show episodes
 
バイリンガルの礼拝メッセージです。You can hear message.(English-Japnese)教会に行ったことがない人も、気軽に聞いてみませんか?ipodをお持ちの方はこのボタンからも聞けます。If you have ipod, please click this button. (iTunesが立ち上がります。iTunes starts.)IBFサイトはこちら
 
Loading …
show series
 
今回は、「あわれみ深い、忠実な大祭司となるために」(へブル2:17)からのメッセージです。イエスこそ忠実な大祭司であり、私たちのために祈りをささげてくださっている方です。また、私たち信仰者を兄弟とよんでくださり、被造物管理の働きに招いてくださっている方であることを語って行きたいと願っています。それでは、へブル書2章を読んでいただきたい。イエスを信じる信仰がどんなにすばらしいものであるかを、旧約聖書の関係の中でまず、語られています。 2章1節には、「私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」と書かれています。皆さんも私も神の福音を聞いてきたのです。イエスこそ、まことの神であり、罪のきよめを成し遂げられた方であることを聞いて信じる決断をした者で…
 
今回は、「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」(へブル1:2)からのメッセージです。今回からしばらくの間、へブル人への手紙からメッセージを語って行きたいと思っています。今まで、マルコの福音書からメッセージを語って参りましたが、イエスが旧約聖書に預言された救い主(キリスト)であることは理解していただいたと思います。へブル書は旧約聖書の引用が多いので、旧約聖書との関係の中で、イエスの働きを、へブル書からさらに学んでいきたいと思っています。聖書を学ぶ時の原則である、個々の聖句をその文脈との関係の中で学んでみたいと思っています。それでは、へブル書1章1-14節を読んでいただきたい。まず、イエスこそ、まことの神であり、罪のきよめを成し遂げられた方、万物の相続者であり、私たち信仰者…
 
今回は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)からのメッセージです。イエスが弟子たちに命じた世界宣教の言葉を取り上げます。まず、この言葉が書かれるに至った背景とその文脈について考えてみます。マルコの福音書は、16章の8節で、本来の本文は終わっています。9節から20節までは、2世紀になって追加されたことが、写本上の証拠から明らかにされています。マルコは、16章8節でこの福音書を終えたのか、2世紀に追加されたような内容が最初からあったのに、それが失われてしまったのかは、今の時点ではわかりません。しかしながら、この追加された部分は、2世紀になるまでに広く初代のクリスチャン達によって認められてきた内容であったことは、他の福音書からの言及によってわかります…
 
今回は、「あの方はよみがえられました。」(マルコ16:6)からのメッセージです。イエスの体に油を塗りに行った女性たちに、天使が語りかけた言葉です。イエスの十字架を目撃したこの女性たちが抱いたであろう失望や恐れはどれほど大きかったことかと思う。しかし、今回この天使の言葉は彼女たちの心に変革を起こすに十分であったであろうと思う。その言葉を今回は取り上げます。マルコ15章42-16章8節を読んでいただきたい。 十字架で亡くなられたイエスの体の下げ渡しを有力な議員の一人であったアリマタヤのヨセフが願い出てくれた。43節には、みずからも神の国を待ち望んでいた人であったと紹介されている。46節で、「そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を彫って造った墓に納めた。墓の入口に…
 
今回は、「この方は、まことに神の子であった。」(マルコ15:39)からのメッセージです。これは、イエスの十字架を初めから終わりまで目撃したローマの軍人、百人隊長の言葉です。この隊長は、ローマから派遣された総督ピラトに仕え、このピラトがどんな人間であったかも良く理解していたと思われます。日和見(ひよりみ)主義という言葉があるが、この総督ピラトは実にそのような性質を持つ者であったようです。ピラトは紀元26年~36年まで、その職にとどまり、度重なる失政で職を追われることとなります。マルコ15章1-15節にはピラトのもとでのイエスの裁判の様子が記録されている。特に14,15節には、自分はイエスが正しい人であることを分かっているのに、群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放して、イエスを十字架に付ける…
 
