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バイリンガルの礼拝メッセージです。You can hear message.(English-Japnese)教会に行ったことがない人も、気軽に聞いてみませんか?ipodをお持ちの方はこのボタンからも聞けます。If you have ipod, please click this button. (iTunesが立ち上がります。iTunes starts.)IBFサイトはこちら
 
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今回は、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(へブル13:8)からの2回目のメッセージです。いつまでも変わらないイエスがおられる、なんと励ましに満ちた約束の言葉ではないでしょうか。今日はこの箇所と、20、21節の祝禱(頌栄)のことばに焦点を置いて学んで行きたいと思っています。大祭司であるイエス、またイエスのなした贖いの業にも言及します。イエスは時代を超えて神の業を成してくださっている、その事実に気づき、ご一緒に感謝をする者でありたいと願っています。それでは、へブル13章8節と18~21節を読んでみてください。 ヘブルの作者は、大祭司であるイエスの姿を私たちに教えてくれています。特に9章と10章の中で、ただ一度との言葉を何度か用いて、キリストの贖いの完全性、永遠性を…
 
Today is the second Sunday of the Easter season. Easter season; a time when we recall and celebrate the resurrection of Jesus Christ. But it isn’t just so we can be filled with thanks and express that thanks to God. It’s a time when the church makes its boldest proclamation of all: Jesus is risen; he is risen indeed! This is our message to the worl…
 
 ハピー・イースター、そのようにご挨拶いたします。今日はイースター礼拝です。イエスが墓からよみがえられたことをお祝いする日です。イースターの喜びを共にしてまいりましょう。簡単にイエスの十字架での出来事と復活の出来事を振り返ってみます。マタイ27章33、34節には、「ゴルゴタという所に来てから、彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」と書かれています。苦みを混ぜたぶどう酒は苦しみを和らげるためのものです。それを、飲もうとはされなかったとは、イエスは、私たちの罪を赦すために真剣に十字架での苦しみを背負おうとされたことがわかります。さらに、ヨハネ19章26、27節には、「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『…
 
今回は、「よく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように」(へブル12:15)からのメッセージです。よく監督すること、そして神の恵みとは何か、に視点をおいて考えて行きたいと思います。前回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」とのテーマでメッセージを語りました。そのテーマの元、苦しみや試練の意味を考えてみました。神は私たちの益のために、苦しみや試練が起きることを許しておられます。ある意味、信仰者の人生も決して容易なものではありません。しかし、神の視点、新約の視点に立って自分たちの人生を見ると大きな慰めや希望が与えられます。旧約時代が終わり、イエスによって新しい時代が始まったのです。へブル書の全体のテーマを再考しながら、神の恵みに目を注ぐクリスチャンであ…
 
今回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)からの2回目のメッセージです。イエスこそ信仰の創始者であり、完成者です。イエスは、信仰の完成者となるために、十字架での苦しみを味わいました。その苦しみは、はずかしめを伴うものであり、4節にあるように、罪と戦って、血を流すまで抵抗した神の業でもあります。私たちのために苦しみを味わられたイエスに目を注いで歩んで行きたいと願っています。きょうは、苦しみや試練に焦点を当てて、神が苦しみを私たちに人生に起こることを許される意味を考えて行きたいと思います。それでは、へブル12章1-13節を読んでみてください。 1節の後半には、「わたしたちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」とチ…
 
今回は、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)からのメッセージです。イエスこそ信仰の創始者であり、完成者です。旧約聖書に登場する預言者たちも、メシアの希望を持つことによって、救われていったのです。ですから、イエスこそ信仰の創始者との言葉は、私たちにも旧約時代の信仰者にも関連する表現です。このメシヤの希望が、人となられたイエスによって、実現することになります。今日は、旧約聖書の中でも最も用いられた預言者の一人イザヤを取り上げて、彼が信仰を持って見た救い主の働きを考えてみたいと思います。彼も、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指した者です。ヘブルの作者はイザヤの名前を挙げていませんが、彼への言及がありますので、…
 
