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兄弟愛をいつも持っていなさい。(へブル13:1)

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 ハピー・イースター、そのようにご挨拶いたします。今日はイースター礼拝です。イエスが墓からよみがえられたことをお祝いする日です。イースターの喜びを共にしてまいりましょう。簡単にイエスの十字架での出来事と復活の出来事を振り返ってみます。マタイ27章33、34節には、「ゴルゴタという所に来てから、彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」と書かれています。苦みを混ぜたぶどう酒は苦しみを和らげるためのものです。それを、飲もうとはされなかったとは、イエスは、私たちの罪を赦すために真剣に十字架での苦しみを背負おうとされたことがわかります。さらに、ヨハネ19章26、27節には、「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『女の方。そこに、あなたの息子がいます。』と言われた。それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます。』と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」と書かれています。イエスが十字架の上でなされた御業は、私たちの罪を赦すだけのものではありません。贖われた者たちの間に新しい交わりを創造することでもあったのです。苦しみを全身で受け取りながらも、新しい交わりの創造を起こし、互いに愛し合うことと、和解の働きを弟子たちの間に起こそうとされたのです。神は全知、全能なる方です。よみがえられたイエスは、ユダヤ人を恐れていた弟子たちに向かい、「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20:19)と語りかけ、「聖霊をうけなさい。」(ヨハネ20:22)と語りかけています。聖霊を与えられることを通して、弟子たちはイエスの平安を受け取り、イエスの愛の大きさを学び、使徒として、教会を開拓し、和解の働きを成していくことになります。今日はイエスの愛、そして和解の務めに視点を置きながら、へブルの手紙から具体的なチャレンジを受けていきたいと願っています。それでは、へブル13章1-6節を読んでみてください。
13章1節には、「兄弟愛をいつも持っていなさい。」と書かれています。兄弟愛を持つ、そしてその実践をする、それが信仰者の新たな生き方です。神は全知なる方です。十字架での苦しみを味わいながら、聖霊によって教会が生み出され、その教会が互いに愛し合い、仕え合う聖徒たちで満ちていく姿をイエスは見ておられたと私は信じています。ヨハネ13章34節には、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と書かれています。新しい戒めとは、兄弟愛の実践のことであると思います。兄弟愛をいつも持っている、それは、私たちの中に兄弟愛がとどまっていることです。イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と命じられました。わたしがあなたがたを愛したようにとは、十字架での姿を念頭に置いて語られた言葉です。ヨハネの手紙第一、3章16-18節には、「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。・・・私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」と書かれています。イエスの十字架での愛を忘れることなく、お互いの違いを受け取り合い、許し合って行くこと、そのような愛の実践を目指して行きたいと願っています。
ヘブル13章2節からは、兄弟愛の実践に視点を置いて、いくつかの勧めの言葉が続いていると理解することができます。「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。」とは、伝道のために訪問する旅人のことです。当時は、弟子たちも福音を伝えるためにいろいろな所に出かけて行きました。教会の人たちが家庭を解放することによって、多くの伝道者は支えを受けていたのです。同時に偽預言者や、偽伝道者もいたようで、3日以上留まる伝道者には、注意を払いなさいとも伝えられていたようです。信仰者、伝道者の働きを積極的に応援することを、IBFでも継続して行きたいです。2節の後半部分は、創世記18章を参照してください。そこには、アブラハムが3人のみ使いをもてなし、イサク誕生の予告があたえられたことが書かれています。
3節には、「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。」と書かれています。同様な表現が10章34節にも書かれています。福音のために牢につながれている信仰者を、またその家族を助けていく、それは、兄弟愛の実践の良き例であると思います。マタイ25章34-40節参照。
4節には、「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。」と書かれています。兄弟愛の視点からこのことを考える時に、信仰者は、兄弟が嫌がることは避けなければなりません。不品行なことをすることで、悲しむ兄弟姉妹が起きることを認識することです。相手を愛することは、行動でも言葉でも、相手を悲しませることはしないことです。神が願われるのは、結婚が尊ばれることであり、夫婦がお互いに愛し合い、仕え合うことです。結婚は多くの祝福を私たちの人生にもたらします。
5節には、「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。」と書かれています。主イエスの次の言葉を覚えて行きたいです。「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)仕える方が神であるならば、私たちは富を管理して用いていくことが可能です。信仰者はお金を管理して行く時に、教会が祝福され、また、福音の業も拡大していきます。第一テモテ6章6-10節、17-19節をよく読んでみてください。18節にあるように、「また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」とのみことばの実践を富を用いてなすことができるのです。私も人生の晩年になり、神が私の人生に備えてくださった富を用いて、神の働きの一端に寄与する人生でありたいと思っています。兄弟愛、ギリシャ語ではフィラデルフィア、その実践を目指して行きたいと願います。