今回は、「これはわたしの契約の血です。」(マルコ14:24)からのメッセージです。 弟子たちとの最後の晩餐でのイエスの言葉です。最後の晩餐の背景に過ぎ越しの祭りがあることを今日のメッセージで語っていきたいと願っています。加えて、ベタニアのマリアの感謝とイスカリオテ・ユダの裏切りについても言及していきたいと思っています。マルコ14章1-25節を読んでいただきたい。 3節からは、イエスに香油を注ぐ女性が登場する。「ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。」と書かれている。頭に香油を注ぐ行為は、祭司や王の就任の時にする行為である。この女性の行為は、イエスこそ王であるとの思いがあったと理解することもできるし、持て成しや感謝の現れ…
 
今回は、「目をさましていなさい。」(マルコ13:37)からのメッセージです。終末について語られるイエスが、弟子たちに向かって、話の最後に語りかけることばである。恐れや、心配の中にもう生きる必要はない。イエスが語られる言葉を整理して、終末にどんなことが起こっても、イエスをしっかりと見上げながら、希望をもって生きて行こうではないか。そのような思いを今日皆さんに分かち合いたいと願っています。少し長い箇所ですが、マルコ13章を読んでいただきたい。まず、13章全体の内容を簡単に皆さんに分かち合って行きたいと思う。 当時の宮の美しさ、建物のすばらしさに弟子たちは声を上げる。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」と。するとイエスは彼らに言われる。「この大きな建物を見てい…
 
今回は、「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる」(マルコ12:37)からのメッセージです。十字架を前にして、行いによる救いから、信仰による救いへと、新しい時代が訪れようとしている。その時点で語られたイエスの思いを受け取っていきたいと願っています。今日も、3つのポイントを取り上げます。まず、マルコ12章35-44節を読んでいただきたい。 最初に、イエスは群衆に向かって言われる。「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子と言うのですか。ダビデ自身、聖霊によって、こう言っています。『主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵を、あなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どういうわけでキリストがダビデの子なのでしょう。」(35―37…
 
Intro Good morning, brothers-and-sisters in Christ. It's good to see your faces this morning. Even though I only see part of your face! Though we have started meeting physically again, things are not the same as before. Both leaders and members alike have to figure out how to be a church in the midst of COVID-19. Once you start discussing this topi…
 
今回は、「あなたは神の国から遠くない。」(マルコ12:34)からのメッセージです。この言葉は、イエスと律法学者との会話の一節であるが、当時の律法学者の中にも、イエスの教えを正しく理解しようとした方がおられたことは実に嬉しいことである。まず、イエスの受難週の出来事(議論)を3つ取り上げる。その中の一つに、本日のテーマが含まれるが、律法の中で、たいせつな戒めはどれですかとの問いかけにイエスがどう答えたか、ご一緒に考えてみたいと思っている。まず、マルコ12章13-34節を読んでいただきたい。 最初に、パリサイ人とヘロデ党の者数人との議論がある。彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、会話を始める。彼らの質問は、カイザルに納める税金についてである。パリサイ人は、ローマに納めるこの税に反対…
 
今回は、「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。」(マルコ12:10)からのメッセージです。 群衆に熱狂的に迎えられてイエスはエルサレムに入場することとなる。入場後にまず、イエスは宮きよめをする。イエスに敵対心を抱いていた当時の指導者たちとの衝突はますます明白になって行く。イエスはたとえを用いて自分の十字架での死を暗示していく。イエスの死と復活こそが、新しい時代、教会の時代が来ることを暗示する、それが今回のメッセージのテーマになっています。まず、マルコ11章15ー18節を読んでいただきたい。 エルサレムの神殿での礼拝は、犠牲として動物をささげることが中心であった。異邦人の庭と呼ばれた外庭には、いけにえ用の動物が売られ、神殿税や献金を納めるための両替人の台も多く置かれていたようで…
 
