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【海軍省 練習兵用 歴史教科書】15. 武士道の発達

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(3)武士道の発達

武士道の淵源

武士の勃興によりその生活のうちに、自(おのづか)ら特色ある道徳の発達を見た。これを武士道という。

しかしこの武士道もその淵源(えんげん)は遠く肇国(ちょうこく)の古(いにしえ)に遡(さかのぼ)るものである。

即ち 我が国、上代の天皇を中心とし奉る氏族制度の時代に於ては、君国のためには一身を顧(かえり)みないという、大義が何よりも重んぜられて、国民は忠誠勇武の精神に富み、また一族の名誉を重んじ一身を捨てて顧みない犠牲的精神が、大義を重んずる忠君愛国の至誠に基づいて、極めて強固な国民精神をなしていた。

海(うみ)行(ゆ)かば水漬(みづ)く屍(かばね)、山(やま)行(ゆ)かば草生(む)す屍(かばね)を、家門の名誉とする強い覚悟も、大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ雄々しい決意も、みな古来の伝統に基づくものに外ならなかった。

東国武士の士風

この上代の国民精神は、文弱な藤原氏が政権を専らにしてから一時衰えたが、遠隔の地方には、額(ひたい)には矢を立つとも背には立てじとする東人(あづまびと)の士風に見られるような、剛健勇武の精神が長く維持せらていた。

蓋(けだ)し 東国は古来蝦夷に対する要害の地として、住民の間には常に尚武(しょうぶ)の気風が重んぜられ、遠く都を離れていたため 支那文化の影響を受けることが少なく、我が国固有の氏族制度的精神がよく保たれていたからである。

武士道の奨励

源頼朝は鎌倉に幕府を開くに當り、この質実剛健な東国武士の士風を幕府政治の基礎に置くとともに、ますます士風の振作(しんさく)に努めたので、ここに上代の国民精神は武士道として復活した。

しかも この武士道の発達により、争乱と悪政に悩んだ社会に新たな秩序が齎(もたら)されたのである。

武士道の精神

(一)武士道に於ては 先ず主従(しゅじゅう)の間の道徳として 恩義の念が重んぜられた。即ち恩を蒙(こうむ)った主君のために、職場に於て死を鴻毛(こうもう)の軽きに比することは 武士最高の道徳であった。

(二)武士の間に於ては 親子・一族の結合と道徳も、また厳格に保たれていた。

特に子が親に孝養を盡すことは、特に重要な義務として重んぜられた。

(三)このことは同時に 家門の名誉を重んずる精神であり、家系と家名を尊重することが、武士の間には特に発達した。

武士が敵と戦うに當っては、先づ名乗りを挙げ祖先を明らかにし、その名誉にかけて奮戦した。

(四)このように 武士の主従・親子の関係は 利害を超えていたから 犠牲的精神は特に発達し、一身を捨てて主君に忠誠を盡すことも、実にここに発していた。

(五)また武士は相互の間にあっては信頼を旨とし、団結が強かった。また大いは節義を重んじ礼儀を尚び、日常生活に於ては質素・清廉を重んじ、以て堅忍持久の精神を養った。

(六)武士は戦陣に臨んでは非常な勇気を必要としたから、神を敬い佛(ほとけ)を信じ、特に禅宗(ぜんしゅう)に帰依(きえ)して不動の信念と意志の鍛錬(たんれん)に意を用いた。

その他武士は 風雅の道に嗜(たしなみ)あることも重んぜられた。

武士道の発達とその精華

かくて東国武士の士風は 頼朝の振作によって長く鎌倉武士の間に遵奉(じゅんぽう)せられ、武士道の重要な要素となって発達した。

それは 武士本位の道徳として、その主従観念が単に武士主従間の恩義の念に止まる時は、君臣の自覚に缼(か)けることもあったが、国民の国家観念が昂揚せられる時は、直ちに君国のため一命を捧げるという大義に進むものであった。

かの元寇(げんこう)の時、国民上下一致して外敵に當り、よく我が國體(こくたい)の尊厳を擁護(ようご)し奉ったのは、実に武士道精神の発揚に外ならなかった。

また建武中興から吉野時代にかけて大業を翼賛し奉り、大義に殉(じゅん)じた勤皇諸将の忠勇義烈の精神も、我が武士道の極致であった。

かくて武士道は永く後世の国民精神に深い影響を与え、今日もなお国民精神の精髄たる我が軍人精神の中に脈々として伝えられているのである。

防人及び東人の忠勇

是の東人は常に曰く、額(ひたい)には箭(や)は立つとも、背は箭は立たじといひて、君を一つ心を以て護るものぞ。

(「続日本紀」稱徳天皇(しょうとくてんのう)宣命)

今日よりは顧みなくて大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は

(火長今奉部與會布)

天地(あめつち)の神を祈りて幸矢(さつや)貫き 筑紫(ちくし)の島をさして行く吾は

(火長大田部荒耳)

