。ポール・マンワーリング による
 
イザヤ60:18、62:10、詩篇8:2 、149:6  私達の戦い、霊的戦いは「肉と血に対してではなく、力、主権、暗闇の力」に対するものです。 私達が、主を賛美して、愛していけにえを捧げる時に主が立ち上がり、私達の敵に勝利し、私達に「あなたがたは勇士だ」というのです。喜ばしいことです。 イザヤ60:18 あなたの城壁を救いと呼ぼうとありますが、城壁はあなたを守る為です。安全の為。あなたは城壁の中にいるなら、悪魔が合法的にもっている。盗んで殺して破壊することから、敵の嘘に同意し無い限り守られます。これを新訳では、「救いのかぶと」と言います。ここでは、賛美は「門」とありますが、賛美は 栄光の王が入ってくることができる、主が来られるところです。 黙示録には「門」は真珠でできているとありますが、真…
 
ヨハネ4:23、24 礼拝とは、「賛美」をする立ち位置につくこと、賛美の心であること。なぜ礼拝をするのか、それは神様がふさわしい方であるから。神に礼拝されることが必要なのではなく、私達が主に捧げる賛美によって変えられるのです。私達が賛美の心から、礼拝をしないのなら、それは音とアクションにすぎない、賛美の心によってそれは礼拝になります。 ダビデは、羊飼いの時、敵から逃げている洞窟の中で主にあいました。礼拝していました、そして王になった時にも、心と思いと力を尽くして礼拝しました、だから、神は「私の心を追い求めるもの」と呼んだのでしょう。 手を上げて、礼拝することは、神様が私達の心地よい、慣れているゾーンから出て、もっと神様のいる場所に出てきて、会うことを招待しているとも思います。…
 
エゼキエル44:15、16。詩篇100篇、出エジプト20:19 私達ベテル教会は、礼拝者として預言的な事柄や癒し、神の御声を聞く事を学んできました。そして、礼拝は私達の教会の土台であり、そこからすべての事は流れてきます。 私の父が70年代始めに、「神に向かって歌う」事を礼拝の教えのなかで、語りました。それまでは「神の事を歌う」賛美であったので、大きな移行になりました。 父なる神は礼拝者を求めているのです、礼拝ではなく、礼拝者です。神は愛なる方で、その動機はすべて愛です。その方が礼拝者を求めていて、私達をそのためのデザインで作られたのです。それは、私達にとっても礼拝は「御子の姿に変えられる」事を起こすからです。 感謝、賛美、礼拝、これらは同じではなく、感謝を捧げる事は、神が私達にすでにしてくだ…
 
ヨシュア1、3、6  今日は具体的に、4つの部分に特に打ち破りがある事を信じます。経済、関係、健康、ミニストリーです。多くの皆さんは、ベテル教会に夢やビジョンを持って、それらが実現するために犠牲を払ってこられています。私達、教会のスタッフは非常に感銘を受けていますし、またその皆さんを神の軍隊としてしっかりと、共に立ち、囲み、支えたいのです。 ダビデ王がウリヤを殺した時、彼はウリヤを戦場の最前線に送り、味方の軍隊を全て戻し、敵の軍隊にウリヤが殺されるようにしました。ウリヤは素晴らしい軍人でしたが、敵陣の前で立った一人で残され、勝利できる準備はなく、味方の軍隊と共に戦い勝利を収める人でした。 そのように私達も、皆さんがリスクを取り、大きな経済の捧げ物やビジョンの実現のための戦いに出る事を励まし、…
 
マルコ10:35〜41、ルカ22:46、ヨハネ13:3、4 イエスは「誘惑に陥らないように祈っていなさい」といったように、私達も誘惑されるべきでないことに誘惑をされるならば、祈って主の臨在に入っていきましょう。 イエスが自分が神の子であって、神から来て、神の所にいかれる事を知った時に、しもべとして仕え、力つよい模範を示されました。神の子、息子は父の無限の資源にアクセスできる事を知っています、神の目的、使命をしっているので、希望を持って仕えます。息子は希望をもって、神の御国を地上で建て上げる為に仕えます。ビ ル・ジョンソン による
 