Reflection on James 4:13-17 Intro Good morning, brothers and sisters. I pray that you are well, even though your daily life has been affected by COVID-19. I’m sure the virus affected your plans. Some of you had to cancel your travels this year, whether it was a holiday, a business trip, or going to another prefecture. This is especially true for fo…
 
今回は、「主がお入り用なのです。」(マルコ11:3)からのメッセージです。 マルコ11章からは、受難週の記事がはじまっていく。その最初の出来事がエルサレムへの入場である。それも馬ではなく、ろばの子に乗って入場される。旧約聖書のゼカリヤ9章9節には、「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」とある。イエスのエルサレム入場は、この旧約聖書の預言の成就として行われていく。あなたの王とは、メシア、キリストのことで、キリストが平和の王として、ろばの子に乗って入場されたことは実に興味深い。マルコ11章1-11節までを読んでいただきたい。 イエスはふたりの弟子…
 
今回は、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」(マルコ10:52)からのメッセージです。エリコで盲人であったバルテマイの信仰について考えてみます。そして、このバルテマイに自分たちの信仰を重ねて、イエスに感謝する者、イエスに従う者とさせていただきたいと思います。マルコ10章46-52節を読んでいただきたい。まず、この出来事の文脈的な意味を考えてみよう。イエスの一行はエルサレムに上る途中である(32節)。イエスは弟子たちに、自分は十字架につき、三日の後に、よみがえることを語る(33,34)。以前皆さんにシェアーした事であるが、皆さんは覚えておられるだろうか。マルコ10章45節には、「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自…
 
今回は、「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」(マルコ10:31)からのメッセージです。行いによって天国に入ろうとする者は後にされ、信仰と恵みによって天国を待ち望む者が先にされる、その真理が明らかにされる聖書の箇所です。このような表現をイエスが他のところでも使っておられます。興味ある方はマタイ20章16節、また、ルカ13章30節を見ていただきたい。今回のメッセージは、前回のメッセージに続いていて、行いによって天国を求めた金持ちをは後にされ、むしろ子供たちのような心をもってイエスを信じる者こそ先にされる、そのような理解が背景にある。あなたもイエスの語られる真理に気付くならば、もっとキリストとの人格的な交わりを喜び、神の恵みを感謝する人生に目が開かれて行くものと私は信じる。…
 
今回は、「どんなことでも、神にはできるのです。」(マルコ10: 27) からのメッセージです。人は自分を救うことはできないが、ただ、神のみが人を救うことができる。そのメッセージがこの言葉に隠れています。マルコ10章45節には、「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」とある。贖いの代価とは、奴隷を自由にするために支払う身代金のことを意味する。イエスが、贖いの代価、つまり罪の奴隷となっている人間を解放して、神のものとするために支払う身代金を支払ってくださること、それが十字架での犠牲であることが明らかにされている。イエスこそ、私を、そしてあなたを、救うことのできる方であることを今回は語って行…
 
今回は、「もはやふたりではなく、ひとりなのです。」(マルコ10:8)からのメッセージです。結婚についてのイエスの言葉です。マルコ10章1-12節を読んでいただきたい。前回は、「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」からメッセージを語ったが、イエスは、その後で互いに和合して暮らしなさいとつけ加えている。塩けを保つことと和合して暮らすバランスが強調されていた。結婚もそのような夫婦間のバランスが必要であることに気づかされる。 まず、聖書の文脈を見てみよう。2節には、「パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。」とある。当時のパリサイ人の理解は2つに分かれていたようである。1つは、妻の不貞(姦淫)の事実が発見され…
 
今回は、「あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」(マルコ9:50)からのメッセージです。 この世で生きるクリスチャンの自覚を呼び起こす言葉である。塩は昔から防腐剤として使われており、原形を失ってもその存在が誰からも認められるものである。このテーマに入る前に、イエスの語られたメッセージから、今回は3つのポイントを簡単に学んでみようと思う。マルコ9章38ー50節を読んでいただきたい。 まず第一に、イエスの語られた言葉から教会の協力とその働きの拡大にポイントを置いて見てみたい。38節には、「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」とのヨハネの言葉が書かれている。自分たちの仲間ではないとの理由で、イエスの名で悪霊を追い出すこと…
 
