人から出るもの、これが、人を汚すのです。

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今回は、「人から出るもの、これが、人を汚すのです。」(マルコ7:20)からのメッセージです。
イエスが来られたのは、私たちの内側のきよめのためであることをご一緒に学べればと願っています。まず、マルコ7:1-23を読んでいただきたい。パリサイ人や律法学者たちは、弟子たちが汚れた手でパンを食べている者があるのを見て、イエスに「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか」と尋ねた(5節)。これは、手を洗わないと言うことではなく、言い伝えにしたがった儀式的な方法で手を洗わなかったことを責めているのです。当時のパリサイ人たちは旧約聖書の教えよりも言い伝えに重点を置き、旧約聖書の教えを守らない教えがまん延してしまったようである。儀式的な方法で手を洗わないから、その人は汚れている、そんな理解は大きな間違いでしかない。そのことをイエスは彼らに指摘する。そして外側の聖さだけを求めて生きる人生なのか、心の内側から変えられて行く人生なのかを問いかけている。
本日のテーマ、「人から出るもの、これが、人を汚すのです。」との言葉に続いて、イエスは「内側から、すなわち、人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(21-23節) と語られる。あなたは何をイエスに期待しますか?イエス・キリストとこそ、私たちの心をきよめることのできる方である。キリストは、私たちのために十字架の上で苦しまれ、私たちのために死なれ、罪を赦すことのできる唯一の方である。
私は、高校生の時に初めて教会に行き、2年生の夏のキャンプでイエスを救い主として初めて信じた。そして罪の赦しが与えられることを信じ、神様のために生きることを決断した。しかし、大学生になり、約2年間教会から離れ、神を忘れ、自己中心の人生を歩んだ経験がある。自分の心の罪深さをいやというほど認識した。大学2年のキャンプで、再度、神への信仰を回復することができ、それ以来数えきれない神様からの恵みを経験している。自分の人生を振り返って、イエス・キリストを自分の救い主として信じることができたこと、罪の赦しを経験できたことを本当に感謝している。
私は食事の前やトイレの後には手を洗う習慣があるが、パリサイ人のように宗教的な儀式に従ってはなそうとは思わない。そのような行いによるきよめではなく、むしろイエスの十字架を信じて、罪の赦しと永遠のいのちが与えられていることを感謝している。あなたはどうでしょうか?ぜひ、心の汚れや、重荷を感じる時に、イエスのもとに行っていただきたい。そして、「イエス様、私の罪を赦すために十字架で死なれたことを感謝します。あなたを私のこころに受け入れます。」と祈ってみていただきたい。きっとキリストのきよめと平安をいただけるものと信じる。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」黙示3:20
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