王は王達に与える Kings Give to Kings - Eric Johnson

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詩篇68:19, 今日は「必要が満たされる」事と「豊富にある」事の違いをはなします。 ある方は「繁栄のメッセージ」は良くないと思っているかもしれません、皆さんがどのような意見を持つかという事は自由です。 詩篇の68:19では「ほむべきかな、日々、私達のために重荷をになわれる主」とあります。英語訳では「重荷を担う」が「益をくださる」とあります。 神様は私達に与えたい、益を毎日与える事をすでに決められています。 ある時18ヶ月の間、私はコーヒーを買う事が出来ませんでした。買おうと思っても、誰かほかの人が払ってくれるのです。教会の中のカフェの近くである時人と話ながら、コーヒーの香りが あまりにも良いので、「コーヒーを買ってから、祈り会に行こう」を考えていた所、ある人がコーヒーをもって、こっちに歩いてきて、「コーヒーをなんでだか、買ってしまった、自分はコーヒー飲まないのに」となり、非常に驚きました。豆でもそうでした。でも、その事が始まって数ヶ月後に。自分がとてもイライラし、フラストレーションを感じました、なぜなら、自分には「十分なコーヒー」があったし、キーヒーを自分でかうお金がなかった訳ではないのです。わかった事は、神様は「必要以上に与える、与えたい方」なのだという事です。以前自分は「必要が満たされる事」、マイナスがゼロになる事が「豊富」だと、考えていましたが「豊富」である事はそれ以上です。 王様や王の家族は「必要を聞いて、それを与える」事はしません。全てをもっているので「あなたにたりないものをあげる」という事は失礼なのです。 私達の神様は「王様」であり、私達を「王様達」として見て、そのような人になってほしいと願いっているのです。 私達は「国々を弟子化する」といっても、「豊富」になければ出来ません。 私達が教会の文化として作り上げている事は「他の人が祝福される事を自分の事として喜ぶ」ことです。

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