わたしの義人は信仰によって生きる

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今回は、「わたしの義人は信仰によって生きる。」(へブル10:38)からのメッセージです。前回指摘しましたが、この聖句はハバクク書2章4節からの引用です。キリストを信じて義とされた者は、信仰を持って生きる歩みをスタートします。試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、天国への信仰をもって、ゴールを見失わない生き方を目指して行きたいと思っています。信仰、この言葉を今日は、私たちの生活を踏まえて考えて行きたいと願っています。それでは、へブル10章37-11章7節を読んでみてください。
前回は、「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」とのテーマでメッセージを語りました。大きな報いがあることを信じて、忍耐と信仰を持って生きる。そのように、大きな試練の中にある初代教会の信仰者に向かって、ヘブルの作者は励まし続けています。12章1節の後半には、「私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」と書かれています。へブル11章は、信仰にテーマを置いていますが、目標を目指して、忍耐を持って生きるようにとの勧めの文脈の中で書かれています。10章19節から始まるいくつかの勧めのなかで、その模範となる方々を旧約聖書から選んで、私たちを励まそうとしています。今まで語られた、いくつかの勧めや励ましの言葉を振り返ってみましょう。10章22節には、「真心から神に近づこうではありませんか。」と語られています。続いて、23節には、「しっかりと希望を告白しようではありませんか。」と、24節には、「互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。」と、また、35節には、「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。」と。このように、いくつもの勧めが書かれていることにお気づきになると思います。そして、12章に入っても新な勧めが続くことになります。これらの勧めを考えて、旧約聖書から、そのように生きた信仰者を選んで、私たちも彼らの歩みから学ぶように、私たちにチャレンジしていると理解できると思います。
11章1節には、信仰の定義が書かれています。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と。ここで示される信仰は、パウロが語る信仰による義認や、神から与えられる信仰の賜物とは、視点が違っています。聖書が語る信仰も多様性があります。ヘブルの作者は、現実的で具体的な信仰に視点をおいています。まず、信仰は望んでいる事がらを保証し、と書かれています。保証するとのギリシャ語は、名詞であり、へブル1章3節にも使われています。そこでは、神の本質と訳されています。本質、保証が同じ言葉です。望んでいる事がらを保証する信仰も神は私たちに与えておられるのです。具体例を上げてみます。私は信仰を持って、家内と結婚し、信仰をもってこの地、南流山で教会を開始しました。その時、南流山には教会が一つもなかったことも理由の一つです。教会は今年で、35周年です。小さな家を借り、宣教団体で仕事をしながら、英語を教え、また、家内もピアノを教えて小さな集会をスタートしました。私たちの願いは、礼拝に人が来てほしい、人が救われてほしいとの願いです。そのような望みを持ち続けて、小さな教会をスタートしました。懐かしく思い返します。さて、信仰とは望んでいる事がらを保証するとありましたが、実態、本質が伴って、現実となることにお気づきでしょうか。今振り返ると、神様は、いろいろな状況で、信仰を通してその実態やその本質を見せてくださったと気づかされます。信仰を持つことで、今は起こってなくても、信仰者の群れが起こされている姿、その実態、本質を見ることできるのです。
また、信仰は目に見えないものを確信させるとあります。目に見えないものとは、将来現われることであり、それらを待ち望んでいく姿勢です。救いの完成や、天国の祝福もそうでしょう。今は見えなくても信仰を持つことにより、将来のことを確信する、また確認することができる、それが信仰です。具体的な例を挙げて見ます。皆さんも受験をされたことがあるでしょう。クリスチャンは、受かりたい学校の名前を上げても祈りますが、神が最善の学校を与えてくださると信じて、祈ります。信仰を持つことで、目に見えないものが確認され、確信する時が来るのです。
11章3節には、「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、」とあります。私は、大学で生物学を学びましたが、進化論に疑問を持っています。偶然によってこんな素晴らしい地球や自然、動植物ができたとはどうしても信じることができません。神の言葉で造られたとは、神が発した言葉、(レーマ)によって世界は造られたということです。神が「光よ。あれ。」と仰せられた。神の発した言葉があって世界が造られた、そのことを信じる信仰を私は持っています。神を信じる信仰によって私の世界感は本当に変わりました。
4節には、「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。・・」と書かれています。
創世記4章4節には、「アベルは、彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、もって来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。」とあります。神への心からの感謝を表したアベルの礼拝の姿が書かれています。残念ながら、アベルはその兄カインから殺されるという悲しい出来事が続いていますが、心からの感謝を表したアベルのことを神は覚えておられるのです。信仰によって、とあるように、私たちの教会での奉仕も、神にささげる奉仕であり、神に喜ばれる心でなして行きたいと願っています。キリストを信じて義とされた者は、信仰を持って生きるのです。例え今は困難な中に置かれていても、神の助けがすぐそばにあることを信じて生きて行きたいと願っています。
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