武士道の精神

軍(いくさ)の習(ならひ)、命を君に奉って、職場に罷(まか)り出(い)づる事なれば、再び帰参すべしと 存ずべきに非ず

「源平盛衰記」

軍と云うは、家を出でし日より、敵に組みて死なんとこそ存ずる事なれ。

身を全うせん、命を死なじと思はんには、本より軍場には出でぬには如かず。

敵に組んで死するは武者の本也。命を惜しみて逃ぐるは人ならず。

「源平盛衰記」

弓矢取る身は言一つも輙(たやす)からず。生きても死しても、名こそ惜しけれ。

「源平盛衰記」

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(3)武士道の発達

武士道の淵源

武士の勃興によりその生活のうちに、自(おのづか)ら特色ある道徳の発達を見た。これを武士道という。

しかしこの武士道もその淵源(えんげん)は遠く肇国(ちょうこく)の古(いにしえ)に遡(さかのぼ)るものである。

即ち 我が国、上代の天皇を中心とし奉る氏族制度の時代に於ては、君国のためには一身を顧(かえり)みないという、大義が何よりも重んぜられて、国民は忠誠勇武の精神に富み、また一族の名誉を重んじ一身を捨てて顧みない犠牲的精神が、大義を重んずる忠君愛国の至誠に基づいて、極めて強固な国民精神をなしていた。

海(うみ)行(ゆ)かば水漬(みづ)く屍(かばね)、山(やま)行(ゆ)かば草生(む)す屍(かばね)を、家門の名誉とする強い覚悟も、大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ雄々しい決意も、みな古来の伝統に基づくものに外ならなかった。

東国武士の士風

この上代の国民精神は、文弱な藤原氏が政権を専らにしてから一時衰えたが、遠隔の地方には、額(ひたい)には矢を立つとも背には立てじとする東人(あづまびと)の士風に見られるような、剛健勇武の精神が長く維持せらていた。

蓋(けだ)し 東国は古来蝦夷に対する要害の地として、住民の間には常に尚武(しょうぶ)の気風が重んぜられ、遠く都を離れていたため 支那文化の影響を受けることが少なく、我が国固有の氏族制度的精神がよく保たれていたからである。

武士道の奨励

源頼朝は鎌倉に幕府を開くに當り、この質実剛健な東国武士の士風を幕府政治の基礎に置くとともに、ますます士風の振作(しんさく)に努めたので、ここに上代の国民精神は武士道として復活した。

しかも この武士道の発達により、争乱と悪政に悩んだ社会に新たな秩序が齎(もたら)されたのである。

武士道の精神

(一)武士道に於ては 先ず主従(しゅじゅう)の間の道徳として 恩義の念が重んぜられた。即ち恩を蒙(こうむ)った主君のために、職場に於て死を鴻毛(こうもう)の軽きに比することは 武士最高の道徳であった。

(二)武士の間に於ては 親子・一族の結合と道徳も、また厳格に保たれていた。

特に子が親に孝養を盡すことは、特に重要な義務として重んぜられた。

(三)このことは同時に 家門の名誉を重んずる精神であり、家系と家名を尊重することが、武士の間には特に発達した。

武士が敵と戦うに當っては、先づ名乗りを挙げ祖先を明らかにし、その名誉にかけて奮戦した。

(四)このように 武士の主従・親子の関係は 利害を超えていたから 犠牲的精神は特に発達し、一身を捨てて主君に忠誠を盡すことも、実にここに発していた。

(五)また武士は相互の間にあっては信頼を旨とし、団結が強かった。また大いは節義を重んじ礼儀を尚び、日常生活に於ては質素・清廉を重んじ、以て堅忍持久の精神を養った。

(六)武士は戦陣に臨んでは非常な勇気を必要としたから、神を敬い佛(ほとけ)を信じ、特に禅宗(ぜんしゅう)に帰依(きえ)して不動の信念と意志の鍛錬(たんれん)に意を用いた。

その他武士は 風雅の道に嗜(たしなみ)あることも重んぜられた。

武士道の発達とその精華

かくて東国武士の士風は 頼朝の振作によって長く鎌倉武士の間に遵奉(じゅんぽう)せられ、武士道の重要な要素となって発達した。

それは 武士本位の道徳として、その主従観念が単に武士主従間の恩義の念に止まる時は、君臣の自覚に缼(か)けることもあったが、国民の国家観念が昂揚せられる時は、直ちに君国のため一命を捧げるという大義に進むものであった。

かの元寇(げんこう)の時、国民上下一致して外敵に當り、よく我が國體(こくたい)の尊厳を擁護(ようご)し奉ったのは、実に武士道精神の発揚に外ならなかった。

また建武中興から吉野時代にかけて大業を翼賛し奉り、大義に殉(じゅん)じた勤皇諸将の忠勇義烈の精神も、我が武士道の極致であった。

かくて武士道は永く後世の国民精神に深い影響を与え、今日もなお国民精神の精髄たる我が軍人精神の中に脈々として伝えられているのである。

防人及び東人の忠勇

是の東人は常に曰く、額(ひたい)には箭(や)は立つとも、背は箭は立たじといひて、君を一つ心を以て護るものぞ。

(「続日本紀」稱徳天皇(しょうとくてんのう)宣命)

今日よりは顧みなくて大君の 醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は

(火長今奉部與會布)

天地(あめつち)の神を祈りて幸矢(さつや)貫き 筑紫(ちくし)の島をさして行く吾は

(火長大田部荒耳)

武士道の精神

軍(いくさ)の習(ならひ)、命を君に奉って、職場に罷(まか)り出(い)づる事なれば、再び帰参すべしと 存ずべきに非ず

「源平盛衰記」

軍と云うは、家を出でし日より、敵に組みて死なんとこそ存ずる事なれ。

身を全うせん、命を死なじと思はんには、本より軍場には出でぬには如かず。

敵に組んで死するは武者の本也。命を惜しみて逃ぐるは人ならず。

「源平盛衰記」

弓矢取る身は言一つも輙(たやす)からず。生きても死しても、名こそ惜しけれ。

「源平盛衰記」

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