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キリストは変わることのない祭司の務めを持っておられます

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今回は、「キリストは変わることのない祭司の務めを持っておられます。」(へブル7:24)からのメッセージです。前回のメッセージと同様に7章24節からのメッセージです。24節と25節は、とても大切なみことばであると私は思います。キリストは永遠に存在され、変わることのない祭司として私たちのために、とりなしの働きをされておられる。この神様の約束を信仰を持って受け取って行きたいと願っています。今まで、イエスは天の至聖所に私たちの先駆けとして入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられたことを学びました。メルキゼデクの位に等しい大祭司との表現を通して、レビ族の祭司ではない新しい祭司が神によって立てられ、旧約の律法からの解放が起こってきました。新しい大祭司を立てることは、神のご計画であり、旧約聖書が終わり、新約聖書が始まっていく、そのような大変革を神が起こしてくださったのです。新しい契約の仲介者はキリストです。それらのことを学んでいきたいと願っています。それでは、へブル書7章24-8章13節を読んでいただきたい。
7章26節には、「また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」とあります。イエスは、きよく、悪も汚れもなく、罪人から離れとありますが、私たちと全くかけ離れた方ではなかったことは明らかです。決して罪を犯しませんでしたが、2章17節には、「あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。」と書かれています。罪人の中に入り、彼らの苦しみや困難を知ってくださった方です。そして、最後には、私たちの罪を背負って十字架にかかられた方です。4章15節には、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」と書かれています。イエスはこのような大祭司であるがゆえに、私たちはおりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づくことができるのです。本当に感謝です。また、天よりも高くされた大祭司とありますが、これは、イエスが天に挙げられた様子を思い起こす言葉です。ルカ24章50節には、イエスが弟子たちに手を挙げて祝福された様子が書かれています。そして祝福しながら、天に挙げられた様子が伝わってきます。イエスは、同じ様な姿で戻ってこられることが約束されています(使徒1:11)。地上でも天でも、私たち一人一人の祝福を祈ってくださるイエスがおられる、本当に感謝です。そのような救い主を私たちは必要としているのです。
27節には、「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」と書かれています。ここでは、旧約の律法の元で任命された大祭司が捧げるいけにえと、キリストの大祭司としてのご自身のいけにえ、つまり贖いの業の違いが対比して述べられています。旧約の時代には、祭司は毎日のように羊などのいけにえを捧げていました。新約の時代では、救い主イエスが十字架で命をささげてくださり、その犠牲は一度きりで、十分のものです。ただ一度で民の罪のための贖いの業が完成したのです。何という違いかと私は思っています。イエスはただ一度、自分自身を十字架でささげてくださった。それで、わたしたちの罪のためにいけには、全部果たされた。なんとすばらしいことではないでしょうか。ただ一度を英語では、Once for all と表現しています。一度で全部との意味です。一度で全部を完成してくださった、それが十字架での贖いの業であったことを覚えて行きたいと願っています。
28節には、「律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。」とあります。誓いのみことばとは、詩篇110篇4節のことであり、21節に紹介されています。「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。あなたはとこしえに祭司である。」と。主は、救い主イエスを与えることを、そしてイエスこそ、とこしえに祭司であることを誓われたのです。イエスこそ、永遠の祭司である、それは、神が誓われたことです。永遠に全うされた御子とありますが、イエスがご自身をただ一度だけ捧げることによって、私たちの救いを永遠に全うしておられるのです。この御子を仲介者と立てているのが新しい契約で、私たちは、毎月そのことを覚えて聖餐式を持っているのです。
