112.2 第100話【後編】

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5年前
「にわかには信じがたい話です。」
「正常な感想だ。」
「ですが他ならぬ陶課長のお話です。」
「ということは?」
「信じます。信じますが…なかなか受け入れられません。」
「いいんだ。そう言ってくれるだけで十分だ。」
「しかしどうしてそんな大事なことを自分に。」
「俺は苦労人をリスペクトしている。」
「…それは自分のことですか。」
「そうだ。」
都内駅構内の某コーヒーチェーン店。
入れ代わり立ち代わり人が出入りする店の奥に向かい合って座る中年男性ふたり。
彼らの存在を気に留めるものはいない。
「調べさせてもらったよ。随分ハードな生き方を強いられてきたみたいじゃないか。」
「なぜ自分なんかに関心をお示しに?」
「なんだろう…。なんでかな。」
「こう言ってはなんですが、裏があると思ってしまいます。」
「正直でよろしい。」
陶はコーヒーに口をつけて、ふうっと息を吐いた。
「氷河期世代ね。」
「は?」
「失われた20年って口じゃ簡単に言うけど、そのただ中にある当人にとってはたまったもんじゃないよな。」
「…。」
「紀伊。君はその氷河期世代の中でもこうやって警視庁に入り公務員という地位を勝ち取った。氷河期世代の中で見ればいわゆる勝ち組だ。世間的に、な。」
「…。」
「公務員。なってしまえばこっちのモン。そうそうクビになることもないしな。生涯安泰。あとは結婚し家庭を持ち、子を育て、そこそこのポジションに行き、いっちょ上がり。なんて世間は見る。確かにそう言った側面はある。だがこの警察という組織。実際のところは階級、権力、学歴、縁故、派閥、人間関係と得られるものはストレスしかないと思えるほどのクソみたいな職場だった。違うか?」
「…。」
「ドラマの刑事みたいに活躍できる自身の姿を想像していたのに、圧倒的に多い意味不明な事務作業。そして人間関係を円滑に運ぶという名目の組織内営業。上司はキャリアとかいう学歴だけは立派なジャリ。叩き上げで一番苦労している現場がジャリの思惑一つで翻弄される。こんな環境でどこが勝ち組だ。」
「ですが…それでも就職で苦労している同世代の人間を見れば、自分は恵まれています。」
「奴隷。」
「え。」
「そういうの奴隷っていうんじゃないのかな。」
「奴隷…。」
「自分の考えを押し殺し、言われるがままに機械のように動く。奴隷じゃないか。」
紀伊は何も言えない。いや言えるはずもない。
そもそもこの眼の前にいる陶という男。警視庁捜査第一課の管理官だ。陶はキャリアをジャリ呼ばわりしたが、彼自身がキャリアという存在そのもの。ただ彼がジャリであるかどうかはわからない。
「いや、言い方が悪かった。忠臣とでも言おうか。」
今更だ。ここで言い方を変えてもなんのフォローにもなっていない。
ただの嫌味にしか聞こえない。
そう。好むと好まざるとにかかわらず、自分はこういう連中の相手をさせられる。
世間から羨ましいと言われる環境とは必ずしも言えない。
こう紀伊は心のなかでつぶやいた。
「言っておくけど、俺にとって忠臣って言葉は奴隷と一緒だから。意味合いは。」
「え?」
「忠臣蔵ってヤツあるだろ。」
「はい。」
「俺、あんなもんが美化される世の中って良くないと思ってる。」
何を言ってるんだ。
主君の無念を晴らす美談ではないか。
警察という絶対的な縦組織でこれを好まない人間はいないはずだが。
「どうしてそうお思いなんですか。」
「浅野内匠頭が吉良を切りつけたから、部下が敵討ちなんかしなきゃいけなくなった。曲がりなりにも浅野は藩主だ。藩主は部下の面倒を見なきゃいけない。なのにそれを放棄して吉良を切りつけた。どうせ切りつけた理由はメンツとか一時的な感情が原因なんだろ。ちっぽけなプライドのために部下を路頭に迷わせ、挙げ句自分の仇討ちをさせる。しまいには部下らはその仇討ちの責任をとって切腹。なんでこれが美談として語り継がれているんだ?俺には四十七士は浅野の我儘に翻弄された被害者にしか思えんぞ。」
「…たしかに。」
