これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。

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 今回は、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」(マルコ9:7)からのメッセージです。
高い山に、イエスがペテロとヤコブとヨハネだけを連れて行き、彼らの目の前で御姿が変わった時に、神が彼らに語った言葉である。マルコ9:1-8までを読んでいただきたい。イエスの御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。」と書かれている。3人の弟子たちは光輝く栄光のイエスを見ることになる。そして、旧約聖書の中で最も偉大なエリヤとモーセが表れ、イエスと語り合っていたとある。その姿をみたペテロが口出しして言う。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。」と。幕屋を造って少しでもこの栄光の姿を見続けていたいとの思いであったようである。
ところで、先週のメッセージを覚えておられるだろうか?イエスは、「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、決して死を味わわない者がいます。」(9:1)と語られたことを。イエスの復活こそ神の国の到来であり、聖霊の降臨を通して教会が生まれることこそが神の国の到来であることに、私は言及した。そのことを再度考えてほしい。ここには、神の国が力をもって到来しているのを見るまではとある。まず、ペテロたちは神の国が力をもって到来しているのをこの高い山の上で目撃することとなる。しかし、幕屋を造ってもこの栄光の姿を長く見続けることはできない。しかし、後に、イエスの復活を弟子たちは目撃することとなり、そして、聖霊の降臨によって教会が生み出され、弟子たちは教会のリーダーと変えられ、神の国の現実を体験することとなる。
クリスチャンを迫害していたパウロも、復活のイエスに出会い、その人生がクリスチャンを迫害するものから、教会を生みだす者に変えられていく。パウロの以下の言葉を考えてほしい。「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」(コリント第一15:3-5)とある。私はキリストのよみがえりこそが、クリスチャンの希望であると信じている。そしてキリストの復活があったからこそ、わたしたちも復活の希望を持つ者と変えられていくと信じる。私は次の聖句、「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、・・・」(コリント第一15:42,43)が大好きです。私の希望はいつか栄光ある者にかえられること、きっとあなたの希望でもあると私は願っている。
さて、同じ箇所をルカの福音書から見てみると、ルカはイエスとモーセたちとの会話を記録している。ルカ9:31には、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期についていっしょに話していた。」とある。十字架の上で全ての人々の罪の贖いを成し遂げる、これこそが神の子キリストが成し遂げようとしたことである。
どうか愛する皆さん、気づいてほしい。わたしたちはいつか栄光の姿に変えらて、キリストと共に永遠の祝福に入れられて行くことを。その為に、私たちのなすべきことは、今日のメッセージのテーマである「イエスの言われることを聞くこと」である。救いの道をキリストは、すでに、私たちに用意してくださっている。自分の人間的な努力で神が与えようとしておられる救いを獲得できる者は一人もいない。しかし、イエスの言葉を聞き、救いを受け入れ、感謝をもってみことばに聞いていくことはできると信じる。
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