8章8-13節では、エレミヤ31章31節からの聖句が紹介されています。ここでは、神様ご自身が旧約の時代を終わらせて、新しい契約の時代、つまり新約の時代がもたらされることが預言されています。この約束は、イエスが仲介者として立てられたことで実現にいたります。新約の時代からみれば、旧約は、天にあるものの写しや影でしかありません(8:5)。今は新約の時代です。新約聖書を通してキリストの語られたみことばや、キリストの力ある業を生き生きと学ぶことができます。新約聖書の中にある多くの手紙を通して神のみこころを学ぶこともできます。何よりも聖霊が働かれ、キリストとの生きた交わりを体験することができます。そして祭司としてのイエスに励まされた人生を生きることができる、そのような時代がすでに始まっているのです。キリストは変わることのない祭司の務めを持っておられる。そのことを信じて、私たちの生活でその真理を体験して行きたいと願っています。
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7章26節には、「また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」とあります。イエスは、きよく、悪も汚れもなく、罪人から離れとありますが、私たちと全くかけ離れた方ではなかったことは明らかです。決して罪を犯しませんでしたが、2章17節には、「あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。」と書かれています。罪人の中に入り、彼らの苦しみや困難を知ってくださった方です。そして、最後には、私たちの罪を背負って十字架にかかられた方です。4章15節には、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」と書かれています。イエスはこのような大祭司であるがゆえに、私たちはおりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づくことができるのです。本当に感謝です。また、天よりも高くされた大祭司とありますが、これは、イエスが天に挙げられた様子を思い起こす言葉です。ルカ24章50節には、イエスが弟子たちに手を挙げて祝福された様子が書かれています。そして祝福しながら、天に挙げられた様子が伝わってきます。イエスは、同じ様な姿で戻ってこられることが約束されています(使徒1:11)。地上でも天でも、私たち一人一人の祝福を祈ってくださるイエスがおられる、本当に感謝です。そのような救い主を私たちは必要としているのです。
27節には、「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」と書かれています。ここでは、旧約の律法の元で任命された大祭司が捧げるいけにえと、キリストの大祭司としてのご自身のいけにえ、つまり贖いの業の違いが対比して述べられています。旧約の時代には、祭司は毎日のように羊などのいけにえを捧げていました。新約の時代では、救い主イエスが十字架で命をささげてくださり、その犠牲は一度きりで、十分のものです。ただ一度で民の罪のための贖いの業が完成したのです。何という違いかと私は思っています。イエスはただ一度、自分自身を十字架でささげてくださった。それで、わたしたちの罪のためにいけには、全部果たされた。なんとすばらしいことではないでしょうか。ただ一度を英語では、Once for all と表現しています。一度で全部との意味です。一度で全部を完成してくださった、それが十字架での贖いの業であったことを覚えて行きたいと願っています。
28節には、「律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。」とあります。誓いのみことばとは、詩篇110篇4節のことであり、21節に紹介されています。「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。あなたはとこしえに祭司である。」と。主は、救い主イエスを与えることを、そしてイエスこそ、とこしえに祭司であることを誓われたのです。イエスこそ、永遠の祭司である、それは、神が誓われたことです。永遠に全うされた御子とありますが、イエスがご自身をただ一度だけ捧げることによって、私たちの救いを永遠に全うしておられるのです。この御子を仲介者と立てているのが新しい契約で、私たちは、毎月そのことを覚えて聖餐式を持っているのです。
8章8-13節では、エレミヤ31章31節からの聖句が紹介されています。ここでは、神様ご自身が旧約の時代を終わらせて、新しい契約の時代、つまり新約の時代がもたらされることが預言されています。この約束は、イエスが仲介者として立てられたことで実現にいたります。新約の時代からみれば、旧約は、天にあるものの写しや影でしかありません(8:5)。今は新約の時代です。新約聖書を通してキリストの語られたみことばや、キリストの力ある業を生き生きと学ぶことができます。新約聖書の中にある多くの手紙を通して神のみこころを学ぶこともできます。何よりも聖霊が働かれ、キリストとの生きた交わりを体験することができます。そして祭司としてのイエスに励まされた人生を生きることができる、そのような時代がすでに始まっているのです。キリストは変わることのない祭司の務めを持っておられる。そのことを信じて、私たちの生活でその真理を体験して行きたいと願っています。
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