「無能な上司に翻弄されて、そいつらの代わりに活躍し犠牲になる。それが忠臣って言うなら、忠臣がいない世の中のほうが正常だ。異常な状態を賛美する世の中は狂っている。」
忠臣蔵は絶対的な勧善懲悪劇であるといままで思いこんでいた紀伊は、この陶の見解を聞いて目から鱗が落ちる思いだった。
「忠臣とか、忠義とか言いように言われるけど、そんなもんが美化される世の中は上の世代が無能であることの裏返しでもあるんだと俺は思う。」
「…自分らをいいように使うための一種の洗脳ですか。」
「ま、そういうことだ。」
「管理官は上層部に不満をお持ちで。」
陶はうなずく。
「紀伊。お前もそうなんだろう。」
「…。」
「君等氷河期世代は、世代まるごと忠臣になることを求められている。そう思わないか。」
「前世代の不始末を片付け、挙げ句そのうまい汁を後の世代に吸われる。」
「そう。」
「御免被ります。」
「だよな。」
「管理官は何をしたいんですか。」
「救いたい。」
陶のこの唐突で率直な言葉。紀伊は面食らった。
「あの…。」
「お前ら氷河期世代は時代に翻弄された世代だ。生まれたタイミングだけで割りを食っている世代。不憫だ。」
なぜこの陶は自分ら氷河期世代にこうも同情的なのか。
彼は自分よりも10程上。バブル世代と言われ、世間一般では氷河期世代とは価値観が違い、確執すら生じる世代だ。
「氷河期世代を作り出したのは政府の経済政策の失敗によるところが大きい。ならばそれは政府によって救済されるべきだ。だがそれは実行される気配がない。」
「…。」
「結局面倒くさいんだ。全世代の中で氷河期世代ってのはごく一部。そのごく一部を救済するためにその他大勢を説き伏せるのは非効率。そこで出てくるのが魔法の言葉「自己責任」。その言葉の下で救済されるべき対象を切り捨てる。」
「切り捨てる…ですか。」
「あぁ。しなくても良いはずの苦労を強いて、挙げ句死ねという。」
「奴隷と言われても返す言葉がないですね。」
「しかし君らは一応この日本で生活を送ることができる。理不尽な境遇に妥協さえできれば。」
「といいますと?」
「そんな妥協さえ許されず、本当に社会的に抹殺された存在を俺は知っている。」
「え?」
「まさに政府によって苦しめられ、政府によって殺された人間。その存在を俺は知っている。」
「殺された?政府に?」
「ああ。本来ならお前ら同様救われねばならないはずの人間だ。」
「いや…それはありえないです。」
「有り得る。」
「なぜ。」
「俺がその存在の面倒を見ていたから。」
「は?」
「俺はその監視役だった。俺はこの目で見たんだ。ひとりの日本人が政府の力によって存在を消される瞬間を。」
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「百目鬼がモグラ?」
「はい。ここ数日の百目鬼理事官の私に対する接触は怪しさしか感じません。」
「思い当たらないこともない。」
「専門官。妙な芽は早めに摘むことをおすすめいたします。」
「ただあいつは元からあんな感じの男だ。」
「専門官。松永課長なき今、あの人は公安特課の事実上のトップです。」
「わかった。手を打つ。建設的な提案。すまない。」
「いえ…。」
「やはり君等氷河期世代は優秀だ。難しいミッションをしっかりこなす能力を持っている。もっと評価されるべきだ。」
「…私は今が一番です。これ以上のものは望みません。」
「今とは?」
「あの…それは…。」
「お前が一番と思うものはなにかな。」
「あ…それは…その…。」
紀伊は口ごもった。
「自分は専門官と仕事ができる今が、一番生きている実感を得られています。」
「おべっかはいらない。」
「いいえ本心です。」
陶は黙った。
「必ずや鍋島能力の開発を成し遂げます。成し遂げ、専門官のお考えになる組織立ち上げの力になります。」
「紀伊。俺は忠臣はいらんぞ。」
「私の主君は専門官です。忠臣になるわけがありません。」
「はぁ…優秀だな…。」
「我々とキングに救済を。」
「あぁ。」

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