今回は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(へブル11:6)からの3回目のメッセージです。今まで、この11章6節のみことばに視点をおきながら、何人かの旧約聖書の偉人の信仰を取り上げて学んできました。彼らは、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指した者たちです。前回はアブラハムの信仰を取り上げました。彼は、自分の愛する子をささげる試練に打ち勝った者です。実際には、愛する子イサクを殺すことはありませんでしたが、「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」との信仰を持った方です(19節)。神を求める者には報いてくださる方、神様はそのような方です。そのことを、アブラハムは、アドナイ・イルエとの信仰を通して告白しています。その意味は、主は備えて…
 
今回は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(へブル11:6)からの2回目のメッセージです。既に、11章全体は信仰にテーマを置いていますが、目標を目指して、忍耐を持って生きるようにとの勧めの文脈の中で書かれていることを指摘しました。10章19節から始まるいくつかの勧めのなかで、その模範となる方々を旧約聖書から選んで、私たちを励まそうとしているのです。私たちもこれらの信仰の偉人にならって、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指して行きたいと思っています。今回は、旧約聖書の中でも信仰の父と呼ばれるアブラハムを取り上げてみます。それでは、へブル11章6-19節を読んでみてください。 11章6節には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に…
 
今回は、「わたしの義人は信仰によって生きる。」(へブル10:38)からのメッセージです。前回指摘しましたが、この聖句はハバクク書2章4節からの引用です。キリストを信じて義とされた者は、信仰を持って生きる歩みをスタートします。試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、天国への信仰をもって、ゴールを見失わない生き方を目指して行きたいと思っています。信仰、この言葉を今日は、私たちの生活を踏まえて考えて行きたいと願っています。それでは、へブル10章37-11章7節を読んでみてください。 前回は、「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」とのテーマでメッセージを語りました。大きな報いがあることを信じて、忍耐と信仰を持って生きる。そのように、大きな試練の中にある初代教会の信仰者に向かって、ヘブ…
 
今回は、「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(へブル10:36)からのメッセージです。忍耐と信仰、これらの言葉が今日のメッセージの中心的な言葉となります。以前に指摘したように、初代教会は大きな迫害を経験することになります。そのような環境下で、キリストへの信仰を捨てて、ユダヤ教に戻ろうとする方々も多く起こってきたようです。そのような、彼らに、厳しい警告の言葉が語られてまいります。厳しい警告の言葉とともに、確信、大きな報い、そして忍耐との言葉を用いて、困難な環境の中で生きていく信仰者を励ましている、それが今日の箇所です。それでは、へブル10章26-39節を読んでみてください。 まず、26節から31節まで、ユダヤ教に戻ろうと考えている信仰者に向けて、厳しい警告の言葉が語られています…
 
今回は、「真心から神に近づこうではありませんか」(へブル10:22)からのメッセージです。前回は「私たちは聖なるものとされているのです。」(へブル10:10)とのテーマでメッセージを語りました。あなたも、私もキリストの十字架を通して、罪の赦しを得ているのです。神は信仰を持つ私たちを聖い者と認めてくださり、私たちは大胆に神の前に出て行くことができるのです。そのような内容を語ってまいりました。前回までで、実は、5章からスタートした大祭司キリスト論の学びを終えたのです。今回の箇所は、いままでの教えに基づいた、具体的で大切な勧めの箇所であると言えます。それでは、へブル10章19-25節を読んでみてください。 19節は、こういうわけですからと書き始めています。大祭司であるイエスがおられるのだからと、今…
 
There are some passages in the bible that are hard to explain theologically. Like Jesus getting baptized in the River Jordan by John. It just doesn’t make sense theologically. After all, John’s baptism was a baptism of repentance and forgiveness. But our theology maintains that Jesus was without sin. So why would Jesus receive this baptism? Theolog…
 
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