ルカ23:44〜24:32 よみがえりの日曜日のメッセージです。神は人と共にいることを熱望しています。また神殿の幕は真っ二つに裂けた。神殿の幕が二つに裂けた時に、見えない領域 霊の領域において全てが変わりました。全く変わってしましました。人が罪によって作った巨大な淵、神と人を分ける距離がなくなったのです。46節、イエスは「我が霊を御手にゆだねます」と言います。イエスは命を「捧げられた、ゆだねられた」のです。誰もイエスの命を奪うことはできませんでした。 イエスの死、よみがえり、によって イエスは 究極の神殿、宮でのために唯一の生贄をささげられました。あなたがその究極の神殿です。あなたの内に聖霊は住まわれます。 イエスが死なれら時に、死は力を失いました。ですから、私たちにとって、死は最終ゴール、…
 
ピリピ4:10〜13、コロサイ1:15〜17  パウロの書簡の中心には、いつでも「喜ぶ事」が書かれていると私は思います。。私が彼の人生を思って、それを考えると、非常に心に響きます。なぜなら、彼は福音を語ったが故に、精神的、肉体的にひどい迫害を受け、拒絶され人だからです。そしてピリピ書でも、貧しい中でも、富んだ中でも「満ち足りる事を学びました」と言っています。驚きます。 賛美は王が来られる為の道をスムーズにします。私の娘達が小さかった時に私が帰宅する車をみて、娘達が「パパが帰ってきた!!」とソファーから飛び上がって、私を呼ぶ声は私が部屋に入る事を早めました。感謝の心を働かせてください、それはイエス様をあるべき人生の中心に戻すものです。…
 
ヨハネ13:2〜11、16:23、24  多くの考え、価値感、神学をまとめる幾つかの要素を「神学の礎石」と呼ぶ事を数年前に考えたのですが、今日はこの教会の家族の為の礎石のアイデア、そこから派生する4つの態度を話しましょう。 1つ目は神が良い方である事、2つ目は神とあるならば不可能な事はない事、3つ目は私達のすべての必要は十字架で支払われた、4つ目は私と私達は重要である事。このアイデアから派生する4つの態度とは、神が良いお方なので、私達は大きな夢を見る事を要求されている、そして神の内にあり不可能はないので、私達はリスクをとる。そして十字架ですべての必要は与えられたので、私たちは神を信頼する。ビ ル・ジョンソン による
 
神はビル&ベニジョンソン夫妻を私の霊的な父母として選んで与えられました。 私達は父親はいるけど、父親はいないという事に立ち向かわなければならないのです。どういう意味でしょうか? 関係が育ってなかったり、完全な父はいないという事です。 天のお父さんの心、使徒的な流れはあなたに流れて、あなたを通して流れていきます。天のお父さんが探しているのは、天をじっと見つめ続け、父を優先順位にする事ができる人達です なぜならば、神はこのような人々をリーダーをして成させ、リーダーシップホジションにつける事を願っているのです。ダニー・シルク による
 
2コリント10:3〜5、エペソ6:14〜17、マタイ16:23 「強い要塞」の話をするならば、それは軍隊が隠れる事ができ、そこから戦いに出る事が出来る場所だと言いましょう。 城壁で囲まれた街を思い浮かべてくれたら良いでしょう。私達の思いが戦いの場所である事は、すでにみなさんが知っていると思いますが、それどのようにでしょうか? 2コリントの10:5に「さまざまな思弁、それは神が真実である事、神の知識に逆らって立つもの」とあります。「思弁」とは、想像、推測、考えなどですが、これは私達が神の思いの中にない事、私達や御国についてなど神の視野ではない事柄を思いの中にとどめる頃や、考えを巡らせることが、「戦い」でしょう。…
 
