何でもほしい物を言いなさい。

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今回は、「何でもほしい物を言いなさい。」(マルコ6:22)からのメッセージです。
ヘロデ王が自分の娘が客の前で踊りを踊り、ヘロデも列席の人々も喜んだ時に、ヘロデ王が発した言葉である。マルコ6:14-29を読んでいただきたい。バプテスマのヨハネがヘロデ王に殺されてしまう悲しい出来事が書かれている。聖書は人間の良い面も悪い面も包み隠さず記録している。イスラエルの歴史そのものも、良いこと悪いことで満ちている。このような人間の罪深い姿に触れる時に、私たちクリスチャンは、同じ間違いをしないようにと祈らされ、知恵深い人生を生きれるようにと聖霊によって励まされる。
ここで登場するヘロデ王は、ヘロデ・アンテパス王で自分の兄弟の妻を自分のものとしていたようである。そのことを批判したヨハネをこの機会にと殺すことを考えるなど本当に残念で悲しい出来事である。アンテパス王は、自分の過ちを認めずに、権力をふるって正しい意見を封じ込め、娘の教育の機会さえも奪ったこととなる。父親として、そんなことを願ってはいけないよと娘の身勝手な願いを正すこともできたはずであろうにと本当に残念な思いを抱かざるを得ない。自己中心、身勝手、高慢、殺人、そんな姿に触れる時に人間の生きる目的をしっかり持って生きることの大切さに気づかされる。
それでは、クリスチャンが目指す生き方とはどんなものであろうか?聖書は、人間は神のかたちに創造されたとある。神のご性質を人は持つものである。人は、神の愛、神の聖さ、神の義、神の創造性を理解し、神様との交わりの中に生きる者として創造されている。しかしながら、神から離れて生きる道を人は選んでしまった。そのように神から離れ、罪の奴隷となり、戦争や環境破壊、暴力や家庭崩壊の現実の世界の中に多くの人が生きている。キリストはそのような苦しみの中に生きる人間を救うために生まれ、十字架を通して罪の赦しと罪からの解放を与えてくださった。これが福音である。
私たちは神から愛されている。キリストは私たちの罪をゆるすために十字架で死なれた。キリストを信じるものは罪の許しと永遠の命が与えられる。これがクリスチャンの信仰である。そして、罪ゆるされた者が神への感謝をささげる、これが礼拝の原点である。礼拝者として生きる者が、神のご栄光に触れ、自分の賜物に気付き、与えられた賜物に忠実に生き、賜物の良き管理者としての生きる、そのような新たな働きをこの世でなしていくことができる。地の塩、世の光としての人生を聖霊の助けによってなすことができる。クリスチャンにはこのような新しい生き方、希望ある人生が可能となる。
大きな過ちを犯してしまった旧約聖書の偉人の一人にダビデ王がいる。純粋な信仰をもって生きたダビデ王、しかし王権を確立するとある人妻を自分のものとし、その夫を殺し、身勝手な王の一人に落ちてしまう。ダビデ王の偉大さは、ヘロデ王と違い、悔い改めて生きることができたこと、教えられる心を持ち続けたこと、神の愛に立ち返れたこと、神への信仰の故に礼拝者として生きることが出来たことなど、その人生から多くのことを学ぶことができる。
悔い改めのない人生、アンテパス王の次のヘロデ王は、ヤコブを剣で殺し、それがユダヤ人の気に入ったのも見て、ペテロまで殺そうとする。人の関心や人気を得るために生きたこのヘロデ王は、主の使いに打たれ、虫にかまれて息が絶えたとある。(使徒12章)これが神の視点から見たヘロデ王の姿である。
人生は短いもの、何を選んで生きるかを神様はあなたにも問いかけているように思う。そしてダビデ王の信仰に習う者でありたいと心から願っている。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。・・・まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」詩篇23
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