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 ハピー・イースター、そのようにご挨拶いたします。今日はイースター礼拝です。イエスが墓からよみがえられたことをお祝いする日です。イースターの喜びを共にしてまいりましょう。簡単にイエスの十字架での出来事と復活の出来事を振り返ってみます。マタイ27章33、34節には、「ゴルゴタという所に来てから、彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」と書かれています。苦みを混ぜたぶどう酒は苦しみを和らげるためのものです。それを、飲もうとはされなかったとは、イエスは、私たちの罪を赦すために真剣に十字架での苦しみを背負おうとされたことがわかります。さらに、ヨハネ19章26、27節には、「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『女の方。そこに、あなたの息子がいます。』と言われた。それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます。』と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」と書かれています。イエスが十字架の上でなされた御業は、私たちの罪を赦すだけのものではありません。贖われた者たちの間に新しい交わりを創造することでもあったのです。苦しみを全身で受け取りながらも、新しい交わりの創造を起こし、互いに愛し合うことと、和解の働きを弟子たちの間に起こそうとされたのです。神は全知、全能なる方です。よみがえられたイエスは、ユダヤ人を恐れていた弟子たちに向かい、「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20:19)と語りかけ、「聖霊をうけなさい。」(ヨハネ20:22)と語りかけています。聖霊を与えられることを通して、弟子たちはイエスの平安を受け取り、イエスの愛の大きさを学び、使徒として、教会を開拓し、和解の働きを成していくことになります。今日はイエスの愛、そして和解の務めに視点を置きながら、へブルの手紙から具体的なチャレンジを受けていきたいと願っています。それでは、へブル13章1-6節を読んでみてください。
13章1節には、「兄弟愛をいつも持っていなさい。」と書かれています。兄弟愛を持つ、そしてその実践をする、それが信仰者の新たな生き方です。神は全知なる方です。十字架での苦しみを味わいながら、聖霊によって教会が生み出され、その教会が互いに愛し合い、仕え合う聖徒たちで満ちていく姿をイエスは見ておられたと私は信じています。ヨハネ13章34節には、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と書かれています。新しい戒めとは、兄弟愛の実践のことであると思います。兄弟愛をいつも持っている、それは、私たちの中に兄弟愛がとどまっていることです。イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と命じられました。わたしがあなたがたを愛したようにとは、十字架での姿を念頭に置いて語られた言葉です。ヨハネの手紙第一、3章16-18節には、「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。・・・私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」と書かれています。イエスの十字架での愛を忘れることなく、お互いの違いを受け取り合い、許し合って行くこと、そのような愛の実践を目指して行きたいと願っています。
ヘブル13章2節からは、兄弟愛の実践に視点を置いて、いくつかの勧めの言葉が続いていると理解することができます。「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。」とは、伝道のために訪問する旅人のことです。当時は、弟子たちも福音を伝えるためにいろいろな所に出かけて行きました。教会の人たちが家庭を解放することによって、多くの伝道者は支えを受けていたのです。同時に偽預言者や、偽伝道者もいたようで、3日以上留まる伝道者には、注意を払いなさいとも伝えられていたようです。信仰者、伝道者の働きを積極的に応援することを、IBFでも継続して行きたいです。2節の後半部分は、創世記18章を参照してください。そこには、アブラハムが3人のみ使いをもてなし、イサク誕生の予告があたえられたことが書かれています。
3節には、「牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。」と書かれています。同様な表現が10章34節にも書かれています。福音のために牢につながれている信仰者を、またその家族を助けていく、それは、兄弟愛の実践の良き例であると思います。マタイ25章34-40節参照。
4節には、「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。」と書かれています。兄弟愛の視点からこのことを考える時に、信仰者は、兄弟が嫌がることは避けなければなりません。不品行なことをすることで、悲しむ兄弟姉妹が起きることを認識することです。相手を愛することは、行動でも言葉でも、相手を悲しませることはしないことです。神が願われるのは、結婚が尊ばれることであり、夫婦がお互いに愛し合い、仕え合うことです。結婚は多くの祝福を私たちの人生にもたらします。
5節には、「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。」と書かれています。主イエスの次の言葉を覚えて行きたいです。「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)仕える方が神であるならば、私たちは富を管理して用いていくことが可能です。信仰者はお金を管理して行く時に、教会が祝福され、また、福音の業も拡大していきます。第一テモテ6章6-10節、17-19節をよく読んでみてください。18節にあるように、「また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」とのみことばの実践を富を用いてなすことができるのです。私も人生の晩年になり、神が私の人生に備えてくださった富を用いて、神の働きの一端に寄与する人生でありたいと思っています。兄弟愛、ギリシャ語ではフィラデルフィア、その実践を目指して行きたいと願います。
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