ローマ15:4〜6、13〜14,17〜19  私の願いは「聖書を読むこと、神の言葉に対しての飢え渇き」を皆さんの心に掻立てる事、そして「生徒」ではないという方を「生徒」である事にすることです。私は若い時には、本を読む人ではなく、また良い生徒でもありませんでした。しかし、ある時に情熱をもって主に私の人生を捧げる祈りをしてから、ローマ書についての事が書かれているある本を読みましたが、非常に驚きました、なぜならその本に書いてある事が聖書のローマ書にあることだと思えなかったのですから。ビ ル・ジョンソン による
 
マタイ6章、マタイ11:12、9:19 マルコ9:28、29 私達は「答えられない祈り」を祈るために創造されたのではありません。それは、中身がないことです。しかし、自己中心と無知は祈りが答えられないことを容認してしまいます。 しかし、それは祈りの答えが遅れたりすることを非合法にするわけではないのです。私達皆が、まだ答えられていない祈り、打ち破りの必要な事柄があるでしょう、私もそうです。しかし、その中での大切なことは、その過程、プロセスを神様を責めない、そして自分にも自責の念や、恥をもたらす思いに同意しないことです。 マタイ6章の「弟子たちの祈り」があります、ここでの優先順位はなんでしょうか?天の父の御名があがめられ、天が地に来るようすることです。…
 
ヤコブ1:2 信仰で歩いている時に、チェックされなければ、それは「自分には資格がある」と勘違いしています。その意味は「自分の祈りは答えられ、打ち破りを得た。それは聖書に書いていることをきっちりしているからだ」と思って全ての事が恵みであることを忘れてしまうのです。全ては恵みなのです。しかし、「私の能力や何かはそれが起こったことの理由」と思ってしまう性質が私たちのうちにはあるのです。神の御国を受けるには「心が貧しい霊」を持つことですが、それは自分を否定的に見て、何もないというのでは悪魔に同意しています。全てが恵みであることです。 リバイバルは私たちが何かしたから起こるのではありませんが、神が語った、言葉によって創造された流れに私たちが入って行ったので、それが起こったのです。…
 
イザヤ35:1〜7 ネヘミヤ4:15〜21 「疲れた者を励ます」メッセージはいつ聞いても良い言葉です。しかし、主が私にこれは「今」の為、そして「体、共同体」としての必要があり、預言的に今がこの「疲れた者が多くいる」ので励ます事を解き放たれると信じています。 イザヤ35章で「荒野」や「砂漠」とありますが、これは例えなので、実際の場所はなく、私達の人生の中にある季節です。約束の地にはまだ、到達せず、しかしエジプトからは立ち去ってきている、その間の乾燥した、大変な、進めなくなっている時です。 「疲れた者を励ます」と言葉とネヘミヤ4:17節の「投げやりを堅く握って」という言葉は、全く同じ言葉です。クリス・バロトン による
 
ソロモン王の所に多くの人が偉大な知恵、解決を受けるために会いにきましたが、彼らはイエス赤ちゃんの王様が彼らに与えられる「もの」ではなく、「イエス王」に会いにきて、礼拝しました。 イエスは私達の為に全てを完成させました、ですから私達は「まったく何もしない」という教えの流れがありますが、私は思うのは、それが故に礼拝の時に、何も持たずに、与えずに出てしまうと、関係を作る事が体験できない事です。神は契約、誓約の神です。 私は何度も、自分の人生を神の前の祭壇にのせ、捧げて、打ち破りや人生の危機、そしてもっと主に近くなる事を願ってきました。捧げる事をしなければ、契約の神、誓約の神との歴史、私だけが作る事ができる主との関係を育てる事はできません。…
 
あなたは主に従って何かをして結果が期待通りに全くならなかった経験がありますか?あなたが敗北した後祈った時に、あなたは勝利しました。 神は私達に与え、私達が祝福を受ける事によって周りを祝福する為に、私達をその祝福、神の栄光臨在を管理する人格、許容量を建て上げる「過程」を通しています。憐れみの故に、私達が主の臨在、栄光によって破壊されないように、訓練され、育てるのです。祈りの答えが遅いと思っているなら、その時間はボーナスを貯めているのです。その為に「すべての事を用いて益とされる」の御言葉がローマ書にあるのです。ビ ル・ジョンソン による
 
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