今回は、「三日の後に、人の子はよみがえる。」(マルコ9:31)からのメッセージです。 人間の常識では到底理解できないイエスの言葉をとりあげます。マルコ9章30-37節までを読んでいただきたい。人の子との表現をイエスは、メシアであるご自身を指示して何度も使っています。メシアであるイエスが、殺されて、三日の後によみがえられる。そのことを弟子たちに語るのは今回で二回目である。一回目はマルコ8章31節に、そして、三回目はマルコ10章33、34節に書かれています。そのたびごとに、弟子たちは戸惑い、そのみことばが理解できず、そのことをイエスに尋ねるのを恐れたようである。 私も弟子たちの気持ちがわかるような気がする。それは、私も聖書を読み始めた頃、イエスの十字架の上での愛、いくつかの奇跡や、その語られたみ…
 
今回は、「信じる者には、どんな事でもできる。」(マルコ9:23)からのメッセージです。大いに私たち信仰者を励ます言葉であると私は思います。まずその背景を考えてみましょう。マルコ9章14-29節までを読んでいただきたい。悪霊につかれたむすことそのお父さんが登場する。イエスの弟子たちはその悪霊を追い出そうとするが、できない。そのような背景があって、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのですか」と尋ねられ、父親は答える。「幼い時からです。霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますならば、わたしどもをあわれんでお助けください。」(22節)と。その時にイエスが言われたこと、「もしできれば、と言うのか。信じる者には、どんな事でもできる。」が、今日のテーマの…
 
 今回は、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」(マルコ9:7)からのメッセージです。 高い山に、イエスがペテロとヤコブとヨハネだけを連れて行き、彼らの目の前で御姿が変わった時に、神が彼らに語った言葉である。マルコ9:1-8までを読んでいただきたい。イエスの御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。」と書かれている。3人の弟子たちは光輝く栄光のイエスを見ることになる。そして、旧約聖書の中で最も偉大なエリヤとモーセが表れ、イエスと語り合っていたとある。その姿をみたペテロが口出しして言う。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。」と。幕屋を造って少しでもこの栄光の姿を見続けていたいとの思いであっ…
 
今回は、「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マルコ8:33)からのメッセージです。 覚えておられるだろうか?ペテロはイエスに対して「あなたは、キリストです。」と信仰告白をしたことを。ペテロは、救い主であるイエスこそ、栄光の王、支配者であり、ローマの支配から解放しれくださる方であるとの希望を持つに至ったようである。それなのに、この救い主について、「必ず多くの苦しみを受け、・・・捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならない」と、イエスは語りはじめる。ペテロは、そんなイエスをわきにお連れして、いさめ始めたとある(32節)。「先生そんなことがあるはずはありません。そんなことを決して言ってはいけません。」そのように語ったのではないかと私は思う。そんなペテロに対して、「下…
 
今回は、「あなたは、キリストです。」(マルコ8:29)からのメッセージです。 これは、ペテロの信仰告白の言葉であり、教会の基礎となる言葉です。まず、その言葉の背景を考えてみます。マルコ8:27-38を読んでいただきたい。6章に戻ると、5000人の給食の後で、弟子たちは湖の上を歩いているイエスを目撃することとなり、彼らの心中の驚きは非常なものであったとある(マルコ6:51)。7章では、耳が聞こえず、口のきけない人の癒しを弟子たちは目撃する。人々は非常に驚いて、「この方のなさったことは、みなすばらしい。」と言ったと書かれています。8章でも盲人の癒しを弟子たちは目撃することとなる。驚くべき奇跡を目撃した弟子たちに、イエスは、「人々はわたしをだれだと言っていますか。」と尋ねられる(8:27)。弟子た…
 
Loading …

クイックリファレンスガイド

Google login Twitter login Classic login